夢の前借り
昼下がりのティレナは、太陽と喧噪がよく似合う。
焼いた肉の匂いが風に乗り、金属と笑い声が同じリズムで響いていた。
その中心にある冒険者ギルド支部――
世界の終わりすら商談の種になる街の、最も現実的な場所だ。
カウンターの奥では、二人のギルド嬢が帳簿と格闘していた。
金髪をゆるくまとめたミリアと、赤毛を三つ編みにした小柄なサーシャ。
ペンの音とため息が、午後の日差しの中で交互に響く。
「……ミリアさん。昨日登録した“ヤマダさんパーティ”、クエスト失敗です」
「あー……また? クレーム?」
ミリアは書類を閉じ、こめかみを押さえる。
「クレームです。『ゴブリン討伐の証拠品が五つ足りない』と。依頼主の村長さん、カンカンですよ。『これじゃ清掃費の方が高くつく』って」
「
机の上のインク壺に、沈む夕光が揺れていた。
「最近ほんと多いのよ、“地球から来ました”系の新人冒険者。装備はピカピカ、魔術は未経験。なんでみんな、示し合わせたようにゴブリン退治に行くのかしら」
「なんか“異世界転生者向け攻略Wiki”に書いてあるらしいですよ?」
「うぃき?」
「地球の情報網、だそうです。『ゴブリンは経験値効率◎、ドロップ品が高額取引』って」
ミリアはため息を吐き、ペン先を噛んだ。
「誰よそんなの書いたやつ! 耳なんて銅貨三枚よ! あんたらの清掃費にもならないわ!」
「あと、“異世界FIRE”とか“スローライフ”とかも流行ってるみたいで」
「スローライフでゴブリンに腹裂かれるとか、新しいわね」
「でも、悪気はないんですよ。『もう会社に戻りたくない』とか、『こっちならチートスキルで一発逆転』とか言ってて……」
「
二人は顔を見合わせ、同時に苦笑した。
――窓の外、街頭スクリーンには政府広告が映っていた。
『日本政府認定・境界人材プログラム』『アーヴェリス王国公認冒険者制度』
どちらも同じ文句を掲げている。
「若者の勇気が、未来を動かす」
けれど、ティレナの人々は知っている。
——あれは希望の看板なんかじゃない。都市が抱えきれなくなった若者を、ここへ“流す”ための綺麗な出口だってことを。
ミリアはちらりと画面を見て、紅茶を啜る。
「未来ね。……税収と遺品の回収、どっちの未来かしら」
その時、入口の鐘がカラン、と高い音を立てた。
「ようこそ、ティレナ冒険者ギルドへ!」
マニュアル通りの挨拶をしながら顔を上げた瞬間、ミリアは営業スマイルのまま固まった。
サーシャがそっと囁く。
「……ミリアさん。来ました。本日の
「ええ、“異世界FIRE組”の新規入荷ね」
ドアの前には、見るからに“地球出身”の青年が立っていた。
新品の戦闘服、未使用の鞄、そしてやけにまっすぐな瞳。
「すみません! 冒険者登録をお願いします!」
声は明るく、どこか浮ついている。
背中の剣には、鍛冶屋の値札が揺れていた。
「お客様、剣のタグが揺れておりますが」
「あ、これですか!? “覚悟”の証です! もう後戻りはしないっていう!」
「……返品しないという強い意志、承りました」
ミリアは営業スマイルを崩さず、分厚い書類の束を取り出す。
「では、こちらの登録用紙一式にご記入を。これが基本誓約書、こちらが日本に提出する生命保険の権利放棄書、これが遺品送付先の指定書、あとこちらが
「もしもの……? え、あ、はい! いっぱいあるんですね!」
青年は希望に満ちた笑みでペンを走らせる。
「登録料、前払いで金貨一枚になります」
「もちろん! 夢への投資ですから!」
ミリアは書類を受け取り、無表情でスタンプを押した。
「はい、登録完了です。――夢のローンはね、利息で返済期限が“明日の朝”なのよ、この世界は」
「ありがとうございます! よーし、まずはゴブリン討伐からだ! Wikiに書いてあったんで!」
青年は意気揚々とクエストボードへ走っていった。
サーシャはその背中を見つめ、胸の前でそっと手を組む。
「……ミリアさん、あの人、大丈夫でしょうか」
「さあ? でも、清掃費の天引き同意書には、ちゃんとサインもらったわ」
「……どうか、あの人の“夢”が、清掃費で終わりませんように」
サーシャの小さな祈りを聞きながら、ミリアは紅茶を指で示した。
「サーシャ。紅茶、淹れ直してくれる? 今度は濃いめで」
外では鐘楼が鳴り、日が傾き始める。
ティレナの街にまたひとつ、新しい夢が増える。
その影で、日本の官僚は成功率のグラフを眺め、アーヴェリスの貴族たちは新しい投資口座を開設する。
そして明日には――清算される命が、また増えるのだった。
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