第15話 再構計画

 帝都アイゼンブルク――夜。

 霧を含んだ黒煙が街を覆い、

 高層塔群の灯りだけが空を縫っていた。


 その最奥、軍務局中央制御区画。

 鉄と光に囲まれた無音の部屋に、

 淡く脈打つ巨大な円盤装置が鎮座している。


 円盤の表面に走るのは無数の命令波。

 帝国全域の命令体、鋼殻兵、監視装置を制御する“中枢神経”。

 波形のひとつが、異常な振動を示していた。


 「……第十七号体、反応消失。」

 観測官が低く報告する。

 「命令波途絶から六時間。再送信に応答なし。

  消失域に風力波の異常変動を確認。」


 「風力波?」

 指揮席に立つ男が顔を上げた。

 白銀の軍服に黒い手袋。

 ヴァレン・クロウズ――帝国軍務局監督官。


 彼は目を細め、円盤の波形を覗き込む。

 「……命令波の途絶は、単なる損壊か?」


 「いえ。観測値が奇妙です。」

 技術官が指を走らせる。

 円盤の一部が拡大され、波形が映し出された。

 均一であるはずの命令波に、周期的な“間”が存在している。


 「この律動……機械的ではありません。

  むしろ、生体波に近い。」


 クロウズは沈黙したまま、光を見つめた。

 「生体波、だと?」


 「はい。命令が、命令として出力されていない。

  まるで――呼吸をしているように。」


 室内が静まり返る。

 クロウズの唇がわずかに歪んだ。


 「……呼吸する命令、か。

  人が神を模倣するなら、次に生まれるのは“意思を持つ命令”だ。」


 彼は円盤に手を置いた。

 冷たい金属の感触の奥に、わずかな脈動を感じ取る。

 「第十七号の断片を隔離しろ。

  命令波の律動をすべて記録する。

  ――再構計画を再開する。」


 技術官たちが息をのむ。

 「再構……ですか?」

 「そうだ。」

 クロウズの声は淡々としている。

 「命令の裂け目を再現する。

  神が与えた“祈り”を、命令に置き換える時が来た。」


 低い警告音が室内に鳴り響いた。

 赤い光が回転し、装置が再起動する。


 クロウズはゆっくりと背を向け、

 金属の扉を開いた。

 その奥には、透明な培養槽が並ぶ実験区画。

 無数の光が人の形を描き始めていた。


 「命令が祈りを超える日が来る。

  それが我らの“再構”だ。」


 彼の足音が遠ざかる。

 冷たい空気の中、命令波が脈を打った。

 それは確かに――“生きている音”だった。




 夜の地下は、昼よりも眩しい。


 軍務局再構研究区画――

 鋼と硝子の迷宮の最深部で、

 冷却機構の唸りが地鳴りのように響いていた。


 部屋の中央には、半透明の球体装置。

 液体のような光が内部を満たし、

 その中に“人の形”が静かに浮かんでいる。


 全身を覆うのは未成の肌。

 金属とも有機物ともつかぬ光沢が淡く脈動する。

 長い銀髪が水流のように漂い、

 胸の中心には赤い結晶核が埋め込まれていた。


 ヴァレン・クロウズが観測窓の前に立つ。

 白手袋を組み、無表情のまま言葉を落とす。


 「……起動準備、最終確認。」


 技師たちが一斉に端末へ視線を走らせる。

 「命令波安定。精神核の同期完了。

  生体反応、すべて規格内です。」


 クロウズは小さく頷いた。

 「よろしい。では――点火。」


 低い振動が床を這った。

 球体の内部で光が渦を巻き、

 液体のように流れる命令波が人の輪郭をなぞっていく。


 まぶたが震えた。

 彼女――〈RX-01 アーセラ〉は、ゆっくりと目を開いた。


 赤ではない。

 淡い橙の瞳が、薄闇を映して揺れた。

 生まれたばかりの光は、どこか迷っているように見える。


 クロウズが呟く。

 「――再構体、第一号。炎の欠片を宿す模倣個体。

  名はアーセラ。」


 技師の一人が息をのんだ。

 「……まるで人間のようですね。」


 「当然だ。」クロウズは視線を逸らさずに答える。

 「彼女は“祈りを持たない人間”だ。

  命令だけで構成された、完全な生命体。」


 アーセラの瞳がゆっくりと動く。

 視線は誰にも向けられていない。

 まるで、遠くの何かを探すように宙を見ていた。


 「……あたたかい……風……。」

 かすれた声。

 空気を震わせるほどの弱い音だった。


 クロウズが顔を上げる。

 「今、何を言った?」


 技師が慌てて端末を操作する。

 「……出力値、安定しています!

  命令波の乱れもありません!」


 「なら、問題ない。」クロウズは短く言い切る。

 「ただの記録の反射だ。」


 それでも、アーセラは動いた。

 唇が再び開き、微かに音を紡ぐ。

 「……誰かが……呼んでいる……。」


 室内の空気が止まった。

 クロウズの瞳が、冷たく細まる。


 「呼んでいる、だと?」


 アーセラの瞳がわずかに揺れた。

 「炎の……声が……。」


 クロウズは観測窓に手をつき、

 静かに笑った。


 「……面白い。

  祈りを排除しても、なお“残響”が残るのか。」


 技師が声を潜める。

 「では、失敗……?」

 「いいや。」クロウズは背を向ける。

 「これが成功だ。命令の中に祈りを閉じ込める――

  それこそが“再構”だ。」


 背後で、アーセラの胸の光が脈を打つ。

 それは命令の律動ではなかった。

 まるで、遠いどこかで灯る炎に応えるように。


 「……風が……わたしを……見ている……。」


 その小さな声を、誰も答えなかった。



 帝都アイゼンブルク、軍務評議院。

 黒鋼と白磁で築かれた円卓の部屋は、

 まるで神殿のような静けさに包まれていた。


 中央には、帝国の紋章――

 「歯車と翼」。

 祈りを捨て、機構によって世界を支配する象徴。


 ヴァレン・クロウズはその紋章の前に立っていた。

 白銀の軍服が光を受け、無機質な輝きを返す。

 彼の背後には、研究局長、参謀官、整備主任らが並ぶ。


 「――第十七号体、行動記録報告。」

 クロウズの声が室内に響いた。

 「命令波消失と同時に、周囲の風域が安定。

  観測結果は、生体波に酷似した律動を示した。」


 参謀官が眉をひそめる。

 「生体波? それは命令の崩壊ではないのか?」


 「崩壊ではない。」

 クロウズは淡々と答えた。

 「命令は自己維持を始めた。

  つまり――“命令が生きた”のだ。」


 ざわめきが走る。

 局長が机を叩いた。

 「命令が生きる? 詭弁だ。そんなもの、神学者の戯言だろう。」


 クロウズは微笑んだ。

 「そう思われても構わん。

  だが、神々が去った世界で命令が呼吸を始めた。

  我々が手にしたのは、祈りを超える理(ことわり)だ。」


 静寂。

 彼の言葉が、冷えた空気を切り裂くように響く。


 「――再構計画を次段階へ移行する。

  試作個体RX-01 アーセラを実戦環境へ投入する。」


 室内がざわめいた。

 「まだ初期段階だろう! 人格回路も完全では――」

 「人格など不要だ。」クロウズが遮る。

 「命令は祈りを超えねばならん。

  あらゆる情動は、秩序を乱す“誤差”だ。」


 冷たい声が室内を満たす。

 彼の瞳は、まるで機械の光を映す鏡のようだった。


 「エイン=No.25が祈りによって命令を壊した。

  ならば我々は、命令によって祈りを支配する。

  それが“再構”の完成形だ。」


 参謀官が低く呟いた。

 「……まるで神を気取っているな。」


 クロウズは短く笑った。

 「神が沈黙したからこそ、人がその座に立つのだ。」


 誰も反論しなかった。

 ただ、沈黙の中で記録装置の音だけが鳴っていた。


 クロウズは資料を閉じ、ゆっくりと視線を上げた。

 「アーセラを西部戦域に移送する。

  目標は、空白帯に残留する命令波の回収。

  ――それと、No.25の所在を特定しろ。」


 彼の瞳に、微かな光が宿った。

 「あの炎の兵器を、再び命令の下に戻す。

  “祈り”をこの手で再構するために。」


 評議院の扉が開く。

 冷たい光が差し込み、クロウズの背を照らした。

 その歩みは、まるで礼拝堂を去る神官のように静かだった。



 夜の丘を、風が通らなかった。


 空は晴れているのに、草一本揺れない。

 空気の流れが途絶え、世界が息を潜めている。

 まるで、“風の精霊”そのものが身を隠してしまったようだった。


 ティナが立ち止まり、ランタンを掲げた。

 炎はまっすぐに立ち、揺れることがない。

 「……風が、黙ってる。」


 エインが空を仰ぐ。

 夜空には薄い雲が流れ、星が霞んでいる。

 「ノイエルの気配が消えている。」


 その名を口にした瞬間、ティナが小さく息を呑んだ。

 「風の精霊……?」


 シオンが静かに頷く。

 「アルメリアの風は、ノイエルの加護で成り立っています。

  ですが今、その加護が途絶えている。」

 彼は星盤を開き、淡く光る星図を覗き込んだ。

 「……命令波による干渉。帝国が再び“風の領域”を制御し始めました。」


 エインが拳を握る。

 「再構計画が動いているな。

  命令で風を縛れば、精霊は応えなくなる。」


 ティナはランタンの灯を見つめた。

 「ノイエルが……怯えてるの?」

 「おそらく。」シオンの声は低い。

 「帝国の命令波は、精霊にとって“恐怖”そのものです。

  命令に縛られた世界で、自由な風は存在できない。」


 ティナは丘の上に歩み出て、目を閉じた。

 微かな風が頬を撫でる――が、それは震えていた。

 「……怖がらなくていいよ。

  もう、あなたを縛る命令なんてない。」


 炎の灯が風に触れた。

 わずかに揺れ、柔らかく、温かい。


 エインがその光景を見つめた。

 「……ノイエルは生きてる。

  ただ、呼吸を止めているだけだ。」


 シオンは星盤を閉じ、空を見上げた。

 「祈りが届かない夜ほど、星は近い。

  だからこそ、見失ってはいけません。」


 ティナがうなずく。

 ランタンの灯を胸に抱きしめた。

 その炎が、ほんの一瞬だけ風に揺れた。


 ノイエルが、息をしたのだ。





帝都アイゼンブルク。

 夜の空は黒鉄のように濁っていた。

 星は見えず、風も吹かない。

 ――風の精霊ノイエルが、沈黙している。


 軍務局観測棟の最上層。

 ヴァレン・クロウズは冷たい光を放つ端末の前に立っていた。

 「命令波、安定。風の流れ、制御下にあります。」

 技官が報告する。


 クロウズは視線を上げた。

 黒いガラスの向こうで、巨大な球体装置が脈を打っている。

 その中心には風の粒子が渦を巻き、

 淡く白い光を放っていた。


 「……これが、精霊の沈黙だ。」


 技官が身じろぎする。

 「命令波によって、風の精霊ノイエルの反応は完全に鎮静化しました。

  干渉値ゼロ。祈りの信号、遮断成功。」


 クロウズの唇がわずかに動く。

 「祈りを殺せば、風は命令に従う。

  あの“第十七号”が証明した。」


 彼は手にしていた端末を閉じ、隣の部屋へ歩いた。

 そこには透明の容器。

 中で浮かぶのは、白銀の髪を持つ少女型の鋼殻――

 再構体RX-01 アーセラ


 淡い呼吸音。

 ガラス越しに見える胸部の結晶が、規則的に脈動している。

 クロウズはその脈を見つめ、低く呟いた。

 「命令と祈りを統合する……これが、神の完成形だ。」


 背後の研究官が怯えたように問う。

 「……この個体には、精霊の意識が宿るのですか?」

 「違う。」クロウズは答えた。

 「宿らせる。祈りを命令に変換する核を組み込んだ。

  風の精霊が黙った今、代わりに“人が語る風”を造る。」


 低い音が鳴り、装置の灯が赤く染まる。

 アーセラの瞳が、微かに開いた。

 その色は、祈りの青ではなく、命令の白。


 クロウズが呟く。

 「――これで、風の神は人のものだ。」


 風が吹かない帝都で、

 人工の風が静かに渦を巻いた。


 * * *


 同じ夜。

 星商国アルメリア・首都セレフィア。

 星読院の塔の上では、淡い星光が揺れていた。


 星読士長リオス・カーディアンは、

 高窓の前で一通の祈文を握りしめていた。

 そこに刻まれた光文字は――“風の沈黙”。


 「ノイエルの気配が消えた……?」

 老星読士が震える声を上げる。

 「そんなはずはありません、風は命そのもの……!」


 リオスは静かに言葉を遮った。

 「帝国が命令波で風を囲ったのです。

  祈りの流れが遮断され、精霊が応答を止めた。」


 沈黙が落ちた。

 壁の星盤が淡く光を失っていく。

 星読院の塔が、まるで息を止めたように静まる。


 「風が語らぬ夜ほど、星は近く見える。」

 リオスは窓を開け、夜風を受けた。

 ほんのわずか――温度だけが流れてくる。

 「まだ、生きている。」


 彼は背後の弟子に目を向けた。

 「シオンを呼べ。

  彼の観測をもって、東境に祈りの陣を築く。」


 弟子が頭を下げて駆け出す。

 残されたリオスは、星々を見上げた。

 「ノイエルが沈黙したのなら――我らが声で呼び戻す。」


 その瞳は、帝国の白ではなく、星の青に染まっていた。


 遠く、風が一瞬だけ吹いた。

 まるで、誰かの囁きが夜をかすめたように。


 ――それが、風の精霊ノイエルの最後の息だった。


 夜が深まる。

 祈りが途絶えたまま、

 世界は静かに、次の夜明けを待っていた。

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