第2話 都市伝説の痕跡
──最近、ちょっと暴れすぎかもしれない。
灯は、缶チューハイを片手に、駅前のベンチに腰を下ろしていた。夜風が髪を揺らし、街灯がアルミ缶に反射する。
酔いはまだ浅い。けれど、胸の奥にじんわりと広がる熱は、戦いの予感に似ていた。
「同じ場所で暴れると、さすがに警察にバレるし……って、もう全国転々としてても、目立ってきてるかもなぁ」
誰に言うでもなく、灯はひとりごちる。
記憶を消して護る──そんなことを繰り返していれば、そりゃあ都市伝説のひとつくらいにはなるかもしれない。だが、都市伝説くらいで済めば、まだ御の字だ。古巣の奴らにバレるよりは、よっぽどいい。
缶を傾ける。炭酸の泡が喉をくすぐる。
酔いが深まる。世界が少しだけ、柔らかくなる。
「……ま、酔ってる方が、護りやすいし。あたしはあたしのやり方で、やるだけ」
灯は立ち上がる。
夜の街に、酒気をまとった影がひとつ、静かに溶けていった。
◇
テレビのモニターが、青白い光を部屋に散らしていた。
ニュースキャスターが真顔で、まるで都市伝説のような事件を読み上げている。
「本日未明、港付近の倉庫街で発生した暴行事件の続報です。被害者一名、容疑者二名、いずれも事件当時の記憶がないと証言しており……」
刑事課の空気が、わずかにざらついた。
ベテラン刑事の神代が、缶コーヒーを傾けながら低く舌打ちした。
「……マスコミめ、余計なことばっか流しやがって。そういうのは伏せとけっつーの」
同僚たちは、特に反応を返さなかった。
缶コーヒーの匂いと、雨音が窓を叩く音だけが響く。
ただひとり、新米刑事の後藤だけが、ニュースに目を留めていた。
「でも、神代さん。被害者も容疑者も、全員記憶喪失って……変じゃないですか?」
「変だよ。だが、変な事件なんざ山ほどある」
神代は椅子にもたれ、目を細める。
記憶の空白事件。今年に入ってから、全国各地で発生している怪事件。SNSでも都市伝説として語られ始めている。ついに自分の管轄でも起きたか──蛍光灯の白い光が、神代の疲れた顔の皺を浮かび上がらせていた。
「この仕事、十年もやりゃあ分かる。人間の起こした普通の事件なのか、そうじゃない事件なのか……こりゃ間違いなく後者のほうだ」
「どうしてそう言い切れるんです?」
「記憶の空白事件の現場には、決まってある女の痕跡が残ってるらしい。毛髪とか、汗とか。けど、DNAも指紋もどこにも一致しねぇ」
「女、ですか? そいつが事件に介入して、当事者の記憶を消してるってことですか?」
「可能性はある。現場からは酒の成分も出てる。だがな、酔っぱらい女が記憶を消す? そんなの、SFかホラーだろ」
後藤は、ぼそりと呟いた。
「記憶を消して、人知れず事件を解決する。スーパーヒーローもとい、スーパーヒロインでもいるんですかね?」
神代が鼻で笑う。
「スーパーヒロインだぁ? そんなもん、漫画の中にしかいねぇよ。現場にいるのは、俺たちのように後始末をする連中だけさ……でもまぁ、都市伝説をただの空想って笑い飛ばせない時点で、俺たちの手に負える事件じゃないのかもなぁ」
そう言って、神代は新しい缶コーヒーを取り出す。プルタブを開ける音が、妙に乾いた響きを立てた。その音を聞きながら、後藤はどこか遠い目をしていた。
──記憶消去。飲酒。スーパーヒロイン。
ふと、後藤の胸の奥で何かが引っかかった。
「ちょっと、トイレ行ってきます」
席を立つ後藤の声を、神代は気にも留めなかった。
◇
トイレの個室に入ると、後藤はポケットからスマホを取り出した。
周囲を確認し、息を殺して番号を押す。
「……もしもし。そちらに、お伝えしたほうがいい情報がありまして」
相手の声は、聞こえない。
ただ、彼の口元にかすかな緊張が走る。
「例の記憶の空白事件です──どうやら、あなた方の関係者かもしれません」
個室の中、換気扇の低い唸り音だけが響いていた。だが、数秒の沈黙のあと、ぶつッ──と何かが切り替わる音がして、後藤のスマホに凛とした女の声が響いた。
『……その話、詳しく聞きましょう』
その声は、冷たくもどこか艶やかで──後藤は、背筋がわずかに震えるのを感じた。
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