発酵人生

@19910905

第1話

『発酵する人生』


50代の春。

アパートの小さな台所に、ひっそりと置かれた琺瑯の容器。

そこには“彼女”の新しい相棒――ぬか床が眠っている。


「今日も元気に発酵してますか〜?」


帰宅するとまず声を掛ける。返事なんてあるはずもないのに、ふわりと香る酸味が、まるで「おかえり」と言ってくれているみたいで。


彼女は仕事はゆるゆる。

褒められたキャリアじゃないけど、責任に押しつぶされない働き方が心地いい。

午後から出勤のシフトの日は、ぬか床を混ぜてからコーヒーを淹れる。

指先で感じる温もりに、「私もまだまだ発酵途中だなぁ」なんて思う。


夕方、ぽつぽつ灯りはじめる窓の外を眺めながら、きゅうりを一本取り出す。

ぽりっ、と噛むと、じんわり広がる塩気と旨み。


「人生もこんなふうに、静かに美味しくなればいいのにね」


誰に言うでもなくつぶやくと、ぬか床の表面がふくりと呼吸した気がした。


そんな静かな幸せを抱えたまま、彼女は今日も眠る。

明日もまた、ぬか床と、ほのぼのした独身生活と、ゆるゆる働く自分を発酵させていく。


――発酵は裏切らないから。


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