第17話 監査官ヴェルネは“実地テスト”がお好き
その日、ハルミナ診療所はめずらしく静かだった。
いつもの行列もない。告白前に紙を書き換えてもらう女の子たちもいない。
代わりに――入口に、見慣れない紋章つきの馬車が止まっていた。深い紺。銀のいばら。荊本部の正式なやつ。
ナギトは中で腕を組む。
(本部、ほんとに来たか)
応接はリゼが用意しておいた。丸い白テーブルにレースのクロス、ハーブティー、お茶菓子。
完全に「かわいい診療所」仕様なのに、その正面に座った女だけが場に合っていない。
黒髪ロングを高めでまとめ、余った毛先だけを細く垂らしてる。ツヤのある黒。
紺のローブには、指先より細い銀糸でいばらが何本も走っている。袖口もぴしっとして、姿勢は直角。
眼差しは冷たくはない。けど「これは記録に残ります」と言っている目だった。
「本日はお時間をいただき、感謝いたします。荊・本部監査担当、ヴェルネ=ラシェルです」
声もよく通る。公会堂で読み上げをしてもそのまま届きそうな、安定した高さ。
「勇者ナギト殿の周辺で“好意の安全化”が行われていると聞き、実地で確認に参りました」
「監査って言えよ」
ナギトが即座に返す。隣にリゼ。壁にユノ(カメラ構えてる)。後ろにセラ(メモしてる)。
ヴェルネは少しだけまばたきして、
「では監査です」
と、あっさり認めた。強い。
「まず、こちらの街で実際に配っている“安全な好意”を、一次・二次で分けて教えてください」
「やっぱ監査だな」
ナギトが肩を鳴らすより早く、リゼが前に出た。
白ワンピに水色のケープ。長い睫毛を下ろして、落ち着いた声。
「一次――そのまま街に流していいものです。
『きょうも無事でいてくれて嬉しいです』
『また会えたら嬉しいです』
『助けてくれてありがとうございました』
以上です」
指を三本、細くきれいに立てる。
「二次――必ずわたしが薄めてから出すものです。
『あなたが誰を選んでも味方でいます』
『明日も来ていいですか』
など、継続や“味方宣言”が入る文です」
「ふむ」
ヴェルネは細いペンでさらさらっと書き留める。書き癖がまったくない、完璧な字。
「では、“独占をほのめかすが、明示的な暴力を含まない文”は?」
「ここでいったん薄めて寝かせます。“閉じ込める”“沈む”“殺す”がある場合は必ず別案に差し替えです」
「焼却ではなく?」
「焼きません。かわいいので。ですがそのままは出しません」
「“かわいいので”」
ヴェルネが復唱すると、後ろのセラが小さく笑って同じことを言った。
「かわいいので」
ユノが「かわいいので~♡」って合いの手を入れる。場だけはいつもどおり騒がしい。
だがヴェルネは真面目にうなずいた。
「……実は本部では、“本当に致死まで届く告白文は存在するのか”で意見が割れていまして」
「存在する」
ナギトが机を指でとん、と叩く。
「だから俺がこうして毎朝“殺すほど好き”を回収してんだよ」
「記録上は“致死報告ゼロ”になっているもので」
「ゼロにしてるの。俺たちが止めてるからな」
「なるほど。では――」
ヴェルネは、そこで初めて上体をほんの少し前に倒した。
黒髪がさらっと落ちる。香りは薬草寄り。甘さはない。
「一度だけ、実地で限界手前を見せていただけますか。もちろん、殺すつもりでは言いません」
「言い方が物騒なんだよ」
ナギトが眉をひそめると、リゼがすっと遮る。
「“殺すつもりで愛を言う”のはこの街では禁止です。ナギトさんはそれで死にます」
「“殺すつもりで”は禁止。了解しました」
ヴェルネはまた綺麗にメモ。迷いがない。
ユノが軽く手を挙げる。
「じゃあさ、全員でちょっと重いやつを同時に――」
「それが一番危ないってさっきの魔獣で学んだだろ」
ナギトがすぐ潰す。
さっき街の外で出た“好意を食う魔獣”は、ほんの数人の「好き」が重なっただけで暴走しかけた。あれを忘れたらだめだ。
ヴェルネは一呼吸置いた。
まるで詩の朗読に入るみたいに、声を半歩落とす。
目が、一瞬だけナギトにだけ向く。観察の目じゃなく、“届くかどうかを測る目”。
「では――このくらいならどうでしょう。
“あなたが他の誰かを選んでも、私はあなたのそばにいたい。
でも、もしも私を選ぶ日があるなら、その日だけは、あなたを世界で一番にさせてください”」
ことばが落ちた瞬間、部屋の空気がほんのり甘くなった。
飴じゃない。香水でもない。
“自分は二番でもいいけど、本当に一番になれる瞬間が一度でいいから欲しい”っていう、女の子がときどき書く色。
ナギトの胸が、ぐっ、と押された。
「……っ、そこそこ来るな、それ」
片手が無意識に胸元を押さえる。
呼吸が一段浅くなる。
でも椅子からは落ちない。横に倒れるほどじゃない。――“届いたのは分かるけど、まだギリで耐えた”って顔だった。
リゼがすぐに手を伸ばし、指先で小さな回復陣を作って当てる。
水色の光がナギトの胸元を一周して、余計な熱を逃がす。
「はい、“読んだら届く系”です。いまのでギリ。――ですが薄めれば街で使えます。
『あなたが誰を選んでも嬉しいです』にすれば一次まで落とせます」
外で聞き耳を立てていた女の子たちが「また大げさにしてる~」「監査官さんも言ってる~」と笑う。
ユノはカメラを寄せながら「“監査にも刺さる街”ってタイトルつよ~」とにやにや。
ナギトはだけど、さっきよりは静かな顔で息を吐いた。
(……好きって確定してなくても、段落が完成してると届くんだよな。
だからこそ、こういうのは外に出る前にリゼが薄めるしかない)
ヴェルネは、納得したようにこくりと頷いた。
「分かりました。いまのは明らかに“本気の愛+殺意”より一段落ちます。
つまり、ハルミナ式は“ここまでなら薄めれば安全”という線をすでに市中に流している。これは本部としても評価できます」
「評価って言うとまた他所が真似すんだろ」
「真似したほうが、あなたのような人がいたときに早く守れます」
言ってることは正しい。言い方だけが監査。
セラが後ろから、遠慮がちに手を挙げた。
「……ただ、“本物”を一つも本部に送らないと、上はまた『あるはずだ』って来ますよ?」
「来させるな」
ナギトは即答する。
ヴェルネがくすっとだけ笑う。
さっきまでの固い監査口調から、ほんの少しだけ人間味が混ざる。
「では、こうしましょう。
① “街で使いたいがやや濃い文”は、すべてハルミナ診療所でまず薄める。
② 荊本部には“薄めた後の版”だけを送る。
③ “殺す・沈む・閉じ込める・他を殺す”が同じ段落に出た文は、この場で別案に差し替える。本部には出さない。
――この運用なら、どこに出しても安全です」
「それなら、今まで通りだな」
リゼもうなずく。
「はい。わたしが全部、いったん薄くしてから外に出します」
ユノが最後にカメラへ向き直る。
「はーいみんな! “本部の監査さんが読んでも、リゼが薄めたらセーフでした”ってことで~! 重いやつは勝手に投げないでね~! ここで一回薄めよ~!」
「ほんとに薄めろ。俺が助かるからな」
ナギトがそう言って、この日の“監査回”は終わった。
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