元社畜の俺、転生先で絶世美女のご主人様に躾けられた結果、『溺愛』と『お仕置き』がないと生きていけなくなりました
AKINA
第1話:転生とご主人様
「(あ……れ……? おれ、今、どこに……)」
「(……ああ、そうだ。おれは、また……プレゼンに、失敗して……)」
焼き付いた蛍光灯の光。鳴り止まない上司の
『お前の代わりはいくらでもいるんだぞ!』
『すみません、すみません、作り直します、今すぐ……!』
「(違う、あれは……あれは、
そうだ。俺、
そして気づけば、この訳の分からない世界にいた。森の中で目を覚まし、数日さまよった末に野盗に捕まり、奴隷商人に売り飛ばされた。
ミチルは、犬の獣人になっていた。
「さあ、ご覧ください! これぞ
オークショニアの甲高い声が響き渡る。やめろ、と叫びたかったが、喉はカラカラに乾き、声も出ない。栄養失調と絶望で、意識が
首に巻かれた「
「(ああ、首輪か……)」
奇妙なことに、その物理的な拘束感は、前世で毎日締めていたネクタイよりも、なぜか『しっくり』くる。あの息苦しいだけの布切れよりも、この絶対的な束縛の方が、よほど自分には似合いだとさえ思えた。
競りの声が飛び交う。値段が
もう、何も考えたくない。意識を失ってしまいたい。そう願った、その時だった。
「――その倍を出しますわ」
鈴が鳴るような、凛とした女性の声が響いた。あれほど騒がしかった会場が、水を打ったように静まり返る。
ミチルは最後の力を
その瞳を見た瞬間、ミチルの心に不可解な感情が
「(ああ……この人に、買われるんだ)」
もう、自分で何も考えなくていい。自分の人生のハンドルを、他人に握ってもらえる。社畜時代のプレッシャーからの解放感にも似た奇妙な
***
意識が
最初に感じたのは、ふわりとした爽やかでいて微かに甘い花の蜜の匂いと、背中を包む柔らかな感触だった。
「(……ここ、は?)」
ミチルはゆっくりと目を開けた。
視界に飛び込んできたのは、見たこともない豪華な
「(夢、か……?)」
身体を起こそうとして、ミチルは自分が清潔な服に着替えさせられていることに気づいた。手足の
カチャリ。
首には、あの冷たい金属の感触が残っていた。
「(……
状況が理解できず、混乱が心を
その時、静かに扉が開く音がした。
「あら。目覚めましたか」
凛とした、あの声。さきほど意識が戻った時に感じた、あの爽やかで甘い香りが強くなる。
入ってきたのは、絶世の美女だった。
絹のように滑らかな銀色の髪をきっちりと結い上げ、黄金色の切長な瞳が、まっすぐにミチルを見据えている。豊満な胸。引き締まった腰。まるで完璧な芸術品だ。
オークション会場で仮面をつけていた令嬢だと、すぐに分かった。
「あなたのご主人様、レベッカ・フォン・ウォルフォルトです」
彼女――レベッカは、
「あなた、お名前は?」
「あ……えっと……ミチル、です」
前世の、
「ミチル。……そうですか」
レベッカはミチルをじっと観察する。その黄金色の瞳は、まるで
「(あ……また、品定めされてる……)」
ミチルが恐怖で身を縮めた、その時。
――きゅるるるるるぅ。
盛大に、腹の音が鳴った。
ミチルの顔が、
「(い、今のは……!)」
「ふふ……」
レベッカは、そこで初めて小さく笑った。
「お腹が空いているのですね。当然ですわね」
彼女は振り返り、メイドに何かを命じた。
すぐに、豪華な食事がワゴンで運ばれてくる。湯気の立つ温かいシチューと、焼きたてのパン。
「さあ、お食べなさい。毒など入っていませんから、安心なさい」
ミチルは
「(……あ、うまい……)」
「ゆっくりで構いませんわ。……ああ、こちらもお飲みなさい。精神を安定させるハーブティーです。あなたはひどいストレスに
レベッカはそう言って、そっとミチルの頭を撫でた。
「(え……?)」
ミチルは食べる手を止めた。頭を撫でられる。前世の社畜時代には、あり得なかった行為。
「(あ……あったかい……)」
近づいたレベッカから、あの「爽やかで甘い花の蜜」の香りが、ふわりとミチルの鼻をくすぐる。その手つきは驚くほど優しく、ミチルの張り詰めていた緊張が、ふっと
***
数日が過ぎた。
ミチルは、レベッカの屋敷でペットのように扱われた。豪華な主寝室の隣にある、清潔だが簡素な「控室」を与えられ、食事は完璧、風呂にも入れてもらえる。前世の社畜時代よりも、あるいは奴隷商の
だが、ミチルは
レベッカはミチルに「私の許可なく、この部屋から出てはいけません」とだけ命じ、それ以外の「仕事」を一切与えなかったのだ。
「(どういうことだ……? おれは、何も『仕事』をしていない。ただ飯を食わされて、寝てるだけじゃないか……)」
ミチルは、控室のベッドの上で膝を抱えていた。心身ともに急速に回復しているのは分かったが、それに
前世の社畜根性が、
『お前の代わりはいくらでもいる』
『役に立たない奴は、必要ない』
「(このままじゃ、捨てられる……!)」
あのレベッカという人は、恐ろしい額の金で自分を買ったのだ。それなのに、自分は何の
「(何か、何かできることを……!)」
ミチルは
「あの、レベッカさん……! おれ、何か手伝います! 掃除でも、書類の整理でも……!」
だが、レベッカの答えは冷徹なほど優しかった。
「あら、ミチル。その必要はありませんわ。あなたは、ただ私のそばにいて、おとなしくしていればいいのです」
「(そんなわけが……!)」
ミチルは
***
その日、ミチルはついに、言いつけを破った。レベッカが書斎で仕事をしている
「(書庫の整理くらいなら、おれにもできるはずだ……!)」
前世の雑務スキルを思い出し、廊下を
その時だった。
「――ミチル」
氷のように冷たい声が、背後から響いた。爽やかな花の蜜の香りが、すぐ後ろからする。
「(ひっ……!)」
振り返ると、そこには黄金色の瞳を冷たく
「お部屋から出てはいけないと、言いましたよね?」
その声が響いた瞬間。
ギュンッ!!
首輪が強烈な力で締まり、ミチルの全身に電気が走ったような束縛感が
「がっ……!?」
動けない。体が言うことを聞かない。ミチルは、その場に崩れ落ちた。
「あ……あ……」
見上げると、冷然とミチルを見下ろすレベッカの姿があった。
「なぜ、私の命令を破ったのですか?」
「(こ、こわい……!)」
ミチルは恐怖で震えた。だが、それ以上に「捨てられる」恐怖が勝った。
「あ……あのっ……! おれ、役に立たないと……!」
「役に立たないと?」
「な、何もしてないと……捨てられる、かと……思って……! すみません、何か、仕事、を……!」
「……あなたは、本当に馬鹿な子ですね」
ふっ、と首輪の束縛が解ける。
「え……?」
レベッカはゆっくりとミチルの前にしゃがみ込むと、震えるミチルを、そっと抱きしめた。
「(あ……あったかい……!)」
あの微かに甘い花の蜜の匂いが、今度はミチルを包み込む。恐怖よりも先に、安心感がこみ上げてくるのを、ミチルは感じていた。
「よくお聞きなさい、ミチル」
耳元で、レベッカの声が静かに響く。
「あなたは『役に立つ』必要など、一切ありません」
「(え……? でも……)」
「あなたは私の『所有物』なのです。ただ私のそばにいて、私に愛でられていれば、それでいいのです。あなたの
「(おれの、価値は……この人が、決める……?)」
前世の価値観が、音を立てて崩れていく。役に立たなくていい。ただ、所有されていればいい。
「分かりましたか?」
理不尽な上司の
その絶対的な支配は恐ろしかった。だが同時に、すべての責任(役に立たねばというプレッシャー)を放棄できるという甘美な「楽さ」が、ミチルの心を
「……はい……」
ミチルがか
「いい子です。お仕置きはこれでおしまい」
彼女はミチルの頭を優しく撫でる。
「さあ、おやつの時間ですわよ。あなたは私のそばで、私が焼かせたクッキーを食べていればいいのです」
厳しいお仕置きと、甘いご褒美。ミチルは、この「ご主人様」が自分に何を求めているのか、その
―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――
【あとがき】
本作品をお読みいただき、ありがとうございます!
いわゆる『溺愛』系作品は、女性が可愛がられる側のことが多いので、その逆を描きたいなと筆を取った次第です。
これからミチルには厳しい『お仕置き』と甘い『ご褒美』の日々が待ち受けています。
ちょっと現代社会に疲れて、犬のように美女に飼われたい!という方に響けば良いなと考えています。
***
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