聖女の登板と魔王の真意


舞台裏の魔王

シオンの命がけの宣言により解放された魔王リリスは、もう二度と公の場に、魔王の姿はもちろん、町娘の姿でも顔を出すことはできなかった。他国の外交官たちの前で正体を露呈したことは、彼女の「表の顔」としての役割を完全に終わらせた。


王城の地下深くに設けられた、リリス専用の「戦略司令室」そこには、シオンとフィオナ、そしてリリスの三者だけが集まっていた。


リリスは、巨大な世界地図を前に、フィオナに向き直った。


「私の失態により、国際協定の締結は困難になりました。そこで、フィオナ様。外交戦略の柱として、貴女に表舞台に立っていただきたい」


リリスは、冷静な口調で続けた。「貴女は道徳的権威があり、私の改革案がもたらした成果の証人でもある。貴女が『魔王の知性』ではなく、『人類の理想』のために行動していると示すことで、協定締結への架け橋を紡ぐことができる」


シオンはニヤニヤと笑いながら言った。「リリス様の代打だぜ、聖女様。最高の役柄だ」


フィオナは、静かにリリスを見つめた。


聖女の洞察

「……本当は、貴女が自分の目で見たかったのでしょう?」フィオナは静かに尋ねた。


リリスは一瞬、目を見開いたが、すぐに表情を取り繕った。「何のことでしょう、フィオナ様。私は、この『共存』という設計図の完成を見られれば十分です」


フィオナは首を横に振った。

「いいえ。貴女は、この国際会議の場で、協定が締結され、各国代表が魔族との平和を誓う瞬間を、魔王として自分の目で確認したかった。そして、『人間を統率し、平和を実現したのは、私という魔王の知性だ』という事実を、心の中で証明したかった。そうでなければ、あんなに周到に準備した場を、自ら崩壊させるような失態は犯さない」


フィオナの言葉は、リリスの最も深奥にあるプライドを正確に射抜いていた。魔王リリスは、人間を支配するのではなく、人間を導き、平和を完成させた偉大な存在として、その瞬間を独占したかったのだ。


「自分の目で、人間が膝を屈し、平和を受け入れる瞬間を見たかったのよ。それが、貴女の『愛』、私の愛とは違う、支配的で、傲慢な愛です」


魔王の諦めと継承

リリスはしばらく沈黙した後、小さく息を吐いた。彼女の冷徹な仮面が崩れ、人間的な「悔しさ」が滲む。


「……さすが、フィオナ様。貴女は、私が聖女として最も信頼した人間です。ええ、その通り。私は、自分の手で、この計画を完成させたかった」


リリスは、皮肉を込めて自嘲した。「しかし、計画に失敗はつきもの。シオン様が、自らの血統を犠牲にしてまで私を必要とした以上、私はもう後戻りはできません」


リリスは、世界地図の前に立つフィオナに、敬意をもって頭を下げた。


「貴女の洞察力と、貴女の清らかな愛こそが、今、人類に必要なものです。私が築いた内政の土台と、シオン様の武力と知名度、そして貴女の道徳的権威。これらが組み合わされば、協定は必ず締結できる」


「表の顔は貴女です。私はこの地下から、すべての情報を貴女に提供する。フィオナ様、人類の平和という『私の未完の夢』を、貴女の清い手で完成させてください」


リリスは、外交の主役の座を、自らの理想を理解するフィオナに託した。聖女フィオナは、元勇者の妻となった魔王リリスの「未完の夢」を背負い、人類史上最も困難な外交の舞台へと向かうことになった。

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