第20話:その資格を問う
………。
……………。
「……。ふふ……、ふははははッ。くくっ……」
「初めてであるか。君がそれ程までの動揺を私に見せてくれたのは。……君も、そのような顔ができたのだな」
「……ッ!」
いま―――と。
口を開こうとして、急ぎ平静を取り繕った筈だった。
けど、やはり隠しきれなかったらしい。
これに関しては一生の不覚と胸に刻むとして、だ。
「娘を娶らないか」……、と。
彼は確かに、間違いなくそれを口にして、その上で冗談だとすぐに翻すこともなかった。
権威も名誉もある大貴族の令嬢を、一介の田舎貴族が妻に迎える。
その意味を彼自身が認識していない筈もない。
いかに名が売れ始めたとはいえ、そんなのは一時の流行り廃りに同じ……帝国史において、その程度のぽっと出は数いただろう。
これは、投資をしておいて結果が振るわないからじゃあ回収という簡単な話ではない。
まして、ローゼマリー様はオクターヴの令嬢。
帝室の分家として、末席ではあるが彼女自身も次期皇帝の継承権を持っている、純然たる姫君だ。
そんな宝石のような、実際本人自身もが類まれなる才覚に溢れた彼女を、大きな利があるかも分からないような、只顔が良いだけの男に任せると?
んなバカな。
新手の詐欺か? いや、丁度申し込もうとしてたところだったんだけどさ、そのサイト案内。
……。
考えれば考える程に。
「―――オクターヴ公爵。それは……、一体。何故、私などにそのような……」
「ふ……。君とて、私と同様の話をしようとしていたところであろう? まさに、今。私が切り出すと同時にな」
当然読まれてるか。
流石は智慧の一族を束ねる当主……、彼の朱の瞳は、全てを見透かすように妖しく煌めく。
或いは僕の鉄仮面すら貫通して奥底の感情を読み取ろうとしているのかもしれず。
「娘は……ローゼは、どうやら君をいたく気に入っているようだ。いや……慕っている、というべきだな」
「……………」
「よもや気付かなかったわけでもあるまい?」
言いながら、彼は身体を預けていた椅子へ更に深く身をもたげる。
現状、部屋には僕と彼しかいない。
いつの間にやら、僕と公爵の間には護衛を配する必要すらなくなっていたようで。
「あの子は、特別だ」
年齢によらず力に満ちていた彼が、今だけは年相応であるかのように息を長く吐き出す。
「―――勘違いしてくれるなよ? 伯爵……。私は生まれてきた息子、娘たちに隔たりを作った事は一度としてない。跡継ぎかそうでないかの微々たる差はあれど、子供たちには常に機会を与えてきた。才能を引き出すための労を惜しんだこともない。まさに、全てを与えてきた」
「………は」
「ルクスはやがて私以上の当主になるだろう。エリザベートも、ファルナも、私と妻の娘に相応しい聡明な子らだ。……だが当然に、誰しも最初からそうであったわけではない。私とて、君ほどの頃は幾たびの苦渋を強いられた。常に学び、その中で怒り、憎しみ……しかしそれ等を押し殺しても今を積み上げた。全ては未熟であったからだ」
「
……オクターヴ公爵は60歳。
嫡子であり跡継ぎでもあるルクソールさまが僕と同じ25である事を考えれば、長子を授かった年齢は35歳……。
貴族としてはあまりに長子との年が離れていると分かるけど。
それに関しては、彼の持つ逸話の一つが説明していて。
「オクターヴの名に相応しき功績一つ積んでおらぬ若造が、妻を娶り子を残す資格があるか」……と。
彼は30を過ぎるまで、そもそも結婚すらしていなかった。
帝国の天辺に君臨する筈の貴族が。
本来、何よりも誰よりも早く跡継ぎを遺す事を望まれる彼が、だ。
当然普通じゃないのは誰もが理解するところで―――そのあまりに型破りかつ豪快な在り方に、皇帝陛下も他の貴族たちも笑うばかりだったと。
何処までも正道に、覇道を行く。
それが彼、ウィルウァース・ヴァレンティナ・オクターヴ。
偉大なる智慧の一族……、オクターヴとは単純な才能と家柄のみで成立するものではないと知らしめた、彼が【外征卿】たる由縁。
そんな彼が、優秀さを疑う余地もない程の兄弟姉妹を差し置き、彼女を特別という。
「あの子は、最初から完成されていた。成熟していたのだ」
……。
「手の掛からぬ子供であったと……。彼女らしいですね」
「ふ……。その程度のものかよ」
「ローゼは……。あの子を指して囁かれる話は、何一つとして誇張ではない。むしろ大人しいくらいだ。まだ10を超えたばかりの頃ですら……。姉たちが甘い菓子や花などに意を見出している間、あの子はまるで似顔絵でも描いて来たかのような様子で私のもとを訪れ、それを「出来ないか」と言ってきた」
「……意見書の逸話ですか? それとも当時の農法改正案に……」
「どちらもだ。一度に持ってきたのだ。ふふ……。そして問えば、全てが明確な根拠に裏打ちされた揺るぎない疑問。辣腕を振るう名うての商人が、最新の機材を導入しないかと飛び込みで売りに来たような。まるで……」
「―――まるで、多くの見識を積んだ賢者と話しているよう、ですか」
「……。やはり面白いな、君は」
僕も実際に会ってから理解したんだ。
最年少で学園を卒業、僅か10歳で領の流通網、或いは整備等の複数分野で意見書を提出した……。
その全ての話が公爵家の威光を強める為の話ではなく、単なる事実の産物なんだって。
彼女はまるで……、人生を二度経験しているようだって。
それも……。
「―――聡明で落ち着いた女性は好みですよ。私にとって母同然の女性もそうでしたから」
「ふ、はははッ、そうか……! くはははっ……」
「っふふ……。だがな、伯爵よ。そんなあの子が……だ。まるで己と同等の知識や経験を積み上げた智慧者。そう思えるほどのあの子が、その一点だけ。ある話を―――君の話をするとき……、その時だけ、心より嬉しそうに尋ねるのだ。己が意見ではなく、質問のみをしてくるのだ。それこそ、存在しなかった未熟を。目に映る全てが未知に包まれていた幼少を、今更ながらに思い出した……とでもいうかのようにな」
………。
「私はな、他人に興味など持たなかった。それが我が家に価値のある存在でなければ、欠片とてな」
「ははっ。勿論存じておりますよ。初対面の私がそうでしたので」
「……であったな。が、それも過渡期の話よ」
過渡期だって!?
僕と出会った段階の彼が……ってコト?
あの段階ですら、実は「多少は他人に興味持つようにしよう」と努力していたんなら、それ以前なんて本当に……。
「当時のご様子で過渡期であれば、それ以前など最早
「うむ。まさにな。……私自身、ここ20年程の間に心境に変化ができたのだ。或いは、もっと知る事に興味を持つべきであったのでは、と。利になる、ならぬではなく、もっと小さな種に。無名の才に目を向けるべきだったのでは、と。事実遅すぎたがな」
「……。後学のため、お伺いしても?」
全てを持っている大貴族の人生観。
既に人生の後半を走り抜けている彼が、一体どのような考えの元このような話を持ち掛けたのか。
何故、少しでもそうあろうという考えを持つに至ったのか。
経緯が、単純に気になった。
オクターヴ公爵はまさに、その当時を思い起こすかのように遠くを見ているようで。
「21年前……教国で起きた一件のことを、君は聞いているか」
「えぇ……。人魔決戦、その顛末ですね?」
当然ヴァレットから聞かされた。
極東に存在する、大陸で唯一「魔族」が支配する国家―――、
今から20年前、かの国が大陸に存在するすべての人間国家へと宣戦を布告した大事件。
その一件を収め、人と魔の間の戦いに調停を齎した者たちこそが【八英雄】
今現在ではその殆どが最上位冒険者に数えられている、まさに人界の守護者たる英傑たちで。
……。
最高位魔族と、彼等による決戦―――魔王との取引。
この話には、誰もが知る続きがある。
「魔皇国は、大陸の危機をいち早く察知していた。宣戦布告、食い止められた戦争。それら全てが彼等の計画であり、ヴアヴ教国が招集した大陸中の国家が大地に遺された神の怒りを沈めた事で、世界は再び平穏を取り戻した……」
「そうだ。あの大戦には、大陸中の様々な国家が参戦し、そして多くの者たちが志を共に戦った。当然に、我が国もだ。あの瞬間、間違いなく大陸は一つであった」
……普通であればあり得ない事だよね。
大陸議会、或いはギルドという取り纏める組織が存在してすら争う事を止めなかった人と人が、或いは人と魔が、その時だけ完全な協力関係になった。
誰もが背中を預け合う味方となった。
その瞬間、世界は確かに一つだったのだ……と。
ヴァレットはいつも嬉しそうに……懐かしそうに語っていた。
「勇者、英雄、……新たな時代を主導する者たち。無名であった者たちが、いつの間にか世界を動かす力を握った。生まれながらの地位を持ってなどいなかった彼等が、成したのだ。時代の移り目には、常に新たな英雄が……傑物が生まれいずるものだ」
「―――。なれば、それはウェールズ皇太子殿下のような方でしょうね」
僕から言わせればそうに違いない。
それは、30人は存在する継承権の保持者の中で、それでも帝国中の民が彼という存在を次期皇帝として認めている証明のようなもの。
元は帝国のはじまりの物語に端を発する話。
世界に五柱存在するとされる伝説の存在―――龍種。
龍公、魔公、天公、白公、虚公……。
数百年以上を生き、深い叡智と言葉を持つ彼等は姿が近く魔物の王とされる竜とは明確に区別された、まさに上位存在……。
仮に怒り狂ったそれが一柱でも人間に牙を剥こうものなら、大陸ギルド規定ではS級指定災害が発令。
周辺国家は軒並み軍を放出し、招集が可能な限り全ての上位、最上位冒険者が死力を尽くして戦う事が定められている。
それ程の存在であり、生まれ落ちた大自然の意思そのもの。
そんな龍の一柱―――白公アヴァンリーゼが、初代皇帝に己の翼の羽を一枚与えたというのが建国物語の序章の内容。
初代は白公の祝福を受けた御子だったとされているからこそ、帝国の国旗には白き羽の紋様が存在するし、歴代皇帝たちは曇りなき龍の御使いと呼ばれ民から崇められてきた。
「皇太子ウェールズ殿下……。彼もまた、皇太子となった報告の儀で、建国以来一度として姿を見せる事のなかった白公に出会い、翼を授かったのだったな」
「あまりに有名な話です。初代皇帝の再来、と」
だからこそ、彼が次期皇帝である事を疑うものは殆どいないし、彼が新時代の英雄であると考えるものは多い。
事実、当時の僕ら学生は専らその話題が多くて……。
「時代を動かす存在とは、皇太子殿下のような方ではないのか、と。私は考えたのですが。しかし、人魔決戦の顛末と、先の公爵のお言葉。それ等にどのような関係が?」
結局どうしても、結婚話とは結びつかない。
彼の目的は、何だ?
「……。我がオクターヴ公爵家は、帝国の書架だ。初代皇帝に付き従った賢君……初代宰相を始祖とする智慧の一族。知識こそが武器であり、我が家の固有でもある」
「……………」
「我がオクターヴの始祖は、元々一介の商家であった」
それもまた建国物語に記された内容だ。
流浪の騎士ギルソーン。
地方の豪農レヴァンガード。
零落の近衛ブルーバード。
雄弁の隠遁者ユスティーア。
そして、先読みの商家オクターヴ。
彼は他の者たちと異なり魔術の才も戦闘能力などもなかったけど、財政面において初代の覇業に大きく尽力したと。
「だが、当時のオクターヴ当主は何故初代皇帝に多大な支援をした? 今現在帝国の領土となっている場所全て、それを平定し己の領土にと考えていた者たちなど数いた。それこそ、名のある勇士、騎士、貴族……一国一城の領主というだけで山のようにだ。何故、我が一族の祖はその誰でもない、何の背景も持たぬ無名の若者に己が全てを賭けたのだ?」
そうだ。
大いなる龍種に見出されたという逸話はあっても、ジルドラードの初代皇帝は、別に特別な血筋の持ち主ではなかった。
それだけは事実。
そもそも、オクターヴやユスティーアが皇帝に付き従い始めたのすら、彼が白公の祝福を受けるよりずっと前だったとされている。
猶更何の得や見返りがあったのか分からないからこそ、伝説というわけで。
「伯爵よ。結局のところな、どれだけの権力を持とうと、どれだけの財を築こうと……人である以上、最終的に縋るのは、己が意志。己が直感だ」
「―――は……」
「知識など、そこに介在する要素の一つに過ぎない。私はな? レイクアノール」
「君ならば何かをなし得る……。そう考えたのよ」
「……………」
「先の君の話。皇太子殿下が次代の英雄? 当然だ。そもそも、既に持ち得る者が情勢を動かせるのは当然の話だ。だが、先の話……。20年前、無名であった者らが。異界の勇者が、いつしか世界を纏め、動かす力を手に入れた。それは当然か? 必然なのか? ……違う」
「初代皇帝が一代に築いた帝国。では、彼がそれを成し得たのも必然か? ―――違う!!」
「伯爵。世界を動かすのは、私のような男ではないのだ。息子でもな。既に持ち得るものは、同時にそれ等も抱えてしまうゆえに。欲に、政敵、不純なるしがらみ。国を動かす事は出来ても、世界は動かせぬのだ」
「………ッ!」
……成程、な。
確かに彼のいう事は一つの真実を射抜いていた。
伝え聞く伝説のはじまり。
異界の勇者達が大陸を一つに出来たのは、神の加護を与えられた勇者であるというのも当然にあったけど、同時に何の政治的背景も持たない只人だったからというのも大きかった筈だ。
彼等に何の背景もないからこそ、中立者だったからこそ、弱者の葛藤を知るからこそ……だからこそ。
そしておそらく初代皇帝も。
以前、ローゼマリー様とその事で話したけど……何の権力も来歴も持たぬ存在だからこそ、彼等は初代に惹かれたと。
家柄や軍といった要素ではなく、あくまで初代皇帝自身の才と魅力のもとに集ったのだと。
「君も、同じなのだろう」
「―――。私が? ですが……」
「君にはまだソレはない。にも拘らず、君のもとには人が集う。そして、君は確かに言ったぞ? 無名であった筈の男が、いずれ、帝国を―――世界へ名を轟かすと。大言壮語、面白いッ。あの頃は笑い飛ばした……だが、今の私はそれを笑わん。……君ならば、或いはと。真にそう思ったゆえに」
「そして、君にはあの子が必要だと直感したゆえに。初代皇帝たちがそうであったゆえに……、だ」
そう思ったから、直感したから……。
智慧の一族の当主であり、稀代の傑物である彼が本来縋る筈もない論理。
………。
直感による期待……、僕が何かやっちゃう可能性があると考えた結果、この話を僕にした……と。
期待もある、打算もある。
けど、あくまで無謀に思える賭けへと賽を投げたのは、直感……か。
そういうの―――、僕も嫌いじゃない。
「左様、でしたか……」
「あぁ」
………。
「御話、理解しました、オクターヴ公」
「そうか……。では、この場で返事を聞こうか?」
―――彼は、僕で一つの
僕に本気で期待しているのだ。
流石に、この期に及んでそんな筈はないなんて思えるほどおめでたくはない。
なら、僕の覚悟も、……否、既に固まっていた。
今更変えるなんて考えようはずもない。
「申し訳ありません、公爵」
「……何だ? よもや、この期に及んで……」
「いえ、決してそのような事は。ただ……私は未だ成していない事があるのです。ゆえに……どうか、私に猶予を頂けませんか、オクターヴ公」
「猶予―――成程、例の話か? であればあと二年というわけか……」
五年の約束? ノーだ。
「いえ。そちらは既に、私が大きく動かずとも成就するでしょう。今に帝国中が私を知る」
「む? ―――ふ、はははははッ! 大きく出たな……」
いや、出てないんだって。
大きく動かないのに大きく出るという矛盾……じゃなくて。
「猶予を頂きたいのは、この月の間です。残り四分の一程の期間、肆の月が終わるまでの間に。今一度……もう一度だけ、彼女と二人だけの時間を頂きたいのです。二人で語らい歩く、時間を。他ならぬ貴方の許可を」
「ほう、ローゼと……。ふん。その程度の許可であれば」
………。
「……まて。その台詞。まこと、そのままの意味か?」
「―――えぇ」
なにも比喩的表現は使っちゃいない。
寸分の違いなく、だ。
「私の意志は、
「―――……む、むぅ?」
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