第15話:記憶に生きる事




 前世の記憶―――、というものを信じる人は少ないだろう。

 事実私もそうだった。

 本気で信じていたわけじゃなかった。


 結局のところ、それもまたと同じ。

 己ではどうあっても叶える事が出来ない夢を、不確かで現実的ではない空想で誤魔化し、僅かばかりの希望を手に入れる手段でしかない。


 その……筈だった。



 ………。



「それは、二人の愛に感動した神さまが与えてくれた祝福」


 

「光を取り戻した彼女は、自分を救い出してくれた勇者と結婚して、いつまでもいつまでも幸せに暮らしました……と」



 物語は、楽しい。

 自分の知らない世界、自分が想像したこともなかった新しい視点。

 例え同じ物語だとしても、語り手が変われば全く違う見方が出来て、読み手の受け取り方の数だけ世界がある。



「……今日はちょっと乗り気じゃなさそうだね?」

「……………」



 けど。

 物語は終わるモノ。

 一つの物語が終わった時、そこに「次」があるかなんて、そんなのは創造者にしか分らなくて。

 私は……。

 あの頃の、私は。



「―――、死んじゃうのかな」

「……え?」

「わた、し……、私……! しんじゃう、の……かなぁ……!?」



 一回目の手術。

 二回目の手術。

 繰り返されるそれらは、終わって目覚めても、目覚めても終わりがなかった。

 何処までも続く暗闇だった。

 光を当てられない植物がしおれていくように、段々と……、自分の身体が日に日に衰弱しているのが分かって。

 

 次の手術の日が近付くほどに、私は怖くなっていった。

 或いは、私の物語は終わりなんじゃないかって。

 次こそ、眠りから覚めることはないんじゃないかって。


 当然続きなんてない。

 一番不安定な時期だった。



「わたし、見たい……、みたいよ……! もっと沢山の世界をみたい! 私も行きたい! 自分の足で走って、皆と遊んで……お兄さんと一緒に―――お外に行きたい!」 

「……………」

「怖い、よ……」



 怖くて、怖くて、怖くて……。

 頭の中には恐怖が詰まっていた。

 大好きな彼の物語さえ、終わる恐怖には勝てなかった。



「―――うん」



「まぁ……、怖いよね、手術はさ。どんなことかって想像も出来ないし、自分じゃ逃げることもできないから、余計に」

「……………」

「うん……、何だろ。代われれば……、ううん。僕が代わってあげられれば……、良かったんだけど……」



 ―――代わる。

 普段ならその言葉に何の感情も抱かなかったはずだった。


 けど、その時の私は一杯一杯で。

 彼が私の為に言ってくれたそれが、酷く無神経なものに思えてしまって。



「怖いのに。痛いのに……」



 一度でも経験すればきっとそんな言葉は言えないと。

 知っている私と、知らない彼とでは大きな差があると、思ってしまって。

 


「分からないよ……」

「―――え?」

「代わりたいなんて―――、お兄さんには分からないよ!! 代われっこないもん! なんにもわからないくせに!」



 ………。

 身勝手だった。

 全部自分の勝手だった。

 いつだって、どんな時だって私に会いに来てくれた……。

 大好きな彼に、そんな言葉なんて言いたくなかったのに、絶対に言っちゃいけない筈だったのに。


 気付けば私は自分の辛い事全てを彼にぶつけていて。



「―――……ぁ」



 その時、初めて……私は初めて見たんだ。

 彼が……いつも優しく笑っている彼が、とてもとても辛そうな、悲しそうな目をしていたのを。

 泣くでもない、唇を噛むでもない、震えるでもない。


 諦めたように、のを。



「……。うん、そうだね」

「―――ぁ。……あの」



 彼の、私よりずっと大きな手が伸びる。

 帽子の上から、細い腕の感触と、ほんのりとした温かさが伝わってくる。



「ゴメンね。全く、君の言う通りだ……! はははっ」



 気付けば、彼はいつもの彼だった。

 私に声を荒げた事や、本気で嫌な顔をした事なんて、ただの一度も無くて。

 彼は、いつだって優しくて、暖かくて……。

 いつも優しく背中を撫でてくれた。



「大丈夫……。大丈夫だよ。僕が付いてる」

「………ぁ」

「皆が待ってるんだ。皆が、君の事を待ってるんだ。外で待ってる」



「待ってる」

「うん」

「お兄さんも……?」

「―――うん」



「二人で一緒に出よ? 外の世界はさ? 本当に―――それはもう呆れるくらいに広くて、眩しんだ! 外の世界に出てさ? ほら、いつかの、勇者の定義の話……!! 助けられたお姫様が……」



「―――今度は君が、誰かを救う勇者になるんだ!」



 ………。



 一か月後、私は最後になるだろう手術を受けた。

 成功しても、失敗しても終わり。


 失敗の可能性は決して低くはなくて……、でも、なにがあっても諦めない、そう強く思い続けた。

 お父さんの為に、お母さんの為に、励ましてくれる病院の先生や、お爺ちゃん、おばあちゃん……、待っててくれる彼の為にも。

 絶対に、良くなるんだって。

 よくなって……元気になって……そしたら沢山笑って、沢山遊んで。


 暇そうなお兄さんと、遊んであげようって。


 それで―――。

 それで。



 ………。

 ……………。



「……………ぁ」

「ありがとうございます、―――さん。―――もきっと喜んでくれるわ」



 私は、勝った。

 後遺症もなく、意識もはっきりと回復して、リハビリもして……結局数か月もかかったけど、生まれてからずっとずっと一緒だった病と闘って、私は勝ち残った。


 私が再会を約束した彼と会ったのは、私が退院してから二ヵ月。

 病院で彼の事を聞いて、連絡して……。彼の家でだった。

 

 初めて上がった、彼の家。

 そこには、大きな写真が飾られていて。

 高く積まれていたのは、彼が持ち込んでくれた漫画や絵本と同じような本ばかり。


 彼は、もういなかった。


 何処にも、居なかった。


 学校でのいじめとか、事故とか、そんな話じゃない。

 遠くに引っ越したとか、そんな簡単じゃない。


 ―――彼も、病気だった。

 不治の病だった。

 緩やかだけどずっと昔からあって、外見には出ないけど、凄く苦しくて、痛くて。

 どんな凄い大手術でも、絶対に治らない、治せない……治療法すら存在しない、本当の不治の病。


 彼も私と同じ……、小さな世界から出られなくなったんだって、その時初めて知った。

 彼は、もう病室にいる必要もなくて。

 病院内を自由に歩き回る……別れが辛くないように、病院の人たちとも最低限のコミュニケーションしかとらないって。


 彼は、いつも受付を横切って私の所へ来てくれて、そしてまた自分の病室へ戻っていく。

 来てくれた日っていうのは、彼の症状が軽い時。

 彼が持ってきてくれた本は、全部……全部、彼の為に彼の友達が持ってきてくれた本だった。


 だから男の子が好きそうな内容ばっかりで、いつだって「生まれ変わったら」……だった。

 彼には、機会すら与えられなかった。

 次の機会すら。



 ………。



「―――、―――先生? 先生、大丈夫ですか?」

「……! ……えぇ」

「やっぱり少しでも休まれた方が……」

「……いえ。私なら問題ありませんよ。さ、行きましょう。今日も沢山の人たちが待ってます。皆さん、今日も誰かを……誰かの明日を、お願いします」



「院長先生って本当に……、凄い……。格好良いわ……」

「……本当に人間? あの人」

「院長って、元は生まれつきの病だったんだって。中学生までずっと病室暮らしでベッドの上だったって。それが、あの頃の自分みたいな人たちを少しでも減らしたいって、医大出てって感じ……って」

「それ、この前初めて聞きました。だから、あんな……。すご……」

「昨日も特例規定ギリギリの時間ずっと動いてたって……。あんな超人みたいな―――救いの勇者みたいな人って、実際にいるもんだなぁ……」



「あ、そうだ。例の、不治の病の治療法を確立したっていうのも、昔一緒に遊んでたっていう男の子の為だったって話で―――」



 ………。



 私は私が生き残った意味を―――彼との約束を守るために生き続けた。

 私の全ては誰かの為に、私が誰かの勇者になるために。


 あんな悲しみを……、あんな苦しみを。

 誰にも救ってもらえない痛みを知る人が、少しでも減るように。


 救って、救って……救って救って救って……。

 

 そんな中で、やがて終わりが見えた頃―――私は倒れた。

 病気が……。

 ずっと昔に治った筈の病が、長い時間の果てに再び現れた。

 結局、限りなく弱っていただけで、完治していたわけじゃなかったんだ。


 けどそれで良かった―――きっと、そうなのだと思った。

 これが私の物語なんだって、分かった。

 神様が、同じような子たちを作らないようにって……私がそれを減らせるように、わたしに時間をくれたんだって。

 


「……。逢えるよね、絶対に……、居るよね」



 死後の世界―――まして、天国、なんて。

 前世の記憶と同じ……大人になって、医者になって、本気でソレを信じていたわけじゃない。


 けど。

 それでも。

 何万、何十万と何度も捲り、よれよれになった本を捲って―――ぼやけていく視界の中で、私は願っていた。


 会いたい。

 もう一度だけ……本当にたった一度だけでも良いから、もう一度だけ彼に会いたいって。


 意識、認識、認知……全てが遠くなり、優しい微睡みに墜ちていく感覚。

 それから、どれだけ長く微睡んでいたかもわからない。


 肉体さえも解けたような、虚空の中で。



 声が、聞こえたのだ。




『彼はこの世界に居ます』



『貴女の何より美しい真実の願いは……大地の願いは、彼に届きます。だから」



「愛を―――諦めないで』




 ………。

 ……………。



 それが誰の声かなんて分からない。

 全てを優しく包み込み、深く愛するかのような―――女性の声だったかもしれない。

 或いは、あれこそが神さまの声だったのかもしれない。


 目が見えない、身体が自由に動かない、記憶がバラバラに散らばっている。

 そんな覚束ない、あやふやな意識の中で目が覚めた時、私はまたしてもベッドの上にいるんだって、感触で理解して。

 ようやく起き上がれるようになる頃、自身がどのような境遇に置かれていたのかも理解した。


 生まれつきの視力不全。

 乳、幼児期の脳の未発達による記憶障害。

 十五年前の、帝都で起きた大火災による身体の欠損。


 多くが圧し掛かって、その全てですら、私の記憶を奪い去る事は出来なかった。 

 なにがあっても忘れたりなんてしなかった。



「……。これは……、読んだ。これも……」



 でも、分からない。

 前世で起きた事、前世の名前、知識……。

 その全てを詳細に記憶していながら、彼に関する記憶の、彼の顔……それ等だけが、断片的に抜け落ちている。

 重要な部分だけを誰かが盗んでいったかのように覚えていない。



「―――ローゼ、おるか」

「はい、お父様。どうぞ」



 ……前世でも、今世でも、私は家族に恵まれた。

 生まれつきの障害を背負った私を、いつだって両親は見守ってくれたし、兄姉たちも関係ない事のように受け入れてくれた。

 お父様も、お母様も……お姉さまたちも。

 私の、大切な家族。



 ………。



「―――お父様?」



 けど。 

 見えないながらに発達した聴覚で、その父の気分が優れていないという事がすぐに分かって。



「うむ……。つい先程入ってきた話だ。ユスティーア伯爵が、二週間ほど前にレヴァンガードめの主催する宴に出たらしいのだがな」

「レイ―――伯爵さまが? またあの方が何か……」

「……祝宴の席で、原因不明ののままに倒れ、居合わせたものに運ばれたと」

「……! お父様!? それは―――」



「マリー。例の、愛しの伯爵さまからお手紙が来ているぞぉ、つい今しがただ」

「「……………」」



 ………?

 陽気な声と共に部屋に踏み込んでくる足音はルクス兄さまのもの。

 けど、その話の内容は……。


 何故?

 今届くとなると……。

 


「―――……? 父上? なにやら妙な雰囲気ですが……、何かやりましたか? 私」

「いや……。つい今しがた、その伯爵が祝宴の席で倒れたという話をだな……。二週間前との事だが」

「うん? それはおかしい。この手紙は速達―――つい先日のものだ」


「どうやら情報が錯綜しているようだな。うむ、開いてみれば話ははやいだろう」

「そうしましょう。では、私が開封し……」



 ……聞いている私抜きで進んでいく会話。

 幾つかの要因からこの件に大きな陰はないと判断したのか、二人はおよそ私の反応を伺い、或いは悪友のように愉しんですらいるようで。



「お二人共? お手紙のあて先はどなたなのでしょう」

「そんなのは決まっているだろう」

「くく……、私も、彼の手紙に目を通すのが楽しみでね、マリー」

「……ルクス兄さま?」

「あぁ、伯爵の手紙は常に笑いでも狙っているかのようなものであるからな、退屈せん」

「もう。お父様まで……!」



 恐らく、私の表情が優れない事に気付いての事。

 私の大切な家族は、いつだって私の為に道化を演出してくれる。

 


「仕方ありませんね。―――読んで頂いて構いませんよ。お手紙の内容に嘘をつかないと淵冥神さまに誓って頂けるのでしたら、ですが」

「重いな。流石はあの姉らにしてこの妹あり」

「流石はあの女の娘よな」

「では、見ませんか? でしたら私の侍従を読んで一人でゆっくりと―――」

「「よし、読もう」」



 呼吸をするかのように破れない誓いを立てた後、軽快に手紙の開く音が。

 今にルクス兄さまの声が聞こえてくる。



「―――親愛なるローゼマリー・オクターヴさま。身体に染み込むような肌寒さもやや収まり、火を司る武戦神の季節。節約している燭台の光に代わり、己の顔で照らすのが常となる時期となってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか」



 ………。



「先に参加した祝宴では運よく早々に途中退場の機会があり丸儲けと思ったのも束の間、代わりに酒の飲みすぎで体調でも崩し記憶も忘却んだか、その後は大都市の観光すら出来ず―――」




「目が覚めた頃には既にさびれた廃屋とすら錯覚する宿屋と思わしき天井。果たしてそれ程までに路銀がないのかと傍付きに怒れば、「あの、自宅なんですけど……」などと返され、既に屋敷へ戻ってきていた事を認識―――」



 

 ………。



「不幸とは重なるもので、ここ数日、原因不明の腹痛により三食おやつまで麦がゆ生活。恐らく祝宴にて供された珍味の数々が原因―――普段麦がゆや柔らかな果実ばかり口にしているからか、固形物を食べるということになれていなかったのかもしれません……」

「ふ……、くくくッ、成程……、確かに」

「毒……。そうか。そうだった。確か、彼の固有は―――」

「お兄様、続きを」



「……詳しい経緯は文に起こし、いずれ本にしてお持ちするとしましょう。お望みであらば増版体制も。本年の肆の月も、必ず参ります。その際は寝つきが良くなった土産話も携えてまいりますので―――」

「無敵だな、あの男は」

「きっと気に入って頂けるはずです―――貴女の親しき友、レイクアノール……」



 ………。



「―――ふ、うふふ……」


 

 本当に。

 いつかの夜会で私を楽しませようと、大仰な身振り手振りを交えて笑う彼が。

 優しく、慈しむような眼をした彼の顔が思い浮かぶようで。


 手紙の内容を、一言一句違わず頭に纏める。



「……まこと、妹に夢中だな、彼は。賭けませんか? 父上。彼が領に来る頃、間違いなく土産話は今より増えている筈ですが……」

「そこに彼にとっての重大事件が幾つあるか、だな? 良いだろう。私は―――」


「お呼びでございますか、マリー様」

「えぇ。皆さんは、このお二人を追い出してください。アンナ、これを読んでほしいの」

「……。畏まりました」



「では、お父様、ルクス兄さま。またお夕食の席で」

「む、お前たち。雇い主に対してこのような―――」

「無駄と分かっているでしょう父上。彼女らはマリーの命令優先です」



 やってきた侍従たちに追い立てられるようにして二人が出ていき、また一人になった部屋の中。

 渡された手紙を、今度は専属の侍従に読んでもらう。


 内容は確かに、先程と同じで。

 ………。



『彼はこの世界にいます』



 ………。


 

「けれど……もし、違ったら……?」



 私は、怖い。

 彼が本当は別人だったら……、彼が覚えていなかったら。

 あの声の指し示す存在が、あの人では無かったら……。


 そして、もし確信が得られたとしても……きっと。

 今を……、全く別の存在である転生者が自己を確立して今を生きているのに、私なんかが要らない記憶を押し付けて良いのかと。

 また、本来彼だけの為にある人生へ必要のない障害を置いてしまうのではないかと……、重荷を与えてしまうのではないかと。


 ……きっと。

 きっと、臆病な私は自分から彼へソレを言い出す勇気は出せないのだろう。

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