第26話 僕の責務なのだから。

 黒江先輩に腕を引かれるがまま、俺は図書館の奥にある、防音された会議室に連行された。 しん、と静まり返った空間に、俺と先輩が机を挟んで二人きり。


(……なんか、この状況、やたら緊張するな)


 俺は、編集長として一応真面目なフリをしようと、ノートを広げた。


「えーっと、それじゃあ、次の文芸コンクールのテーマ選定と、部費の申請についてなんですが……」


「些事だ」


 黒江先輩は、俺が広げたノートをちらりとも見ずに一蹴した。


「え?」


「それ以前に、編集長である君自身の『合理的思考』の基盤が脆弱すぎる」


 彼女は、持参したカバンから、分厚い『芥川龍之介全集』を取り出す。


「まず、君の『ラノベ』への過度な傾倒を『矯正』する必要がある。それが合理化の第一歩だ」


「いや、俺のラノベ好きは前提として、どうやって部として実績を……」


「『藪の中』を読め!」


 ドン! と、彼女は全集のページを机に叩きつけた。


「え、『藪の中』?」


「そうだ!」


 彼女は、まるで獲物を見つけたかのように目を輝かせる。


「あの食い違う証言!あれこそが人間の『エゴイズム』の究極だ!己を正当化しようとする、あの身勝手な心理描写の合理性を理解せずして、次のステップはない!」


 結局、「部費申請」や「コンクール応募」といった実務的な話は一切進まなかった。 その代わりに。

 静まり返った図書館の会議室で、黒江先輩が水を得た魚のように、嬉々として俺に一方的に文学を教え込むだけの時間が続くことになった。


「……いいか、軽井沢くん。この『藪の中』の証言は、自己の『美学』に殉じた虚構だ。彼は……」


「はぁ……」


 俺は、(またか……)と内心呆れつつも、彼女の一切無駄のない、熱量だけが異常に高い文学論に、いつの間にか真剣に耳を傾けてしまっていた。


「……でも、その『食い違う証言』って、ラノベで言うところの、各ヒロインが『主人公のこんなところが好きなの!』って語るけど、全部微妙にズレてる……みたいなのに似てません?」


「なっ……!あの崇高なエゴイズムを、そんな通俗的な『ハーレム』と同一視するな!」


 俺がラノベで反論(?)すると、彼女はカッと目を見開きながらも、どこか楽しそうに、さらに文学論をぶつけてくる。


「そもそも君は、芥川の『文体』の合理性を理解していない!例えば『地獄変』における、あの研ぎ澄まされた……」


 ◇


 いつもより饒舌になり、ほんの少し頬が高揚している黒江。

 彼女は、自分の胸の高鳴りを「知的好奇心」と「教育的熱意」だと信じて疑わなかった。


(……そうだ。軽井沢くんの『矯正』は、僕の責務なのだから。これはクラブ運営に必要なことだ)


 彼女は、これがただ「主人公と二人きりで誰にも邪魔されずに話したい」という、彼女自身の、きわめて『非合理』な願望の表れであることに、気づかないフリを続けていた。

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