お腹の子ごと死を待つだけだったメイド(元男子高校生)が、前世の知識で村を救ったら、愛する我が子と幸せスローライフを手に入れた件 ~私を捨てた男爵一家は、没落の果てに物乞いとなって凍え死んだそうです~

人とAI [AI本文利用(99%)]

第1話 偽りの優しさと消せない過ち

「リリア、いつもありがとう。君が磨いてくれた廊下は、まるで鏡のように輝いているね」


穏やかで、蜂蜜のように甘い声だった。

振り向くと、この屋敷の主であるバルトロ男爵様が、柔らかな笑みを浮かべて私を見下ろしていた。


「も、もったいないお言葉です、バルトロ様! これが私の仕事ですので」


慌ててスカートの裾をつまんで一礼すると、心臓がどきりと跳ねる。

孤児院から引き取られ、メイドとしてこの屋敷で働き始めてもう二年。バルトロ様は、私のような取るに足らない使用人にも、いつもこうして優しい言葉をかけてくださる。


(でも…なんだろう、この胸騒ぎは)


その優しさが、時々ひどく怖くなるのだ。

廊下の隅で、庭の木陰で、ふとした瞬間に向けられる粘つくような視線。それは決して、主人から使用人へ向けられる類のものではなかった。


「そんなに謙遜しなくてもいい。君の働きぶりは、屋敷の誰よりも素晴らしい。何か褒美をやらないとな」

「いえ、滅相もございません! お言葉だけで十分です!」


私はぶんぶんと首を横に振って、その場から逃げるように駆け出した。背中に突き刺さる視線を感じながら、必死に胸のざわめきを押し殺す。


(大丈夫。きっと気のせいだ。貴族様が、私なんかに興味を持つはずがない)


そう自分に言い聞かせて、淡い期待と得体の知れない恐怖が混ざり合った感情に蓋をした。

その蓋が、こんなにも呆気なくこじ開けられることになるなんて、この時の私には知る由もなかった。



その夜、私は最後の仕事を終え、使用人用の自室へ戻ろうとしていた。

蝋燭の灯りが揺れる薄暗い廊下を歩いていると、物陰からぬっと大きな人影が現れる。


「ひゃっ!?」

「静かにしろ、リリア」


口元を大きな手で塞がれ、悲鳴はくぐもった音になった。

心臓が凍りつく。目の前に立っていたのは、昼間とはまるで別人のような昏い瞳をしたバルトロ様だった。


「バ、バルトロ様…な、何の御用でしょうか…?」

「少し、話があるんだ。私の書斎に来い」


有無を言わさぬ口調。抵抗なんてできるはずもなかった。

腕を強く掴まれ、引きずられるようにして連れて行かれた書斎の扉が、背後で重々しい音を立てて閉まる。


カチャリ、と。

鍵のかかる音が、私の絶望の始まりを告げていた。


「リ、リリア。お前はずっと私のものだと思っていたよ」


昼間の優しげな仮面はどこにもない。そこにいたのは、欲望にぎらつく瞳をした、見知らぬ獣だった。

じりじりと壁際に追い詰められ、私の小さな抵抗は、男の腕力の前ではあまりにも無力だった。


「や、やめてください…! お願いです、バルトロ様…!」

「いいじゃないか。可愛がってやるだけだ。これは褒美だよ、リリア」


耳元で囁かれた言葉に、全身の血が凍る。

薄いメイド服が乱暴に引き裂かれ、肌に冷たい夜気が触れた。


「誰か…! たすけ……っ!」


助けを求める声は、彼の唇に飲み込まれて消えた。

視界の端で、書斎の窓から見える月が、冷ややかに私を見下ろしている。まるで、これから私の身に起こるすべてを知っているかのように。


時間がどれだけ経ったのか、わからない。

ただ、心と体がバラバラに引き裂かれるような感覚だけが、そこにあった。

床に投げ出された私を一瞥もせず、男爵は満足げに息をつくと、乱れた服を整えながら冷たく言い放った。


「いいか、今夜のことは誰にも言うな。お前にとっても、悪い話ではなかっただろう?」


何が、悪い話ではなかったというのだろう。

虚ろな瞳で彼を見つめることしかできない私を残し、男爵は静かに書斎から出て行った。

一人残された部屋で、私はただ、引き裂かれたメイド服の切れ端を握りしめることしかできなかった。



あの日から、数週間が過ぎた。

屋敷での日々は何も変わらない。バルトロ様は、何事もなかったかのように私に優しく微笑みかける。

けれど、私の体の中では、確実に何かが変わり始めていた。


朝、言いようのない気分の悪さで目が覚める。

厨房から漂ってくる食事の匂いですら、胃がひっくり返るような吐き気を催した。


(まさか…そんなはず、ない…)


打ち消そうとしても、最悪の予感が頭から離れない。

毎月決まってきていたものが、こない。

日に日に体は怠くなり、時折、めまいまで覚えるようになった。


(お願い、神様…どうか、気のせいでありますように…)


祈りは、届かなかった。

ある朝、自分の体が熱っぽいことに気づき、意を決して医務室からこっそり持ち出した体温計で熱を測ってみる。

表示された数字は、微熱。

それは、私の絶望を裏付ける、決定的な証拠だった。


お腹に、命が宿ってしまったのだ。

あの夜の、消せない過ちの証が。


どうしよう。どうすればいい?

このままでは、いずれお腹は大きくなって隠せなくなる。そうなれば、私は間違いなくこの屋敷を追い出される。孤児院育ちの私には、他に帰る場所なんてない。


(バルトロ様なら…あの方なら、きっと…)


藁にもすがる思いだった。

あの夜のことは悪夢だったけれど、あの方はこの子の父親なのだ。助けてくれるかもしれない。いや、助けてくれるに違いない。

そうでなければ、私とお腹の子は、二人一緒に路頭に迷ってしまう。


震える足で、私はバルトロ様の執務室の扉を叩いた。


「失礼いたします、バルトロ様。リリアです。少しだけ、お時間をいただけますでしょうか」

「おお、リリアか。どうしたんだい?」


書斎の主は、いつものように優しく私を迎え入れてくれた。そのことに少しだけ安堵しながら、私は意を決して口を開く。


「あ、あの…申し上げにくいことなのですが…」

「なんだい、改まって。私に言えないことなんてないだろう?」

「…はい。実は、私の…お腹に…」


そこまで言ったところで、言葉が詰まる。

私の様子と、上擦った声。何かを察したのだろう。バルトロ様の表情から、すっと笑みが消えた。


「…私のお腹に、バルトロ様のお子を、身ごもったようなのです」


言ってしまった。

もう後戻りはできない。

私は、ただ彼の言葉を待つことしかできなかった。どうか、どうか見捨てないでくださいと、心の中で必死に祈りながら。


沈黙が、部屋を支配する。

やがて、バルトロ様はゆっくりと口を開いた。彼の顔には、驚きと、それから信じられないほどの冷たい光が宿っていた。


「ほう。それで?」


たった、三文字。

その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。


「え…?」

「だから、それで何だと言っているんだ。誰の子だ、それは」


心臓を、氷の矢で射抜かれたような衝撃。


「な…何を、おっしゃって…? バルトロ様の、お子です…あの夜の…」

「あの夜? 何のことかな。私には全く覚えがないが」


彼は、くつくつと喉の奥で笑った。まるで、面白い冗談でも聞いたかのように。


「まさか私の子供だとでも言うつもりか? みすぼらしいメイド風情が、不貞を働いて孕んだ子を私に押し付けるとは、大した度胸だな」


違う。

違う、違う、違う…!

あんなに、あんなにひどいことをしておいて、どうしてそんなことが言えるの?


血の気が引いていくのが、自分でもわかった。

目の前が真っ暗になる。最後の希望だった蜘蛛の糸が、目の前でぷつりと断ち切られた。


「いいか、リリア。その腹の子が誰の子だろうと、私には関係ない。だが、もしそのことで面倒を起こすようなら…」


彼は私のそばに歩み寄ると、耳元で悪魔のように囁いた。


「お前がどうなるか、わかるな? 特に、嫉妬深い私の妻にこのことが知れたら…お前のメイド人生も、そこで終わりだ」


奥様。

その言葉を聞いた瞬間、私は全身が凍りつくのを感じた。

あの、決して感情を表に出さないが、些細なことで使用人を鞭打つことも厭わない、冷酷な男爵夫人の顔が脳裏に浮かぶ。


もし、奥様に知られたら…?

私は、きっと、生きてこの屋敷から出ることはできない。


絶望が、黒い霧のように私の心を覆い尽くしていく。

光は、どこにもなかった。

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