第19話:かつての貴方へ




 前世というものを信じるか―――。



 ………。

 不意に発されたその言葉に、僕はちょっとかなりすごくドキッとした。


 ―――前世。

 まさか、彼女の口からそのような言葉が……、いや。

 むしろ物語を愛する少女だからこそ、か?

 それとも、本当に……見透かされただけ?


 そもそも、目の前の女性は本来、頭脳という面では僕がまるで太刀打ちできないほどの天才なのだ。

 或いは、彼女ならば本当に辿り着くくらい……。



「……。このような本を沢山読んでいるからなのでしょうね……」



 極めて面食らったような顔を作り、黙して待ちの姿勢を維持する中で……、対する、既に真横の距離まで接近している令嬢は、僕の心中を知ってか知らずか、ゆっくりと語り始めて……。

 純白の長手袋に覆われたしなやかな指が、卓上に置かれていた本を撫でる。

 幻想的な程の美しさを持つ、それこそ彼女自身が物語の登場人物になり得るだろう令嬢は、何かに浸るように儚げに微笑み。



「私、時折夢に見るのです。小さな世界から。白い箱庭の部屋から、いつか一人の勇者が連れ出してくださる事を。一緒に行こうって……私の手を取ってくださるのを」

「…………」

「うふふっ……。おかしい、ですよね?」



 ………。

 いや。



「おかしいより……、意外―――ですかね。敢えて言葉を見つけるのであればですが。よもや、ローゼマリー様にそのような秘めたる思いが……」

「勿論、今の暮らしに不満などはありませんよ? お父様も、お母様も、お兄様たちも……皆、私の大切な家族。仕えてくれる者たちも、誰一人私の事を拒絶する者はいませんでした。今の私は、十分に幸せです」



 実際そうだろう。

 持ち得る権力はともかくとして、客観的に、思想の面でオクターヴは異端寄りの貴族家と言える。

 それが持っている者ゆえ、余裕があるからこその善性と言えば確かにそうだけど、何処までも果てを求め続けるのが当然のさがである貴族社会において、ここまで家族間での繋がりが大きく、結束があり、また相互理解が完成された家は類を見ない。

 親にとっての子供は更なる道を拓く政治のであり、子供にとっての親は超えていくべき―――本来の貴族の在り方とはそういうものだと。

 それが当たり前に浸透しているのがこの帝国の在り方……貴族社会なのに、だ。


 そういう意味で、身体的な不都合を持っている彼女はそれを補って余りある星の下に生まれている。

 学生時代や領主になったばかりの頃などに聞こえてきた逸話、或いは風の噂。

 神域の才女―――そう呼ばれた彼女の生まれ持った才能が無駄にならず、かつ障害を感じさせない生活というのはそれだけで奇跡。

 末の子供……それも女に生まれた時点で、貴族家での扱いはおおよそ定められたものの筈なのに。



 淑やかさと有り余る智慧に反し、本当におてんばなのか……?



「―――ふふ……。えぇ、深く受け止めないでください? レイク様。これは、あくまでなのです。思考が肉体を離れた際の、夢。ここではない何処か。私ではない誰かの……、夢」



「叶わぬからこその、夢なのですよ」



 ………。


 悲壮、悲哀など感じさせない微笑み。

 震えてもいない確かなソレはしかし、どうしてか……彼女の、今に消えてしまいそうな儚さと相まる事で、僕の胸に重い何かがずっしりと圧し掛かるように思えて。


 決して譲れない、大切な何かが震えるようで。



「叶わぬからこそ―――。左様……、ですか……」



 僕はてっきり、彼女にはそういう願望なんかないと思ってた。

 有り余る時間をただ静かに自分の興味で埋め、埋め尽くして……偶に、誰かと意見を交換して笑う。

 それだけで満ち足りているのだと、勝手に考えていた。

 この肆の月……目が見えている間の時間、その一年の間に世に送り出された本を一度に読み覚え、あとの期間を頭に記憶した本を読んで過ごす―――ハッキリ、常人とはかけ離れた生活。


 けど、それこそが彼女の一年だと。

 それを最初に聞いたとき、ローゼマリー様にとっての満ち足りた生活とはそうなのだと。

 智の申し子たる彼女の在り方に、僕は疑問など抱かなかった。

 

 ―――けど、実際はそうじゃなかった。


 だって、確かに彼女は言ったんだ。


 外へ出てみたいと。

 僕の生まれた領を見てみたいと。

 捌かれたままの肉が焼かれてすぐのモノを味わってみたいと。

 今しがたの会話だけで、彼女は自分の「やりたい」を幾つも語っていた。


 彼女は、確かに己の中の夢を語ったのだ。

 

 ……なら。

 僕だって、言いたい放題に語って良い筈だ。



「なれば―――これも、深くは考えないでほしいのですがね。ローゼマリー様を見ていると、何か……そう。何か、大切な記憶が蘇ってくるようなのです、私自身も」

「記憶……、なのですか?」

「えぇ。そうです……。前世、ではありませんが。私も偶に夢に見る事があるのですよ。己が、貴族ではなく只の一個人として生きていたならば、と。恐らくはそのような夢で……」



 僕は―――彼は。

 少年は時間も政務も領民たちの事も、何一つ気にせず。

 ただ己の為、己の世界を広げる為だけに駆けまわり、何処までも遊びに行った。


 実際、何処まででも行けた。

 友達と、何を憂うでもなく猿のように騒いだ。

 漫画や小説を読み漁ったりゲームをしたり、ジャンクフードを食い漁り……笑って、騒いで、楽しんで……。


 そしてある時、己が果てを―――定めを知った。



「何処までも行けるような気がして―――、駆けた。しかし、必ず夢の中の私はある時急に立ち止まり、座り込んで思うのです。考えるのです。己の生きる意味。自分が生まれてきた意味、意義を」

「……………」

「やがて停滞し、動けなくなり。何かを探すようにその場で辺りを見渡し、しかし見つからない。そもそも自分が何を求めているのか。探して、最早走れぬ足で歩いて、……どれだけ探したか」



「―――そんな中で、見つけるのです」



 孤独……誰もいなくなった視界の中で、彼はたった一人。

 ある時ようやく、覗き込んだ世界にいた存在だれかを見つけた。


 その瞬間、彼は本当に嬉しそうに……。



「分からない。それが果たして誰なのか。何なのか、分からない。しかし、見つけた瞬間、決まって彼は跳びあがらんばかりに喜ぶのですよ。……きっと、出会えたことが嬉しかったのでしょう」



「人は、一人では生きられません。聡明な私の事です。きっと、気付いたのでしょう。人は意味を誰かに与えられ、ようやく満ち足りることができるのだと。ゆえに、その私はを―――自分の生まれた意味を求めて、彷徨さまようのでしょう。忘却した中で、ずっと……ずっと」



 生まれた意味を求めて、手を伸ばす。


 いつだってそうだった。

 僕の中の記憶は、いつだって手を伸ばしていた。


 届かぬ何かへ。

 届いた誰かへ。

 そして……、再び届かなくなった彼女へ。



「いつだって手を伸ばし、必死に身体を引き摺ろうとして……。けれど、身体は動かない。己の無力に深く怒りを覚え……。それでも、諦められない」



 正直、かつてアルベリヒが言った言葉は事実だ。

 僕は既に恵まれている。

 例え、僕が歴代の当主と同じような道に堕ちたとしても、僕自身は大きな不自由なく一生を終えることができただろう。

 その程度の領地と糧、金くらいはあった。

 

 では、何故それを捨ててこのような……苦難と困難、苦しみの道を進もうなんて狂った真似をし始めたのか。

 ―――全部、夢が悪い。

 忘れてしまった、己の過去が悪い。


 打ち込まれた「根柢の願い」が悪い。



「夢は見るもの……、叶わぬからこそ夢? えぇ、そうでしょう。物語への解釈は人それぞれ。誤りなどとは言うつもりもなく、それもまた一つの答え」



 けど、僕は違う。



「掴むもの―――夢とはそうあるべき。少なくとも私にとっては。その為に、私は歩み続けるのです。今なお、歩き続けている。無論、上手くいかない時もある。その方が多いでしょうが……。そんな時。うまく行かぬ時は、決まって言うのです、叫ぶのです―――ちくしょうガッデム、と」

「―――――」

「そうすれば、たちどころに笑顔になれる。ストレス発散ですよ、所謂。ふふふっ。いけないと分かってはいるのですが……ね」



 これまでの会話とは違う、完全なアドリブ。

 本来話す筈ではなかった部分さえも話してしまった。

 あまりに親近感が爆発しちゃって、ちょっとかなり汚い言葉を使ったような気もするけど……。

 幻滅されたらされたで、まぁこれも僕の偽らざる本心って事で。


 僕の、一つの指針っていうか生き方っていうか目的っていうか―――。


 ………。



「ローゼマリー様?」

「………、ぁ」



 ふと現実に舞い戻り、彼女の様子を伺い……。

 今度こそ、僕は完全に固まった……、そして動いた。

 彼女の頬を伝っている、透き通った涙。

 それを見た瞬間には、既に僕は己の意志に反して動いていた。



「……も、申し訳―――ありません。すぐ……に、拭き……」

「いえ。そのまま……どうか、私に」

「……ぁ、……」



 距離は既に問題ではなかったから―――手を伸ばせば、届いたから。

 狼狽した様子の彼女に対して、僕は自分でも不可解な程当たり前に手を伸ばしていた。

 気付けば、僕の手はふところに潜り込み、取り出した布で彼女の涙を拭っていた。


 ………。

 ここで彼女が叫んだり、何かの行動を起こして侍従たちを呼んだりすれば、たちまち僕は床に組み伏せられて捕縛されていた筈だった。



「大丈夫……。大丈夫……」

「―――、ぅ……、ぁ」



「ぅぅ……ッ、……ぅ」



 けど、そうはならなかった。

 彼女はそのまま声を押し殺すように肩を震わせ、身を寄せてきて。

 僕もまた、静かに震える彼女の背中をさすり、柔らかな髪を、頭を撫でる。



「誰そ彼時が過ぎたらうちへ……、わたしが抱きしめるから。こころきよらかに―――ただいまとおかえりを」


「微睡み、閉じて―――。我が子よ、いとし子よ―――。ゆっくり、おやすみ―――」



 所謂、子守唄だ。

 この世界では「魔除けの歌」としても親しまれて、村の小さな子供、旅の冒険者、果ては城暮らしの王族までもが知っている、あまりに有名な物語の歌だ。

 僕も、小さい頃はマリアやヴァレットによく歌ってもらって……。


 ………。

 小さな肩の震えが収まるまで、ずっとそれを続けていた。

 何の不満もなかった。

 劣情を抱く余地すら欠片も存在してはいなかった。


 どころか、僕の胸の中にはこれまで感じた事もない程の満足感が既に存在していた。

 ……懐かしい感覚だった。

 おそらく……ずっと……僕はこうしていたんだろう。


 ずっと、こうしたかったんだろうと。



「……………」



 ……そして、固めた。

 己がこれからどうしたいのかをこの瞬間に、確かな決意と共に。



 ………。



「……あ、あの―――御見苦しい所を」

「いえ、良いのですよ。ローゼマリー様はとても聡明で、とても気高く。しかし、確かに弱い所もまた存在する。とても、魅力のある方だと……っふふ。この一夜にして、更に夢中になってしまいましたので」

「……ぁ……う」



 ……どうしよう、何だか面白くなってきたぞ。

 微笑んだり、興奮したり。

 可憐で理知的な彼女が感情を見せた事自体はこれ迄にもあったけど、今の彼女はそれとも全く異なる。


 己の心を護る壁、その多くを取り払い――――本当の意味で、飾らぬ自分を見せてくれているようで。

 それが、とても心地よくて……とても、懐かしかった。


 けど、その上で一枚だけ感じられた壁。

 彼女は、まだ何かを断じきれていない様子だった。

 だから、次こそは。



「レイク様……。あの―――どうやら、身体が冷えてしまったようなのです。屋内へ戻りませんか?」

「………。えぇ。今宵も私がお連れしますよ」



 何を見られまいとしているのか、顔を伏せている彼女の背後に回り込み、いつかのようにゆっくりと椅子を押す。

 以前より僕の動きは早く、椅子を押す早さも上がっていた。


 星々だろうが月明かりだろうが、知った事ではなかったからだ。

 他の何にも、この女性の今の顔を見せたくなかった。


 自分だけが知っていればいい―――そんな感情が浮かんで。



「……………」

「―――レイク様……? 如何いかがされましたか?」

「あぁ、いえ……」



 けど、一つだけ。

 この後呼ばれて戻ってきた侍従さん達が、涙の痕のある今の令嬢様をみたらどうなる?

 僕―――殺されない?




   ◇




「帝国貴族として、男として。今年こそは娘に骨のある部分を見せられたか? 伯爵」

「どうでしょうか。縛り首にならない程度の事をお話したまでですが」



 ………。


 彼女との茶会を辞して。

 自室へと戻ろうとした時、丁度声が掛かったのは何故なのか。


 おかげで僕は眠る事も出来ず再び緊張を和らげることも出来ない地獄の二次会保護者面談への出席を余儀なくされて。

 とはいえ、今回は僕も話したい事があったので渡りに船でもあり。



「ふふ……やはり君は草食動物のようでいかんな。私が若いころなど、それは多くの女を泣かせたものだが」

「ははは―――。確かに公爵さまは結婚が遅かったと……」

「娘を泣かせようものなら、まあ君の言う通り縛り首も妥当であったが」



 ……。

 やっべ詰んだかも。

 

 もしかしてもうバレたん?

 それともなんか鎌かけられてる?



「ふふ……ッ」

「ほう、笑うか。その余裕、流石の豪胆というべきか」



 もう笑うしかねえ―――、じゃなくて。



「オクターヴ公は、まこと家族を大切にされているのですね」

「当然よ。我が血は賢者の証。私の血をひくものは、例外なく選ばれし生まれなのであるからな」



 自己評価高ぇ。

 これが彼のバイタリティの秘訣か?



「そうなのだ。私はな、上の娘も、その次も……あの子らを嫁にくれてやる時は随分と渋ったものでな」

「是非お聞きしたい話ですね」

「いずれな―――うむ、む……」

 


 果たして彼の真の用事は何なのか、恐らく語られていないまま一度会話は途切れ。

 或いは、本当にただ話がしたかっただけ?

 それならそれで、僕自身の目的を話させてもらうけど……。

 

 一度のやり取りが終わり、彼が喉を潤すようにカップに口を付けたのを頃合いにして、僕も一杯。

 互いの飲んでいたハーブ茶が卓に置かれる。

 ……今。



「オクターヴ公」

「ユスティーア伯爵よ」



 ………。

 ……………。



 あ、気まずっ。

 細心の注意を払っていたにも拘らず、まさか同時に口を開いてしまうとは。

 これから行おうとしていた一世一代の交渉を前にして、早くも出鼻を挫かれた形になる。



「―――ッククク。よもや、よもやだ」

「これは、とんだ失礼を……」

「良い。気が合うというのは良い事だ」



 ねぇ……この前の「君も欲しい」発言と言い、やっぱ僕のこと攻略しようとしてる? 

 あ、違う?



「―――で、何を?」

「えぇ。ローゼマリー様の事なのですが」

「娘か……。うむ、うむ……。実際話してみて、君はあれをどう思う」



 あ、それ聞いちゃう?

 僕に彼女の事を語らせたらそれこそ日付跨いじゃうと思うんだけど……。

 まぁ簡潔に語るなら。



「とても聡明で、美しく……。語れば止まらぬ魅力に溢れた方だと」

「分かっているではないか。うむ……あれは、まさしく我がオクターヴの人間に相応しい娘よな……。父として誇りに思うところこそあれ、他に思う所などない」

「―――え、えぇ……」



 分かっててやってるのか? もしかして。

 こっちの目的を聞いた端からこの流れって、完全に話を逸らしに掛かってないかな。

 つまり、今の僕では―――いや。

 そもそもからして、生きる世界が違った男が、偶々手に入った偶然を勘違いしていい気になっていただけなのか。


 ……だからどうした、どうでも良い。

 ならもっと世界を歪ませて踏み込んでいけるようにすればいいだけで……。



「時に、私の先の用件なのだがな」

「―――えぇ」

「ユスティーア伯爵。娘を―――ローゼマリーを、妻としてめとるつもりは無いか?」

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