第2話「2023年11月32日の記録」
国立国会図書館のデジタルアーカイブ室は、いつも静かだった。
真壁燈士は端末の前に座り、検索窓に日付を入力していた。白鷺村の件以来、彼は「存在しない記録」を探すようになっていた。
職務としてではない。個人的な衝動だ。
首筋の刻印は、まだ消えていない。鏡を見るたびに、SR-9508-12の文字が浮かび上がる。それは真壁に問いかけている――お前は本当に、お前なのか?
真壁は深呼吸し、検索条件を変えた。
期間指定:2023年11月
キーワード:消失、失踪、行方不明
エンターキーを押す。
画面に、検索結果が表示された。
新聞記事、雑誌記事、報告書――膨大な数のデータが並ぶ。真壁はスクロールしながら、一つ一つ確認していった。
そして、手が止まった。
画面に表示されたのは、新聞記事のスキャンデータだった。
見出しは、こうだ。
『渋谷駅前で大規模消失事件――3000人が行方不明』
真壁は記事の詳細を開いた。
日付は――2023年11月32日。
真壁は画面を凝視した。
11月32日。
そんな日付は、存在しない。
記事の本文を読む。
2023年11月32日午後2時34分頃、東京都渋谷区の渋谷駅前スクランブル交差点付近で、大規模な人員消失事件が発生した。目撃者の証言によれば、交差点を横断中の通行人約3000名が「一瞬にして姿を消した」という。監視カメラの映像には、通行人が半透明になり、その後完全に消失する様子が記録されている。警視庁は即座に現場を封鎖し、調査を開始したが、現時点で消失者の行方は不明。政府は緊急会見を開き、「原因究明に全力を尽くす」と発表した。
真壁は記事を二度読んだ。
内容は具体的だ。時刻、場所、人数、状況――全てが詳細に記されている。だが、日付が間違っている。
いや、「間違っている」のか?
真壁は端末の履歴を確認した。このデータは、国立国会図書館の公式アーカイブに保管されている。偽造ではない。少なくとも、システム上は「正式な記録」として扱われている。
真壁は別の端末を開き、2023年11月のカレンダーを表示した。
11月は30日までだ。32日は存在しない。
では、なぜこの記事は存在するのか?
真壁はアーカイブの詳細情報を確認した。
登録日:2023年12月1日
登録者:不明
アクセス履歴:0件
アクセス履歴がゼロ。つまり、この記事は誰にも読まれていない。真壁が初めての閲覧者だった。
真壁はプリントアウトを指示した。印刷機が静かに動き、記事が出力される。
紙を手に取る。インクの匂いがした。
真壁は図書館を出て、事務所に戻った。
文化遺産保全局・第零課。名ばかりの部署だ。所属員は真壁を含めて三名。予算は少なく、権限はほとんどない。
だが、この部署には一つだけ特権があった。
「公的記録の非公開情報にアクセスできる」
真壁は端末にログインし、警視庁のデータベースに接続した。セキュリティを突破し、2023年11月の監視カメラ映像記録を検索する。
渋谷駅前。11月30日の映像はあった。12月1日の映像もある。
だが――11月31日、12月0日、そして11月32日の映像は、全て「欠番」だった。
ファイルそのものが存在しない。削除されたのではなく、最初から記録されていない。
真壁はSNS解析ツールを起動した。
削除された投稿を復元するツールだ。違法ではないが、グレーゾーンにある。
検索条件を設定する。
期間:2023年11月末〜12月初旬
キーワード:渋谷、消えた、失踪
検索を実行する。
数秒後、結果が表示された。
削除済み投稿:287件
真壁は最初の投稿を開いた。
@saki_1208
投稿日時:2023/12/01 03:22
妹が消えた。昨日渋谷で会う約束してたのに連絡が途絶えた。警察に行っても相手にされない。「そんな日はありません」って言われた。何が起きてるの?
@kenji_run
投稿日時:2023/12/01 08:47
彼氏が透明になった。マジで。渋谷で会ってる時、急に体が薄くなって、そのまま消えた。周りの人も見てたはず。でも誰も何も言わない。俺の目がおかしいのか?
@miu_0512
投稿日時:2023/12/01 14:03
あの日のこと、覚えてる人いる? 11月の最後の日。カレンダーでは30日になってるけど、私の記憶では31日があった気がする。いや、32日? 頭がおかしくなりそう。
真壁は投稿を次々と開いた。
どれも似たような内容だった。
家族が消えた。友人が消えた。恋人が消えた。
そして、誰もその日のことを覚えていない。
投稿は全て、12月1日以降に書かれていた。そして、数時間後には削除されていた。
真壁はメモを取った。
・2023年11月32日の記録が存在
・監視カメラ映像は欠番
・SNSでは「消失」の証言が多数
・証言は即座に削除
パターンが見える。
何かが起きた。そして、それは隠蔽された。
だが、完全には消せなかった。痕跡が残っている。デジタルアーカイブに、SNSのキャッシュに、人々の記憶に。
真壁はもう一度、新聞記事を読み返した。
記事の末尾に、小さな文字で追記があった。
【消失者リスト】
氏名、年齢、性別の一覧は別紙参照。警視庁は消失者の家族に対し、情報提供を呼びかけている。
真壁は「別紙」を検索した。
あった。
PDFファイルが添付されている。真壁はファイルを開いた。
画面に、リストが表示された。
名前が並んでいる。3000を超える名前。年齢、性別、住所――全てが記載されている。
真壁はリストをスクロールした。
知らない名前ばかりだ。だが、スクロールを続けると――
手が止まった。
真壁燈士
年齢:31歳
性別:男性
住所:東京都杉並区
真壁は画面を凝視した。
自分の名前がある。
住所も、年齢も、全て正しい。
つまり、2023年11月32日、真壁は渋谷駅前で「消失」した。
だが、真壁は今、ここにいる。
真壁は椅子から立ち上がった。
部屋の窓を開ける。外の空気を吸う。冷たい風が肺を満たした。
現実感が揺らいでいる。
自分は、消えたのか?
それとも、消えていないのか?
真壁は自分の手を見た。確かに、そこにある。触れることができる。
だが、リストには自分の名前がある。
真壁はスマートフォンを取り出した。
写真フォルダを開く。
2023年11月の写真を探した。
11月30日の写真はあった。仕事帰りに撮影したコンビニの写真。12月1日の写真もある。自宅で撮ったコーヒーの写真。
だが、その間に――
もう一枚、写真があった。
真壁は写真を拡大した。
写っているのは、渋谷のスクランブル交差点だった。
大勢の人々が横断している。ビルの広告が光っている。
だが、画像の下部に表示された日時は――
2023/11/32 14:33
真壁は写真を凝視した。
自分が撮影した写真だ。間違いない。
だが、その日の記憶がない。
11月30日の次は、12月1日だったはずだ。
では、この写真は何なのか?
真壁は写真を拡大し続けた。
人々の顔が見える。
そして、画面の端に――
自分が写っていた。
真壁燈士。スマートフォンを構えて、写真を撮影している自分。
鏡のように、画面の中の自分が、こちらを見ていた。
真壁はスマートフォンを置いた。
深呼吸をする。
落ち着け、と自分に言い聞かせた。
だが、落ち着けない。
首筋が疼いた。刻印が、熱を持っている。
SR-9508-12
真壁は鏡を見た。刻印は、以前より鮮明になっている。
その夜、真壁は再び図書館に戻った。
閉館後だが、職員証があれば入館できる。
真壁はアーカイブ室に向かい、端末にログインした。
もう一度、新聞記事を開く。
そして、記事の発行元を確認した。
発行元:東京日報
真壁は東京日報のデータベースにアクセスした。
2023年11月のバックナンバーを検索する。
11月30日の新聞はあった。12月1日の新聞もある。
だが、11月32日の新聞は――存在しない。
つまり、この記事は「発行されなかった新聞」に掲載されたものだ。
真壁は端末の履歴を辿った。
この記事は、いつ、誰によってアーカイブに登録されたのか。
登録日時:2023年12月1日 00:00:00
登録者:不明
IPアドレス:不明
全てが「不明」だった。
だが、最後に一行だけ、メモが残されていた。
「この日を忘れるな」
真壁はメモを読み返した。
誰が残したのか。
そして、なぜ。
真壁は端末をシャットダウンし、図書館を出た。
帰路の電車の中で、真壁は窓の外を見つめていた。
街の明かりが流れていく。
人々は普通に生活している。誰も、11月32日のことを覚えていない。
だが、真壁は知っている。
その日は、確かにあった。
そして、自分はその日に――消えた。
真壁は自宅に戻り、ベッドに横になった。
天井を見つめる。
記憶の断片が、浮かんでは消える。
渋谷の交差点。人々の声。光。
そして――
消える感覚。
体が軽くなり、世界が遠ざかる感覚。
それは記憶なのか、それとも想像なのか。
真壁には、もう分からなかった。
スマートフォンが振動した。
メッセージの通知だ。
真壁は画面を確認した。
送信者:不明
本文は、一行だけ。
「お前は二度消えている」
真壁はメッセージを凝視した。
返信しようとしたが、送信者の情報は全て空白だった。
メッセージは、数秒後に自動的に削除された。
画面には、何も残っていない。
真壁はスマートフォンを置いた。
部屋の明かりを消す。
闇の中で、首筋の刻印が微かに光っているような気がした。
真壁は目を閉じた。
だが、眠れなかった。
記憶が、少しずつ、戻ってくるような気がした。
それは恐怖なのか、それとも――
真壁は、もう分からなかった。
【第2話 終】
執筆後記:
2023年11月は、30日までです。32日は存在しません。
しかし、あなたのカレンダーには、本当に11月32日がなかったでしょうか?
記憶を辿ってみてください。
消された日を、思い出せますか?
次回、第3話「鏡の中の訃報」に続く
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