にんぎょすくい


 ケンイチ君の学校からのかえり道には、橋があります

 とてもちいさな橋で、かけっこのおそいケンイチ君でも、走れば十秒でわたれます。だから、その下にながれる川もとてもほそくて、おさかななんて、住んでいません。


 金魚すくいのおじさんをはじめて見たのは、夏休みも近づいてきた、七月のことです。

 ケンイチ君は友達とさよならをして、一人でした。おじさんは、ちいさな橋のまんなかで、すわりこんでいました。

 へんなかっこうをしていました。まほう使いがかぶるみたいな三角のぼうしをかぶっていて、服は海水パンツだけでした。ほかにはなにももっていません。


 ケンイチ君がとおりすぎようとすると、おじさんが声をかけてきました

「きみ、にんぎょをすくわないかい?」

「金魚? 金魚なんて、どこにもいないじゃないか」

 ケンイチ君がいうと、おじさんはわらいました。

「なるほど、金魚でいいか。それじゃ、いまから金魚を出すよ」


 おじさんは両手をあわせました。とても大きな手でした。ゆっくりと手をひらくと、そこには水がたっぷりとあって、小さくて真っ赤な金魚が一匹だけ、ゆらゆらと泳いでいました。いままでにケンイチ君が見た、どの金魚よりもきれいな金魚でした。

「さあ、金魚をすくわないかい?」

「でも、ぼくお金をもってないよ」

「お代はいらないよ。ただし、チャンスは一回きりださあ、やるのなら、おじさんのぼうしのつばの上をさがしてごらん」

 いわれたとおりに、ぼうしのつばをさがすと、小さなポイとおわんがありました。


「さあ、やってごらん」

 ケンイチ君は、金魚すくいが好きです。さっそく、おじさんのてのひらをのぞきこんで、

小さな真っ赤な金魚をすくおうとしました。けれども、ケンイチ君はいままで、金魚すくいをうまくできたことがないのです。

 今回も、ポイはすぐにやぶれてしまいました。

「ああ、ざんねん。それじゃ、きょうはこれでおしまいだ」

 おじさんが手をとじて、またひらくと、金魚もたくさんの水も、もうどこにもありませんでした。ケンイチ君はがっかりして、おうちにかえりました。


 つぎの日も、おじさんはおんなじばしょで、おんなじようにすわりこんでいました。

「やあ、きたね。きょうも、金魚をすくうかい?」

「でも、チャンスは一度きりなんでしょう?」

「一日に一度きりなんだ。さあ、きょうはどうするんだい? やるのかい?」

 ケンイチ君はうなずいて、きのうとおなじように、ぼうしのつばからポイとおわんをとりだしました。おじさんの大きな手のひらにいるのは、きのうとおなじ、小さな真っ赤な金魚でした。


 今回は、ケンイチ君もしんちょうです。きのうとおなじしっぱいはできません。

 ゆっくりと、あせらずに、金魚がしずかになったしゅんかんをねらって

「えいっ。あっ、しまった」

 ざんねん、またケンイチ君はしっぱいしてしまいました。

「それじゃ、きょうもこれでおしまいだ。またあしただね」

 おじさんは手をとじて、金魚はまたどこかへ行ってしまいました。


 それから毎日、ケンイチ君はきんぎょすくいをしました。

 おじさんはいつもおなじばしょでおなじようにすわっていて、てのひらの金魚も、いつもおなじ小さな真っ赤なかわいい金魚でした。

「かならず、あいつをすくってやるぞ」

 ケンイチ君はかたく決意しましたが、なかなかうまくいきません。ポイはとてもやぶれやすく、金魚は小さいのにとてもげんきでした。


「なかなかうまくいかないね。もうあきらめるかい?」

 九日目がしっぱいにおわったとき、おじさんはいいました。ケンイチ君は、くびをふります。

「ぜったいに、こいつをすくってみせるんだ」

「よっぽどこの金魚が気に入ったんだね」

 おじさんはわらいました。


 十日がたって、十五日がたちました。あしたから、いよいよなつやすみです。

 ケンイチ君は、その日、いつもよりもっとがんばるつもりでした。

「なつやすみは、あのきんぎょとすごすんだ」

 そう思っていたからです。

「おじさん、しょうぶ!」

 いつものように、そう云います。おじさんも、いつもどおりに、ゆっくりとてのひらをひらきます。そのなかにいる金魚の赤さも、いつもどおりでした。けれど結果はいつもどおりにはさせません。


 ケンイチ君は、金魚をじっとにらみます。

 ケンイチ君は今までのしっぱいから考えて、いろいろためしてきました。金魚をすくう方向、ポイの角度をいままでのしっぱいから学びました。きのうの夜は、おふろですばやくすくいあげる練習もしました。あまりにむちゅうになって練習したせいで、心配になってのぞきにきたお母さんにおこられてしまうほどです。


 あとは、本番だけです。

 ケンイチ君は、じっとおじさんのてのひらを見つめます。

 おじさんの手の中にある水たまりは、ひどく小さいはずなのに、まるで海のようです。その海のなかを、小さな小さな金魚が、ぽつんと泳いでいます。


 と、金魚の動きが止まりました。そして、くるりと背を向けます。

「いまだ!」

 ケンイチ君の両手がすばやく動きます。右手のポイがななめに水の中につっこみ、左手のおわんがそのすぐそばにそえられます。

 えいっ、ケンイチ君の右手がすばやく回転し、ポイは水から出て、おわんの中に入りました。


 おわんの中には、きんぎょが入っています。

「やった。やったぞ」

 ケンイチ君は思わず大声を上げました。

「おめでとう、ケンイチ君」

 おじさんはにっこりとわらうと、ケンイチ君のおわんをとりあげ、さかさまにしました。


 あっ、とおどろく間もありません。

 金魚はまっさかさまに地面に落ちてしまいます。


 おどろいたのは、それからです。

 地面におちた金魚はみるみる大きくなり、ケンイチ君よりも大きくなってしまいました。

 そして、金魚ではなくなっていました。


 金魚は、美しい人魚になっていたのです。


「ありがとうございます」

 人魚はいいました。

「私はわるいまほうつかいにとらわれて、金魚にかえられていたのです。あなたのおかげで助かりました。これで、海にかえれます」

 人魚はケンイチ君にあたまをさげると、橋からとびおりました。そして、細い川をゆうがに泳いで、あっという間もなく消えてしまいました。


「ざんねんだったね」

 おじさんはまだわらっていました。

「がんばってすくったのに、きみはなにも手に入れられなかったね。世の中とは、こういうものなんだよ。がっかりしたかい?」


 ケンイチ君はちょっと考えてから、首をふりました。

「ううん。あの人魚は、ありがとうといったよ。それに」

「それに?」

「とても楽しかったよ。おじさん、ありがとう」


 ケンイチ君の言葉をきいたおじさんは、今度こそひどくおかしそうに、おおわらいしました。

「おじさんのまけだよ、ケンイチ君。人魚のかわりに、きみにはこれをあげよう」

 そういって、おじさんがまた両手をとじて、開くと、そこには、ビニールぶくろにつつまれた一ぴきの金魚がいました。


「それでは、おじさんはお店じまいだ。さようなら」

 おじさんはケンイチ君に金魚の入ったビニールぶくろをてわたすと、人魚とは反対側にとびおりてしまいました。

 ケンイチ君はすぐに橋のしたををのぞきこんだけれど、そこにはもう、だれもいませんでした。川はひどく浅くて、小さなケンイチ君のひざまでしかないのに、人魚もおじさんも、どうやって泳いでいったのでしょう?


「ただいま、お母さん」

 おうちにかえったケンイチ君は、お母さんにいいました。

「ぼく、人魚をすくったよ」

 お母さんは、ビニールぶくろを見て、ほほえみます。

「あら、本当。とてもかわいい金魚さんね」

 お母さんは、金魚をげんかんのすいそうに入れました。ケンイチ君は、げんかんの金魚をみるたびに、あのおじさんと人魚のことを思い出すでしょう。


 おじさんがくれたのは、すてきな夏の思い出だったのです。



     おしまい

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