第4話 絹代の復讐

 雨の音が蔵の屋根を静かに叩いていた。

絹世は、震えるふりをして、かつて紗枝と近しい関係にあった吾郎にそっと寄り添う──二人が密かに交わったこの場所で。


「……ねぇ、吾郎さん。

貴方は知ってるのでしょう? 私が、どれだけ惨めかを──」


 声は震えているが、目元には微かな笑みが宿る。首筋に髪を這わせ、体温を染み込ませるように身を預ける。


「紗枝が主人の妾になって…子供まで…

私、もう居場所がなくなるかもしれないの……」


 淡く潤む瞳の奥には、計算された炎が隠れていた。


 「でも、一度でいいの。私を……女に戻して」


 帯がほどかれ、滑るように肌があらわになる。白磁のような肩、濡れた吐息、背筋をくすぐる甘い声音。


「私…壊れちゃいそうなの。ねぇ……抱いて」


 指先が触れた瞬間、絹世は小さく甘く喘ぐ。それはまるで、自分の愛撫が世界一優れているかのような錯覚を与える反応だった。 


(どう?私に夢中になるわよ。こんないい女を悦ばせられるのは、あなただけ──って錯覚するでしょう?)


吾郎の視線が変わり、男の自信が興奮に転じていく。

──役目は果たせたわ。


 絹世の瞳だけが冷静に、陶酔する男を値踏みしていた。

雨はまだ止まず、彼女はそっと目を閉じ、濡れた髪を整える。

「……ふふ、これでいいの」

微笑の奥に、誰も知らない冷たい光が宿っていた。



 雨はまだ降り続け、二人だけの世界が蔵に広がっていた。蔵の中、濡れた吐息と濃密な香りが漂う。


「絹世さん……どうして、俺なんかに……」


 吾郎の声はかすれ、視線は濡れた髪から白い項へと落ちる。反物や古道具の陰に、夜の闇がしっとりと絡む。


「……吾郎さん、“あなただから”よ」


 白い肌が闇に浮かぶ。胸元の柔らかな膨らみ──それは決して男にねだる色ではない、“すがる”色だった。


「お願い、見て。今の私はただの、寂しい女……」


瞳には涙が滲む。しかしその潤みは火照る肌と共鳴し、燃えるように妖艶だった。


「こんなふうに震えてしまうの、あなたに触れられたら……ねぇ、知って。感じて」


 指が触れた瞬間、絹世は身を震わせ、喉の奥で甘く喘ぐ。

「……っく……ぅ……」


触れるたび、反応は過剰に甘く、切なく、淫らだった。

まるで「自分の手が、女を最も悦ばせる道具になった」と錯覚させるかのよう。


「すごい……俺、こんなに……絹世さん、気持ちよくなって……」


「ええ……吾郎さんがしてくれるから……

誰にも言えないわよ。こんなに乱れる私なんて……あなたにしか見せないの」


 それは罠だ。それでも男は嬉しく、知らぬ間に落ちていく。

欲望が満たされるたび、心の中で「俺だけが知っている絹世さん」が増えていった。


 背を反らし、脚を絡め、髪を振り乱しながら息づく彼女。

「お願い……もっと、壊して……私のこと、めちゃくちゃにして……

あなたにしか、こんなふうに鳴けないの……」


 その囁きは懇願の形をとりながら、冷たい硝子のように鋭かった。

 触れ合う指の間で、絹世の心は二つに裂けていた。

 一方は男を欺くための仮面、もう一方は、誰にも見せられぬ渇望。


(どう? 私を抱くたびに、紗枝を忘れていくでしょう……)


 彼の視線が揺らいだ。

 絹世はその変化を見届けながら、心の奥でひっそりと勝利を数える。


 雨は止まない。

 蔵の中の静寂に、彼女の微笑だけが残る。

 それは慈悲にも似た、冷たい復讐の光だった。

 

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