第22話 美月のブレンド⑫ 言葉の灯り、広がる先へ

カフェ・デ・ソルテの窓辺。

午後の光が、カップの縁をやさしく照らしていた。

美月は、スマートフォンの画面を見つめていた。


 


前回の投稿に、いくつかの反応が届いていた。

「ありがとう」「救われました」「泣きそうだったけど、少しだけ前を向けました」

見知らぬ名前。けれど、言葉の向こうに確かに人がいた。


 


——届いたんだ。

私の言葉が、誰かの夜に灯ったんだ。


 


その実感は、静かで、でも確かに胸の奥を温めていた。

それは、誰かの手がそっと自分の手に触れたような、

見えないけれど確かなぬくもりだった。


 


「……こんなふうに、届くんだ」


 


思わず、声に出していた。

マスターが、カウンター越しに顔を上げる。


 


「言葉、広がってきましたね」

「ええ……少しずつですけど、誰かに届いているみたいです」


 


美月は、画面を伏せて、カップを両手で包んだ。

温もりが、手のひらから胸の奥へと伝わっていく。


 


「最初は、ただ誰かに届けばいいと思っていました。

でも今は……その先の誰かにも、届いてほしいって思うんです」


 


マスターは、やさしく頷いた。


 


「灯りは、ひとつずつ手渡されていきます。

あなたの言葉が、誰かの手に渡って、

その人がまた、誰かに言葉を渡す。

そうして、灯りは広がっていくんです」


 


美月は、ふと、ある投稿を思い出した。

見知らぬアカウントからの、短い言葉。


 


> 今日、うまく笑えなかったあなたへ。

> それでも、今日を終えたあなたは、すごいと思います。


 


——あの言葉、私の投稿に反応してくれた人かもしれない。

そう思った瞬間、胸の奥がふわりと熱くなった。


 


「……誰かが、言葉を渡してくれたんですね。

私の言葉を受け取って、今度は誰かに」


 


マスターは、カップを磨きながら微笑んだ。


 


「それが、言葉の灯りです。

あなたが灯した火が、次の誰かの手に渡ったんですよ」


 


美月は、静かに頷いた。

そして、ノートを取り出して、ペンを走らせる。


 


「次は、どんな言葉を渡そう」

「どんな夜に、寄り添えるだろう」


 


言葉は、まだ形になっていない。

でも、確かに育ち始めていた。


 


——言葉は、誰かの夜に寄り添える。

それを、私はもう知っている。


 


SNSに投稿することは、今も少し怖い。

誰かに見られること。

誰かに誤解されること。

誰かに、届かないかもしれないこと。


 


でも、それでも。

それでも、届けたいと思えるようになった。


 


「……言葉って、怖いけど、あたたかいですね」


 


マスターは、カップを置いて、静かに言った。


 


「怖さの中に、灯りを込めるからこそ、届くんです。

あなたの言葉には、その灯りがある」


 


美月は、そっと笑った。

そして、スマートフォンを手に取り、画面を開いた。


 


投稿欄に、ゆっくりと言葉を綴る。


 


> こんばんは。

> 今日、誰かに届かなかった人へ。

> あなたの声は、きっと誰かの灯りになります。

> どうか、あきらめないでください。

> あなたの言葉は、まだ旅の途中です。


 


投稿ボタンを押す。

画面が切り替わり、言葉が世界に放たれた。


 


その瞬間、美月は深く息を吐いた。

怖さもあった。けれど、それ以上に、静かな確信があった。


 


——私は、言葉を渡す人になれた。

そして、言葉を広げる人になっていく。


 


窓の外では、秋の風が静かに吹いていた。

その風に乗って、言葉はまたひとつ、灯りとなって広がっていく。


 


カフェ・デ・ソルテの灯りは、今日も静かに灯っていた。

誰かの夜に、そっと寄り添うように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る