聖女の純愛と乱入
聖女の憂鬱と希望
聖女フィオナは、幼い頃から勇者シオンを一途に慕い続けていた。彼の軽薄な言動の裏にある孤独と、仲間を深く慈しむ不器用な優しさを理解していたのは、世界で彼女だけだと信じていた。
それだけに、シオンが谷に落ちて「死んだ」という報せは、フィオナの心を深く抉った。公の場では気丈に振る舞ったが、王城の自室に戻れば、彼女は窓の外をただ見つめ、憂鬱な気分から抜け出せずにいた。
「どうして、あんなふざけた最期を選んだの、シオン…」
世界から色が失われたかのように感じていたある日、王城内に信じられない噂が広まった。
「聞きましたか、聖女様? 亡くなったはずの勇者様が、とある町娘に助けられていたとか!」
「そして、その娘と共に王城へ戻られたそうです!」
フィオナの心に、数年ぶりに強い光が差した。シオンが生きていたという事実だけで、彼女の魂は震えた。
扉の向こうの「求婚」
シオンが運ばれた、あるいは連れられたとされる王城の奥の間。フィオナは逸る気持ちを抑え、人払いをして部屋の前まで辿り着いた。
扉は固く閉ざされているが、中からは確かにシオンの声が聞こえてくる。「……だから、話は分かったって。俺がこの茶番の『愛の証』ってやつになりゃいいんだろ?」シオンの声は、いつものふざけた調子で、しかしどこか諦めが滲んでいた。
フィオナは思わず扉に耳を傾けた。
次に聞こえたのは、町娘の姿をした魔王リリスの、透き通るような声だった。「その通りだ、シオン様。貴方の名誉ある生存と、私の純粋な愛。この二つがあれば、私たちは世界を救うための新しい政治勢力となれるのです」
「愛か……。まあいいさ。それじゃ、結婚ってことで、話を進めてくれ、リリス」
シオンが口にした「結婚」という言葉が、フィオナの全身を電撃のように貫いた。一途に彼を想い続けてきた彼女にとって、それは受け入れがたい現実だった。
「私の命を救った恩人だ。町娘のリリスさんと、私は結婚するつもりだ。そう、この場で決めたんだ」
シオンの軽薄な、しかし有無を言わせぬ断言が、フィオナの理性を吹き飛ばした。
【 聖女の「待った」】
フィオナは、扉を掴む手に力を込めた。自分の愛が、そして世界における自分の立場が、この扉一枚の向こう側で、魔王の策略によって利用され、そして塗り潰されようとしている。
ガチャリ。
フィオナは、高位の聖職者しか持つことを許されない、王城の鍵で扉を勢いよく開け放った。
部屋の中央には、シオンと、彼の傍に立つ町娘姿のリリス。二人は驚いた様子でフィオナに視線を向けた。フィオナは、王国の象徴ともいえる純白のローブを翻し、普段の穏やかな聖女としての顔をかなぐり捨てた、強い決意を秘めた声で叫んだ。
「その結婚! ちょっと待ったぁ!」
シオンは頭を掻き、困ったように笑った。
「おや、聖女様。こんなところで、一体何の乱入劇だい? 新しい世界の変革は、静かな結婚から始める予定だったんだが」
フィオナはシオンをまっすぐ見つめ、そしてリリスに向き直った。
「その方が、本当にシオン様の心を射止めた『純粋な愛』によるものなら、私も祝福しましょう。ですが……」
彼女は、シオンの瞳の奥に宿る諦念と、町娘の瞳の奥に潜む冷徹な計算を見抜いていた。
「シオン様を戦争から逃亡させ、死を偽装させたほどの巨大な闇が、この結婚には関わっている。私は、勇者様との結婚を、世界の危機から守るために、この場にいます」
聖女の乱入により、魔王リリスが仕掛けた「純愛」という名の壮大な政治劇は、予期せぬ局面を迎えることとなった。
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