第40話:勝者の名は
二匹の獣は疾駆し、互いを喰らい合う。
刹那床は踏み砕かれ、白煙が仄かに漂った。
ウィラードは独特の歩法と加速装置の起動により、物理法則を置き去りにしウォルフを刃圏に収める。即座に放たれる、四十八の斬撃。一つ足りともぬかりは存在しない。
ウォルフはそれを全て回避するのは不可能だと判断。損傷を軽微に抑える為、あえて渦中へ向かった。つまりウィラードの直前に。台風の目こそが無風であると、戦闘経験はそう告げる。血だるまになりながら彼はウィラードの腹を蹴りつけた。同時に〈運命の証〉を連射。
――ウィラードの弱点は一つ。加速装置とマインド・プロテクションの同時使用は出来ない事が上げられる。
特異点存在の超人とは言え、人には限界が存在する。異能と加速装置の同時使用は脳に重大な負荷を与えるのだ。加速装置の冷却は速くて十秒、マインド・プロテクションの使用も含めるなら連発は有り得ない。通常ならウォルフがこの手段を取った時点で勝負は確定するだろう。だが、彼も嫌という程知っている。ウィラード・クロックワークはこの程度で死ぬ男では無い事を。
「おいおい、あまり舐めてくれるな」
ウィラードの最も恐ろしいのは、異能でもなければ加速装置の存在でもなく、ましてやハイスペックなサイボーグ・ボディでも無い。その膨大な戦闘経験と蓄積された実力にある。彼は〈運命の証〉の射角を即座に見切ると、微細な身体操作で銃撃を紙一重に回避。最後の一射を避けた直後、頭を狙って右足を蹴り上げる。……風切音は遅れて一つ。
「……反応速度が僅かに上がったな。少しは楽しませてくれるか」
後方回転しながら、ウォルフは軽口を叩く。直撃すれば、恐らく彼の頭は粉々に砕けていただろう。命を拾ったのはウィラードの言う通り、向上した反応速度の賜物であった。蹴りを掠った顎から血が流れるが瞬時に再生される。三転目の直後、ウォルフは着地すると同時に引鉄を引く。放つのは三射、その時ウィラードが握る柄が一度軋む。
「ちゃちな出し物だ」
一射目は右の一振りで。二射目は左の一振りで。三射目はマインド・プロテクションで霧散。
「あぁ、そうさ。本命はこっちだからな」
その声と同時にウィラードの身体に絡んだのは四発目の鞭であった。鞭は蛇の様に絡み彼の自由を奪う。再びウォルフは〈運命の証〉の銃撃を叩き込む。銃撃は今度こそ一発も阻まれる事なくウィラードに命中した。銃火が咲き、白煙が舞う。ウォルフが眉を顰めたのはその直後だ。……蓄積された戦闘経験はこう囁いていた、“まだ”だと。
鞭の手応えは、戦慄と共にやって来た。鞭を千切り、白煙を裂いてウィラードは駆ける。その走法は呼吸と歩幅が不規則であり、ウォルフから間合の把握を奪った。攻撃のイメージは旋風だ。左の剣が首元を狙い、続く右の足の回し蹴りで虚を掴ませ、体を一回転させた所で右の剣は刺突を放つ。ウィラードは確信する、この三撃による敵の死を。それに対しウォルフは――
「“何を隠そう俺はドクターなんだ、もっともターディスはないがね”」
かつてのレオパルドと全く同じその台詞を言うと彼は一撃目を喰らう直前、口元の葉巻をウィラードへ飛ばす。この時、ウィラードには回転して向かって来る葉巻がスローモーションで見えていた。そこで彼は一つの間違いに気付く。ウォルフが咥えていたのはコイーバの葉巻などではない事を。
正気か? ウィラードがそう相手の精神を疑った刹那。ラベルに描かれた死神の鎌が死刑宣告の様に煌いて、仕込まれた爆弾が起爆した。爆風と衝撃でウィラードの剣筋を無理矢理外したのだ。
二撃目は互いが業火に包まれていた。炎と共にフェイクの蹴りが放たれ、次に本命の一撃がやって来る。
それに対するウォルフの対処は簡単だ。まずはフェイクの蹴りをわざと当たりに行く。受けた左腕の骨は砕ける音がしたが、再生能力で修復される腕一本でこの隙を得られるならば安いと言えよう。炎に焼かれる中で、彼等は銃と剣を叩き込み合った。剣の衝撃と銃の反動によって再び距離が開く。距離はおよそ十m。衝撃に震える中、ウィラードの心は――驚愕と歓喜に染まっていた。
――ここで、一人の男の話をしよう。
男は生まれ落ちてから心に途方も無い虚無を抱えていた。金も名誉も愛も彼の人生を彩るには足りず、充足を求めるも満たされた事は一度も無い。ただ心に快楽を得られる時も有るには有った、それが闘っている時だ。しかし、彼にとって不幸だったのは快楽を求め闘争から闘争へ歩む度、快楽に見合わぬ程の戦闘経験が蓄積される。……例えるならTVゲームのRPGだ。モンスター一体と戦えば通常以上の経験値を獲得し、レベルが一足飛びに上がってしまう。闘う事に目的と意味が有る彼としては、何とも皮肉なカルマだ。
もっと快楽を。もっと充足を。しかし、求めれば求める程そのハードルは上がっていく。そう、彼にとって人生や闘争とは――かけがえのない充足を求める為の物であった。
故に彼は、自分の魂を震わせる相手には敬意を払う。天上天下、神さえ敬わぬ彼だが己が宿敵だけは全身全霊を持って接する。それが彼、ウィラード・クロックワークが自分に設けた唯一にして絶対のルールだ。
――そのルールが今適用される。
炎に包まれる修羅はぽつりと呟いた。
「なるほど、見事な一撃だ。勝利への貪欲さと狂気の様な命というリソースの度外視、それが貴様の強さの根源か」
ウィラードの声はこれまでと違って澄んでいる。ウォルフは炎に焼かれる中で、思わず息を呑んだ。ウィラードが自分の名前を呼ぶなど初めてであったからだ。
「今の一撃をもって認識を改めよう。今まで贋作と侮ってすまなかった、――貴様の存在はあの男に匹敵する」
ウォルフはありえぬ現象に思わず炎の熱さも戦傷の痛みすら忘れていた。今自分は奇跡を目の当たりにしている。あり得ぬ事だ。あのウィラード・クロックワークが確りと自分を見据え、ましてや認めつつあるなど。彼の忘我に呼応する様に〈運命の証〉は取り巻く炎を沈火していった。そして、その言葉をウィラードは口にする。
「貴様は、たった今この瞬間から」
それは、ウィラードにとって生涯二度目の事だった。
「俺の宿敵だ」
ウィラードの損傷は大きい。加速装置とマインド・プロテクションは再使用出来る時間がかかるのは勿論、〈運命の証〉によって与えられた銃撃は彼の身体に看過出来ない傷を作っている。だが、彼はこの時幸福であった。炎に焼かれても尚、心は悦楽で満たされていた。あれこそは倒さねばならない宿敵だ。己の全存在を賭けるに足る誇り高き獲物である。
「全てを賭けよう、この勝負に。俺の全てを」
ウィラードは自分の胸を突き破ってある物を引き摺り出した。それはコードが幾重にも絡まった基盤の様な物だった。
「こいつはナヴァロンの支配権だ。この要塞を操作する為の権利、お前達が設定した勝利条件。それがこれだ」
「そいつをどうするんだ、ウィラード?」
「こうするのさ」
喜びの滲んだ声でそう答えると、彼はそれを――
「勝負の邪魔だ」
――完膚無きまでに握り潰した。パラパラと落ちる装置の破片を見て、ウォルフは警戒心を一段高めた。
「これで反応速度は元通りだ。銃は重くてかなわん、ロクに剣が振れん。さぁ、どうするウォルフ・スランジバック?」
ウィラードのその言葉に、ウォルフは一拍置いて。
「面白くしてくれるじゃないか、ウィラード」
にやりと笑った。それに対しウィラードも恐らくは笑ったのだろう。
「それでこそ我が宿敵」
彼のその言葉は満足気だった。ナヴァロンの制御権を失ったからと言って、ウィラードが弱体化したと思うのは大間違いだ。むしろナヴァロンを手放した事により、その分の脳のリソースは戦闘へと振り分けなおされた。恐らく、ウィラードの動きは更に速くなるに違いない。剣速も恐らく先程とは比べ物にならないだろう。
ウィラードが二刀を、ウォルフが銃を構え直す。時ここに至り、二人の目的は一つだった。あらゆる戦術と戦略はゼロに戻り、生存本能すら否定され、純粋な闘争目的――どちらが勝つかだけが今この場に残っている。
「行くぞガンスリンガー、貴様が死ぬか俺が死ぬかだ!」
「死ぬのはお前だ!」
死線が再度交錯する。
ウィラードは駆けた。彼は加速装置を再使用。物理法則を無視し、加速時間の中に必殺の軌道を描く。斬撃と体術を組み合わせ、拳や蹴りが斬撃と共にウォルフの身体に抉りこんで行く。
ウォルフはその最中で放たれた拳のタイミングを見極めると、まるで海中のダイバーの様に、無重力状態の身体操作の要領で拳を基点に指一本でウィラードの上で倒立前転。
ウィラードの背後に回り込んだ瞬間、両足で彼の頭に二連撃を入れる。そして〈運命の証〉を放ってから着地すると、更に機能によって再生した鞭で追い撃ちのラッシュを重ねる。
……恐ろしいのはウィラードの戦闘センスである。修羅は弱点である頭部に攻撃を喰らい、死角から銃撃を喰らい、鞭の打撃を喰らい――尚も彼は反応し対応する。背後を取られたまま、そのラッシュに介入していく。ウォルフの攻撃を徐々に書き換え、守勢から攻勢に変わる機に手を伸ばす。そして、ウィラードがそれを手にした瞬間。
「それで、俺は、落ちん」
振り返り様に亜音速で横薙ぎが走る。ウォルフはそれに反応し、鞭で迎え撃つ。瞬間鞭と刃が重なり合い、幾つもの火花を散らす。一拍後、彼等は剣と鞭の柄を操作し合い、タイミングを合わせたかの様に互いの武器を弾き飛ばし合った。鞭と剣は双方共に回転し合い、ウィラードの剣はウォルフの元に、ウォルフの鞭はウィラードの元に渡る。
そして彼等が同時にキャッチした瞬間、鞭と剣は再びぶつかり合った。ウィラードは鞭の伸縮自在の機能を使い、即座に三打の打撃を浴びせる。ウォルフはそれを剣の赤い刃で的確に打ち落としていく。それと同時ウォルフは〈運命の証〉を数度連射するが、動きを読まれていた為にウィラードには体捌きだけで躱される。
そして銃撃を躱された直後、ウィラードに距離を詰められ鞭の殴打を喰らった。その衝撃から胃液を吐き出しそうになるも、ウォルフは懸命に堪え、幾度目の殴打の直後に右脇で棒状にされた鞭の先を掴んで固定し、代わりに左の剣を振り下ろす。その瞬間、修羅の行動は早かった。彼は即座に鞭の柄から手を離し、代わりに振り下ろされる寸前のウォルフの腕を右手で掴み上げ捻り折る事で剣を取り落とさせる。次いで彼は腰に吊るした剣の柄に手を伸ばし、左手から刃を生じさせる。柄を逆手で握り、小指の先に刃が来る様になっている。そしてウィラードは拳を浴びせる様な形でウォルフに斬撃を見舞おうとする。
「――獲ったぞ」
ウォルフの回避は間に合わなかった。右の銃を向けるには遅く、左腕は再生能力で完治させるには一拍足りない。その一撃は腹部を狙った物で、喰らえば身体の上と下は泣き別れになるだろう。攻撃を阻む物は無い。その一撃は死のメタファーだ。
剣が舞う。
「〈運命の証〉とも仲は良い様だな」
その一撃を阻んだのは、〈運命の証〉による障壁だった。〈運命の証〉の張った障壁はガラスの様な音を立てて粉砕するも、僅かな半歩ばかりのバックステップを踏むだけの時間を稼いでくれた。
ウィラードの剣はほんの僅かに威力を殺され、けして浅くない傷ではあるがウォルフの胴を皮一枚で繋げた。
ウォルフは即座に距離を離して銃と鞭を構える。だが、その刹那にウィラードと目が合った。ウィラードは二刀を構えてそこに立っていた。ウォルフは一つ計算に入れ忘れた事が有る。それはウィラードのサイボーグ・ボディの冷却速度だ。ナヴァロンを手放した今、それもまた短縮時間が上がっていた。
マインド・プロテクションはウィラードの手前で生まれ、彼が剣を振る事で爆ぜる。
その精神エネルギーは散弾となって殺到する。ウォルフはそれを鞭と銃で散弾を最小限の損傷にする為一つずつ打ち落として行くが、間に合う事は無かった。修羅は跳び、再び運命の男を刃圏に収める。
しかし、ウォルフも黙って斬られはしなかった。繰り出される右の剣を棒状化した鞭で押さえ、左の剣を〈運命の証〉でその二刀の強襲を防ぐ。
そしてまた鍔迫り合いの様な形で二人の身体が止まった。双方の得物は数秒も経たない内に熱を持ち、白熱化し火花を散らす。
「――ウォルフ、俺は世界の命運なんてどうでも良い。イハルシャスの享楽にも興味は無い」
「だろうな」
「ただ、この日この瞬間を味わう為に生まれた。全てはこの一時の為に。ただ一度だけ言おう。感謝するぞ、ウォルフ・スランジバック……」
やがて、その時がやって来る。ウィラードは右の剣でウォルフの鞭を弾き飛ばす。鞭と剣は絡み合い交錯し、ある一点に達した瞬間ウォルフの手を離れた。そして左の剣を回して〈運命の証〉を外した後、その剣で逆袈裟を狙う。生存本能の為した業か。ウォルフは直後半歩下がった事によって回避。〈運命の証〉を振り上げてウィラードの心臓を撃とうとした。
だが、ここであの現象が起きる。彼に宿った宿業。遺伝病による腕の痙攣癖だ。それは彼から〈運命の証〉を取り落とさせる。
「最後の最後で運を味方につけなかった――それが貴様の敗因だ!」
そして、右の剣が心臓へと向けられる。
それを見て、イハルシャスは無意識に呟いていた。
「そのルートか……」
その声音は、何処か気落ちしている様にも聞こえた。
その存在を認識したのは、来た当初最後まで読んだキャプテン・スランジバックでの描写。その場所を把握したのは、〈怪鳥号〉の整備をしている最中。裏付けは〈運命の証〉のあの言葉。彼はイハルシャスとの会話の裏でその戦略を立てていたのである。自分の資質を改竄しても、一回分は奇跡が余ると。彼は勝利に向かってそれを掴む。
ウィラードは目の前に起こった奇跡を見た。コートの裏から、ウォルフの左手に一つの銃を取る。
その銃をウィラードは知っている。それは彼のもう一人の宿敵であるレオパルド・スランジバックが、たった一度だけ披露した二挺拳銃で〈運命の証〉と共に使った銃。レオパルドが唯一他人の手に整備を任せた一挺。何より、それは彼に引導を渡した得物。その銃は持ち主の人生を表すかの様に傷に塗れていた。銃口が一度、鈍く光る。
「何から何までやるじゃないか、ウォルフ・スランジバック。そうでなくては」
マインド・プロテクションも加速装置も使用不可能。互いに回避も防御も出来ない。状況を言い表す言葉はただ一つ、相手が死ぬかこちらが死ぬか。その状況を頭の中で瞬時に理解した後、ウィラードはそれでも喜悦を絶やす事なく最後の勝負へ躍り出た。
――そして、勝負の幕が閉じる。
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