第7話

俺は、今、人生で一番、家に帰りたい瞬間を迎えていた。

右からは王女のセレスティア。

左からは聖女のクラリス。

正面からは女騎士のアメリアが、跪いたまま熱い視線を送ってくる。

全員、俺の所有権を主張して一歩も引かない。


「トールは私の運"命"の夫です!」

「トール様は私が仕"え"るべき神です!」

「トール殿は私が生"涯"を捧げる主君です!」


「「「私の(神の・主君の)ものだ!」」」


三人の声が、大聖堂でぶつかり合う。

王様は「ううむ」と髭をひねったままだ。

貴族たちは、もうこの状況についていけていない。

ただ遠巻きに、この異常な光景を眺めている。


「……あの」

俺は、もう一度、声を張り上げた。

「俺、帰りたいんですけど」


「「「駄目です(!・か!)」」」

またハモった。

こいつら、こういう時だけ息が合う。

本当に面倒くさい。


俺は、もうこいつらを無視することにした。

王様に向き直る。

「国王陛下。人柱だか封印だかの話ですが」

「俺のスキルは、王都全体なんて守れません」

「俺個人に、殺意とか、敵意とか、そういうのが向かないと発動しない」

俺は正直に説明した。

「だから、俺を地下に置いても無意味です」


「……む」

王様が、難しい顔をした。

「兵士トール。そなたの言葉、まことか?」


「まことです。試してみますか?」

俺は、近くにいた衛兵の剣を指差した。

「あの人に、俺を『殺す気なく』斬ってもらってください。たぶん、普通に斬れます」


「なっ!?」

衛兵が、真っ青になって後ずさった。

「そ、そんな恐ろしいこと!」


「では、どうやって証明する」

王様が、俺を試すように睨んだ。

「そなたが、任務を回避するために嘘をついている、という可能性もある」


「……はあ」

面倒くさい。

俺はため息をついた。

「嘘なんかつきませんよ。面倒ですから」


「ふん。その態度、気に入らぬな」

王様は、俺の無礼な態度に苛立ったようだ。

その目には、明らかな敵意が宿った。

俺のスキルが、じわりと発動するのを感じる。


「国王陛下への不敬、そして王命の拒否!」

王様が、声を張り上げた。

「それは、万死に値する大罪だ!」

「衛兵! こいつを捕らえよ! 反抗するなら、斬り捨てても構わん!」


「「!?」」

セレスティアとクラリスが、息をのんだ。

アメリアも、驚いて立ち上がった。


「父上! お待ちください!」

「陛下! 早まっては!」


だが、王様の命令は絶対だ。

大聖堂にいた十数人の近衛騎士たちが、一斉に剣を抜いた。

彼らの目は、俺への殺意で満ちている。

王命に逆らう反逆者を、本気で殺す気だ。

最高の状態だ。


「トール! 逃げて!」

セレスティアが叫んだ。

「トール様! お下がりください!」

クラリスが、俺の前に立とうとする。


「……面倒くさい」

俺は、二人を手で制した。

動く必要はない。

立っているだけでいい。


「反逆者め! 神聖なる大聖堂を汚した罪、その身で贖え!」

騎士隊長らしき男が、大剣を振りかぶった。

「死ねえええっ!」


ゴギンッ!

甲高い音が、大聖堂に響き渡った。

騎士隊長の大剣が、俺の首筋に触れた瞬間、真ん中からぽっきりと折れた。

俺の首には、傷一つない。


「……え?」

騎士隊長が、柄だけになった剣を見て固まった。


「な、何をしている! 全員でかかれ!」

「「「おおおおおっ!」」」

残りの騎士たちが、俺に襲いかかった。

剣が、槍が、俺の体のあちこちに叩きつけられる。

その全てが、触れた瞬間から砕け散っていく。

ガギン! ゴギン! バキバキッ!


数秒後。

そこには、武器の柄だけを握りしめて、呆然と立ち尽くす騎士たちと。

無傷で立ち、面倒くさそうに頭をかいている俺がいた。

俺の足元には、砕け散った剣や槍の残骸が散らばっている。


「……な」

王様が、玉座の肘掛けを握りしめたまま、言葉を失っていた。

「ば、馬鹿な……」

「近衛騎士団の、全員の攻撃が……」

「あ、あいつ、一歩も動いていないぞ……」


貴族たちの囁き声が、恐怖に変わっていく。

俺は、騎士たちに向かって言った。

「……もう、いいか?」

「まだやるなら、付き合うが。剣がもったいないぞ」


「ひっ……!」

騎士たちは、武器を捨てて逃げ出した。

化け物を見る目だった。

これで、俺の兵舎での生活も、完全に終わったな。


「……まこと、であったか」

王様が、乾いた声で呟いた。

「伝説は、真実だった……」

「あれが、『王の心臓』……」


王様は、玉座からゆっくりと立ち上がった。

そして、俺の前に進み出た。

さっきまでの敵意は、もう消えている。

代わりに、政治家としての、ギラギラした欲が浮かんでいた。


「……すまなかった、トールよ」

王様は、あっさりと頭を下げた。

「そなたを試すような真似をした。許せ」


「別に、いいですけど」

「うむ。そなたの力、よくわかった。そして、そなたの言い分も認めよう」

王様は、大きく頷いた。

「『人柱』の件は、撤回しよう。確かに、そなたの言う通り、王都全体は守れまい」


「父上!」

セレスティアが、ほっとしたように胸を撫で下ろした。

クラリスも、安堵の息をもらしている。


「だが、しかし!」

王様が、再び声を張った。

「そなたの力を、このまま遊ばせておくわけにはいかん!」

「特に、隣国オルブライトとの開戦が近い今、そなたは我が国の切り札だ!」


「……また面倒な話ですか」

俺は、嫌な予感しかしない。

「俺は、戦争には行きませんよ。面倒くさい」


「わかっておる!」

王様が、なぜか嬉しそうに笑った。

「そなたが、面倒事を嫌う、平和主義者であることも見抜いておる!」

「そこで、そなたに、新たな任務と地位を与える!」


王様は、芝居がかった仕草で、両手を広げた。

「兵士トールよ! そなたを、本日付で『王室特別守護役』に任命する!」

「序列は、騎士団長アメリアと同等とする!」


「は?」

俺は、アメリアを見た。

アメリアは、いつの間にか俺の斜め後ろに控えており、なぜか誇らしげに胸を張っている。

「異議ありません、陛下! 我が主君にふさわしい地位です!」

いや、お前の主君になった覚えはない。


「王室特別守護役……」

俺は、その面倒くさそうな響きに、顔をしかめた。

「具体的には、何をすればいいんですか」


「うむ!」

王様が、満足げに頷いた。

「そなたの任務は、ただ一つ!」

「我が国の、最も重要な『宝』を守護することだ!」


「宝、ですか」

「そうだ!」

王様は、まず、娘のセレスティアを指差した。

「我が娘、王女セレスティア!」

次に、クラリスを指差した。

「我が国の信仰の象徴、聖女クラリス!」

そして最後に、アメリアを指差した。

「我が国の最強の剣、騎士団長アメリア!」


「この三人を、そなたが、同時に守護するのだ!」

「……は?」

俺は、自分の耳を疑った。

「三人を、同時に?」


「そうだ!」

「どうやって?」

俺は、素朴な疑問を口にした。

「三人が、別々の場所にいたら、俺の体は一つしかないんですが」


「「「!?」」」

その瞬間。

セレスティア、クラリス、アメリアの三人が、同時に目を見開いた。

そして、火花を散らすような勢いで、お互いを睨みつけた。


「……そうよ。その通りだわ」

セレスティアが、口火を切った。

「トールは、私の護衛として、王城に住むべきです。それが一番効率的よ」


「いいえ、王女殿下」

クラリスが、即座に反論した。

「狙われる危険性が一番高いのは、私です。神殿は、常に異端者の脅威に晒されています。トール様は、大神殿に住むべきです」


「お二人とも、お待ちください!」

アメリアが、声を張り上げた。

「守護役が、守護対象のどちらかに偏るなど、あってはなりません!」

「トール殿は、我ら騎士団の兵舎……いえ、騎士団本部に、専用の執務室を設けるべきです! そこから、我々が三人を守る指揮を執るのです!」


「「却下します(!)」」

セレスティアとクラリスの声が、またハモった。

「騎士団のむさくるしい兵舎に、トールを住ませるわけないでしょう!」

「トール様に、汗臭い男たちと寝食を共にさせるなど、神への冒涜です!」


「むさくるしくない! 汗臭くもない!」

アメリアが、顔を真っ赤にして反論する。

「そもそも、私はトール殿の弟子! 師匠と弟子は、寝食を共にして修行するのが当たり前だ!」


「「なんですって!?」」

三人の女たちの、醜い争いが再発した。

王様は、楽しそうにそれを見ている。

「はっはっは。困ったな。皆、トールが好きなようだな」

好き、とか、そういう問題じゃない。

これは、ただの縄張り争いだ。


「……陛下」

王の側近である、宰相らしき老人が、そっと進み出た。

「ここは、トール殿に、中立の場所をお与えになるのがよろしいかと」

「幸い、王城の敷地内には、長らく使われていない『守護者の塔』がございます」


「おお! あそこか!」

王様が、ポンと手を打った。

「古い塔だが、王城にも、大神殿にも、騎士団本部にも近い!」

「そこを、トール殿の専用の住居とする! どうだ!」


「守護者の塔……」

俺は、その響きに、わずかな希望を抱いた。

「塔、ということは、一人で住めるのか?」


「もちろんだ!」

王様が、豪快に笑う。

「お前一人のための塔だ! 誰にも邪魔されん!」

「そこで、来るべき戦いに備え、英気を養うがよい!」


誰にも邪魔されない。

一人で住める。

静かな塔。

……最高じゃないか。


「トール、待って! 私もそこに住むわ!」

セレスティアが、即座に割り込んできた。

「婚約者として、彼の世話をするのは当然でしょう!」


「お待ちください、王女殿下」

クラリスも、一歩も引かない。

「トール様は神です。世話が必要なのは、俗世の穢れを払う、私のような聖職者です。私も塔に住みます」


「お二人とも、自分勝手すぎます!」

アメリアが、怒りを露わにした。

「トール殿は、守護者です! その住居に、女が二人も住み込むなど、スキャンダルです! 私が、護衛として、塔の入り口で寝泊まりします!」


「「「……」」」

俺は、もう、何も言う気が起きなかった。

こいつら、俺の話を一つも聞いていない。


「静まれ、お前たち!」

王様が、ついに怒鳴った。

「トールの住まいは『守護者の塔』! これは決定だ!」

「だが、お前たちの同居は、一切認めん!」


「「「なっ!?」」」

三人が、絶望したような顔で王様を見た。

「トールは、我が国の切り札。そなたたちの私情で、彼の心を乱してはならん」

「彼には、常に万全の状態でいてもらう必要がある」

「よって、彼への面会は、許可制とする!」


王様の言葉は、絶対だった。

セレスティアは、唇を噛んで悔しそうにしている。

クラリスは、悲しそうに目を伏せた。

アメリアは、納得いかないという顔で、拳を握りしめている。


俺は、王様を見た。

この人、たぶん、俺が女にうつつを抜かして、いざという時に使えなくなるのを恐れているんだ。

だが、理由はどうあれ、俺にとっては最高の展開だ。


「……わかりました」

俺は、王様に向かって頷いた。

「その、守護者の塔、とやらに行きます」

「それと、俺は寝るのが仕事です。緊急時以外、誰も起こさないでください」


「うむ! わかった!」

王様は、満足げに頷いた。

「アメリア! トールを、塔まで案内してやれ!」


「はっ! 御意に!」

アメリアが、嬉しそうに返事をした。

俺は、ようやく、この面倒くさい大聖堂から出られることに、心の底から安堵した。

背中に突き刺さる、王女と聖女の、重たい視線を感じながら。

俺は、アメリアに続いて、新しい寝床へと歩き出した。

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