勇者は現実から逃げた。魔王は世界を直すために勇者を探した。
南賀 赤井
プロローグ
亡命と噂
勇者、シオンは、その悪名高い「ふざけた返し」で知られていた。戦場での彼の言葉は軽薄で調子っぱずれだが、その内なる正義感は本物だった。しかし、彼の優しさは、仲間が危機に瀕した瞬間に「敵」とみなしたものを容赦なく潰すという、冷徹な行動と表裏一体であった。
国同士の戦争で道具のように使われ続けたシオンの心は、硝煙と血の臭いの中で徐々に疲弊していった。
「なあ、どうせ俺は壊れた兵器だ。なら、いっそ壊れたフリで世界から消えよう」
彼はある日、戦地近くの深い谷から「自殺したかのように」落ちる姿を見せて消息を絶った。その後の数年間、シオンは顔と名前を変え、近隣諸国をひっそりと旅していた。
そんな旅路の最中、宿場の酒場で、信じられない風の噂を耳にした。
「聞いたか? 魔王が、新しく選ばれた勇者に討伐されたそうだ!」
シオンは冷めたエールを飲み干しながら考えた。
「ふむ、俺の次に誰か別の勇者が選ばれたんだろう。まあ、どうでもいいか」
透明な追跡者
旅を続けるある日、シオンは強烈な魔法の気配を感じた。それは姿を消す高度な隠蔽魔法で、彼の後をつけている。
「ふざけんな。やっと人間関係の面倒から解放されたってのに、今度は幽霊か?」
追手が王国からの暗殺者、あるいは彼を「裏切り者」とみなした者だと直感したシオンは、人目のない深く暗い森へと相手を誘導した。
木々のざわめきだけが響く静寂の中、シオンは軽薄な声で言った。
「なあ、透明さん。かくれんぼはもうおしまいだろ? 誰だ、分かってるぞ。いい加減出てこいよ、タネも仕掛けもないってつまんない手品だぜ」
彼の「カマかけ」は完璧に相手の心理を捉えていた。
フッと、空気の揺らぎと共に、一人の若い女性が現れた。深紅の瞳と夜の闇のような長い髪を持つ、人間の姿をした魔王だった。
「ふざけているのはお前の方だ、シオン」
魔王の告白と目的
「な、なんだって? 魔王だと? 討伐されたんじゃなかったのかよ。それとも、アンタは二代目魔王とかいう、もっとふざけたジョークか?」シオンは動揺を隠すように笑った。
魔王は静かに答えた。
「討伐? それは王国の暗殺者によるクーデターの証言を元にした、私の『死亡偽装』だ。私が倒されたという噂は、私の敵対勢力が流した眉唾物に過ぎない」
そして、魔王はシオンの顔をまっすぐ見据えた。
「そして、お前だ、シオン。お前の『谷落ち自殺』は、あまりにも用意周到すぎた。お前のような男が、目的も無く消えるはずがない。私はすぐに気づいたよ。そして、世界を混乱させるより、お前という『道具』を手元に置く方が早いと考えた」
魔王の名はリリス。彼女の真の目的は、
1. 勇者シオンを自軍に迎え入れ、彼の力を以て人間同士の醜い戦争を強制的に終結させること。
2. その上で、人間側の良心である聖女様と同盟を組み、世界の秩序を再構築すること。
複雑化する世界
しかし、シオンが姿を消し、魔王が「討伐された」とされたこの数年で、世界情勢は予想だにしない方向へと変化していた。
世界政治の変容
• 人間の戦争の終結
シオンという「絶対的な抑止力」が消えたことで、大国間の均衡が崩れ、かえって小競り合いが増加し、難民問題が深刻化していた。
• 新興勢力の台頭
「魔王討伐」の噂を真に受けた国々は、長年の敵であった魔王軍の脅威がなくなったと判断。国境付近にいた魔族や亜人種への差別と攻撃を強め、新たな人種間戦争を引き起こしていた。
• 聖女様の立場
聖女様は、人間の王国の非人道的な戦争を批判し、中立的な立場を取るようになっていた。しかし、その「中立」は、魔王軍を刺激しないための消極的な協調とも解釈され、人間側からは裏切り者と見なされ始めていた。
リリスは、シオンに真剣な目を向けて訴えた。
「シオン。私たちの計画は、かつては『人間同士の戦争』を『魔王軍と人間との戦争』に変えることで、人間社会の政治構造を一気に単純化し、最終的に和平に導くものだった。しかし、今は違う。人間社会はより分裂し、憎しみの連鎖はより複雑な形になった。人間の愚かさは、魔族の脅威が無くても止まらなかった」
シオンは、久しぶりにふざけた顔を引っ込めた。彼の心臓が、戦争に駆り出されていた時と同じように、重く脈打つのを感じた。
「マジかよ…。俺が逃げたせいで、世界はもっとふざけた場所になっちまったってわけか…」
魔王リリスは静かに、しかし決意を込めた口調で言った。
「お前が『逃げた』結果がこれだ。さあ、『元勇者』よ。今度は私の手元で、この複雑に絡み合った世界をどうにかする手伝いをしろ。お前の力と、その歪んだ優しさが、今こそ必要だ」
シオンの旅は終わった。彼は、かつて自らを疲弊させた戦争の終結ではなく、より複雑で、より難解な「世界政治の再構築」という戦場に立たされることになった。
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