第3話:購買の校章と壊れた約束
翌朝。雫は通学路の全てが違って見えた。
昨日、写真の隅に見つけた、ユウのポケットから覗いていた青いアクセサリー。それは、紛れもなく雫が通う白峰高校の**「飛翔」の校章キーホルダー**によく似ていた。
(ユウくんが、どうしてうちの高校の校章を持っているんだろう?)
考えられる可能性はいくつかあった。卒業生、あるいは、単なる偶然。だが、雫の心はすでに「何か手がかりがある」という一点に集中していた。
登校後、雫はすぐに教室を抜け出し、普段はほとんど足を踏み入れない校内の購買へ向かった。
購買のおばちゃんは、いつも通り朗らかにパンを並べている。雫は緊張で少しどもりながら、「あの、校章のキーホルダーって、まだ売ってますか?」と尋ねた。
「ああ、キーホルダーね。卒業生の子が記念に買っていくこともあるからね。あるよ」
おばちゃんが奥から取り出してきたのは、まさにユウの写真に映っていたものと同じ、濃い青色の、翼を広げたようなデザインの校章キーホルダーだった。
「これって、うちの生徒しか買わないですよね?」
雫は核心に迫りたくて、思わず問いかけた。
「まあねぇ。うちの卒業生か、在校生が誰かにプレゼントするくらいじゃないかね。どうしたの、雫ちゃん?誰かにあげるの?」
「いえ、なんでもありません」
雫はそれ以上追及するのを止め、キーホルダーを一つ買った。握りしめたキーホルダーが、熱を持った石のように感じられた。
(ユウくんは、本当にこの高校の卒業生なのかもしれない。だとしたら、私と同じ場所で、同じ時間を過ごしていたんだ)
その事実は、雫とユウの間の壁を、一気に崩してしまうようだった。遠い「光」だったユウが、急に手の届く人間になった気がした。
雫はその日一日中、上の空だった。授業の内容は全く頭に入らず、購買のキーホルダーを手に入れた興奮と、ユウの秘密を探りたいという焦燥感に支配されていた。
そして、放課後。
葵は、昨日話していた通り、模擬店の配置決めの会議に出ていた。雫は、今日は手伝わなくていいと言われたのをいいことに、真っ直ぐ家に帰った。
家に帰るなり、雫はパソコンを立ち上げ、ユウの過去のブログやSNSの投稿を、以前にも増して熱心に調べ始めた。「高校」「卒業」「白峰」といったキーワードで、何時間も検索を続けた。
その時、一本の着信があった。葵からだ。
雫は一瞬、無視しようかと思った。葵は今、文化祭の重要な会議の真っ只中のはずだ。
しかし、鳴り続けるスマホを無視できず、慌てて応答した。
「もしもし、葵?」
『雫!よかった、出てくれて!』
葵の声は、ひどく焦っていた。
『ごめんね、今会議中なんだけど、ちょっと大変なの!』
「どうしたの?」
『模擬店の配置、私たちの案が通らなくて、急遽ポスターのキャッチフレーズとデザインを一部変更しなきゃいけなくなったの。先生が言うには、ポスターのサイズもちょっと修正が必要で……。雫にしか頼めない、あの文字のデザインの部分、今すぐ直してほしいんだけど、来れないかな?』
昨日は「ゆっくり休んでね」と言ってくれたばかりなのに、と雫は一瞬不満を覚えた。しかし、葵が本当に困っているのは伝わってきた。
「今から行くのはちょっと……」
『お願い!会議が長引いてて、私、抜けられなくて。雫にデータ送るから、家でやってもらえないかな?あと三十分で印刷所に送らないと、文化祭に間に合わないんだって!』
葵の切羽詰まった声に、雫はためらった。
(今、ユウくんの過去のブログで、怪しい投稿を見つけたばかりなのに……)
ユウのブログには、デビュー前のユウらしき人物が「自分の夢を叶えるために、この場所を離れる」という内容を綴った、意味深な日記が残されていた。場所は明記されていないが、その写真に映り込んだ校舎の影が、白峰高校の特別棟の形によく似ていた。
この手がかりを追えば、ユウの卒業年度、そして彼がアイドルになった理由に辿り着けるかもしれない。
雫の心の中で、ユウの秘密と、葵の現実のピンチが激しく衝突した。
「ごめん、葵……。今、どうしても外せない用事があって。急いでるなら、他の人に頼んでくれないかな」
『えっ……?』
葵の声が、明らかに凍り付いた。
『他の人って……このデザイン、雫にしかできないでしょ。それに、ポスター作り、一緒にやるって約束したじゃん。**「アオハル☆マジック」**って、一緒に考えたんだよ?』
雫は、葵が約束という言葉を強調したことに、胸を抉られるような痛みを感じた。しかし、ユウのSOSが、それ以上に重くのしかかっていた。
「ごめんね。また明日、埋め合わせするから」
雫はそれだけ言って、通話を一方的に切った。罪悪感で手が震えたが、すぐにその震えを抑え込み、再びパソコンの画面に向き直った。
(仕方ない。これは、ユウくんを助けるためなんだ。文化祭のポスターなんて、ユウくんの未来に比べたら……)
自己弁護をしながら、雫はユウのブログの解析を再開した。数分後、解析ツールの手がかりから、ブログに付与されていた位置情報タグを特定した。
その位置は、やはり白峰高校の住所と一致した。
「やっぱりだ……!」
勝利の確信に震える雫だったが、その時、部屋のドアがノックされた。
「雫、いる?」
母の声だ。雫が返事をすると、母は入ってきた。
「電話、鳴ってたわよ。さっきの子じゃないけど、また高校から。文化祭の実行委員の子が、すごく困ってるって」
母の言葉に、雫は全身の血の気が引いた。
「ポスターの件で、締め切りが迫ってるから、なんとか協力してあげてほしいって。何かあったの?あなた、あんなに楽しそうに準備してたのに、どうしたの急に」
母の心配そうな視線と、スマホに残された葵からの最後のメッセージが、雫の心に重くのしかかる。
――葵からのメッセージ――
分かった。もういいよ。ごめんね、会議中に電話しちゃって。ポスター、私一人で何とかするから。でも、「アオハル☆マジック」って、ユウくんの曲のタイトルなんだってね。雫が、私との約束より、そっちを選んだんだなって、分かったよ。
――――
葵は、雫が「アオハル☆マジック」を文化祭のためではなく、推しに由来する言葉として使っていたことを知っていたのだ。そして、その推しを選んだことで、自分との関係を壊したことを、静かに突きつけてきた。
雫は、ユウの秘密に一歩近づいた代わりに、現実の大切な友情という大きな代償を払ってしまったことに気づき、涙が溢れた。
泣けるのは、ユウの物語だけではない。自分の手で壊してしまった、現実の小さな青春の輝きだった。
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