第1部 第2章 敵国の将軍 ―剣と祈りの狭間で―

 ──夜明け前の砂漠は、音を失っていた。

 風も鳴かず、空気は冷たく澄んでいる。

 篝火の残り香の中、リオナは目を開けた。


 幕の外では、兵たちが静かに支度を始めている。

 革鎧の金具が鳴り、槍を担ぐ音。

 その規則正しい響きが、まるで戦の始まりを告げる太鼓のように聞こえた。


「……もう、出るのね」


 寝台のそばに置かれた小袋を開ける。

 中には、焦げた聖印と乾いたハーブ。

 あの火の夜以来、女神の声は一度も聞こえない。

 それでも、リオナの胸には不思議な静けさがあった。


「おい、祈り手。起きてるか」


 天幕の外から声。

 レオンが布をめくると、朝の光が差し込んだ。

 彼の外套はすでに砂にまみれ、剣帯が肩に食い込んでいる。


「……おはようございます、将軍」


「今日は行軍だ。北東のオアシスに補給拠点を築く。

 王国軍が南から動いているらしい。ぶつかるのは時間の問題だ」


 リオナは思わず息をのむ。


「戦になるんですか?」


「戦争なんてのは、いつも誰かの都合で始まる。

 俺たちが拒んでも、向こうが攻めてくる。……そういう世界だ」


「……それでも、人を殺したくないと思うのは、間違いですか」


「間違いじゃない。だが、殺されるよりは、殺す方が生き残る。

 お前が手を差し伸べられるのは、戦が終わった後だ」


 その声に、ため息のような苦味が混じる。

 彼自身もまた、戦に疲れているのだと感じた。


「わかりました。なら私は……生き残る人を増やします」


「いい答えだ」


 短く言って、レオンは背を向ける。

 だが、去り際にふと振り返った。


「……昨日の火の中、お前を見た時、思った。

 あの光は、神の奇跡なんかじゃない。お前自身の強さだ」


「……そんなふうに言われたの、初めてです」


「覚えておけ。奇跡に頼る者は倒れるが、自分を信じる者は立つ。

 俺が知る“強い女”は、いつもそうだった」


 その言葉が、胸の奥に小さく残った。


 昼過ぎ、隊は砂丘を越えた。

 地平の彼方に、小さな緑の帯が見える。

 オアシス──水と命の境界。


「ここを拠点にする。祈り手、負傷兵の臨時治療所を作れ。

 戦が始まれば、地獄になる」


「わかりました」


 リオナは天幕を張り、薬草の仕分けを始めた。

 手の感覚だけで、種類と効能を覚えている。

 神殿で学んだ日々が、今はただの記憶でなく“生きる術”として甦る。


 外では、兵たちが防壁を築き、弓の調整をしていた。

 砂の上で金属がこすれ合い、命の音が重なる。

 それでも誰もが黙って作業を続ける。

 ここでは“恐怖”を言葉にした瞬間、それが現実になるのだ。


 リオナが天幕の影で手を止めると、背後から声がした。


「何をしてる」


「草を仕分けてます。これ、熱を下げるもの。

 これは止血。……これは、痛みを忘れさせる草です」


「痛みを忘れさせる?」


「戦う人たちは、痛みを知らなければ生きられない。

 でも、痛みを覚えているからこそ、人を癒やせるんです。

 矛盾してますよね」


「人間なんて、矛盾の塊だ。

 ……俺も、家族を殺した王国を憎みながら、今はその聖女を庇っている」


 リオナは顔を上げた。

 レオンの声は、焚火の煙のように静かで重かった。


「将軍……」


「安心しろ。俺はお前を信じると決めた。信じる限りは裏切らん。

 ただ――裏切られた時は、俺が斬る」


「……ええ。それでいいです。

 その時は、私もあなたを斬る覚悟でいます」


 一瞬、レオンの口元がわずかに緩んだ。

 その表情は、これまで見たどんな笑みよりも人間らしかった。


 夕刻。

 遠方の砂丘の向こうから、旗が上がる。

 王国の紋章──白百合の旗。


「来たか……」


 レオンが立ち上がる。

 陽光が鎧を照らし、兵たちの視線が一点に集まった。


「全隊、布陣を取れ! 迎撃準備!」


 号令が響き、砂漠の空気が震える。

 リオナは天幕の入口に立ち、胸の前で手を組んだ。


(どうか、誰も死にませんように。……せめて、今日だけは)


 風が祈りをさらっていく。

 その先で、レオンが振り返った。

 灰色の瞳が、一瞬だけ彼女を見つめる。


 言葉はなかった。

 だがその眼差しが、“生きろ”と告げていた。


 日が沈み、戦端が開かれた。

 矢の音が空を裂き、土煙が舞う。

 鉄の匂い。叫び声。祈りの断片。


 リオナは負傷兵を運び込みながら、必死で手を動かした。

 次々と運ばれてくる男たちの体。血、汗、砂。

 医療器具が足りない。水も尽きかけている。

 それでも、止まるわけにはいかなかった。


「リア、外は危険です! もう天幕に!」


「いいえ、まだ外に……将軍が!」


 叫びを振り切り、リオナは外へ飛び出す。

 夜空に燃える松明の光が乱舞し、戦場が赤く照らされる。

 その中央で、レオンが王国の騎士団と刃を交えていた。


 剣と剣がぶつかり、火花が散る。

 リオナは叫ぶ。


「やめて! もう、これ以上……!」


 その声は戦場の喧騒にかき消された。

 敵兵の一人がレオンの背後に回り込む。

 リオナは迷わず駆けた。


「将軍――!」


 地を蹴り、敵兵の腕を掴む。

 刃が軌道を逸れ、レオンの肩口をかすめただけで済んだ。

 リオナの腕に血が走る。


「バカッ、何をしてる!」


「あなたを……失いたくなかったから!」


 レオンは一瞬、目を見開いた。

 その隙に敵兵を弾き飛ばし、剣を振り下ろす。

 血の霧が舞い、砂が赤く染まる。


 風が止み、沈黙が訪れた。


「リア……」


 彼の手が、リオナの傷口を押さえる。

 彼女は首を振り、微笑んだ。


「だいじょうぶ……。少し痛いだけです」


「お前、命を粗末にするな」


「あなたに言われたくありません。火の中に飛び込んだのは誰でしたか?」


「……ぐ。言い返せんな」


 レオンがわずかに笑う。

 戦の最中とは思えないほど、穏やかな瞬間だった。


 だがその背後で、王国軍の旗が再び翻る。

 遠くから、銀鎧の部隊が進軍してくる。


「王太子直属部隊……」


 レオンが呟いた瞬間、彼の顔に険しさが走った。

 その中に、一人の男の姿が見える。

 金の髪、白銀の鎧。かつてリオナが信じ、そして失った人。


「……アレクト」


 リオナの唇が、その名を震わせた。

 レオンがゆっくりと振り向く。


「知っているのか」


「ええ。……私を処刑した人です」


 灰の瞳と蒼の瞳が交錯する。

 過去と現在、赦しと憎しみが、砂の上で再び出会った。


 砂塵の向こう、王国の白百合の旗がはためいた。

 陽光を浴びた白銀の鎧。

 その中央に立つ男を、リオナは一目でわかった。


 金の髪、澄んだ蒼の瞳――アレクト・リヴィウス。

 かつて、彼女が信じ、愛し、そして裏切られた王太子。


「……嘘。そんな……」


 声が震えた。

 レオンが低く呟く。


「王国の王太子か。ずいぶんと“格のある敵”だな」


 アレクトの視線が戦場を横切り、まっすぐリオナを捉える。

 その瞳が、確かに揺れた。


「リオナ……。お前が、生きているのか……?」


 風が止まる。

 周囲の兵たちの動きすら、遠のいたように感じた。


 リオナは唇を開く。

 けれど、言葉が出ない。

 過去の光景――断罪の間で向けられた冷たい瞳が、脳裏をよぎった。


『幻だったのかもしれない』


 あの一言が、まだ胸の奥で刺さったままだ。


「私は、もう“聖女リオナ”ではありません。

 ただの、祈り手です」


「祈り手……? まさか敵国に仕えているのか」


「仕えてなんかいません。救える人を、救っているだけです」


 アレクトの表情に痛みが走る。

 彼は手綱を引き、ゆっくりと馬を進めた。


「リオナ。俺は……あの日、お前を処刑したことを、今も――」


「殿下!」


 レオンの声が鋭く遮った。

 彼は一歩、前へ出る。灰の瞳が冷たく光る。


「今さら口先の後悔で、何を贖うつもりだ。

 こいつを殺したのは、お前たち王族の手だろうが」


「貴様……誰だ」


「アルステラ将軍、レオン・ヴァルグ。

 この女の命を救い、守ってきた男だ」


 アレクトの眉が動いた。


「守った? 俺が信じた聖女を処刑せざるを得なかった理由を、

 お前のような敵国の兵が知るか!」


 その瞬間、二人の間に、金属音が走った。

 レオンの剣とアレクトの刃がぶつかり、火花が散る。


「将軍! やめて!」


 リオナが叫ぶが、誰も止まらない。

 剣と剣がぶつかるたび、砂が舞い、陽光が閃光のように反射する。


「お前たち王族は、いつも同じだ!」

 レオンの怒声。

 「正義を語り、命を奪う!」


「俺は……彼女を信じたかった! だが、お前たちアルステラが呪術を仕掛けたせいで――!」


「それを信じたのはお前の弱さだ!」


 刃と刃がぶつかり、空気が裂ける。

 レオンの一撃がアレクトの肩をかすめ、銀の鎧が弾けた。

 アレクトの剣が反撃し、レオンの頬を浅く裂く。


「二人とも、やめて!!」


 リオナの叫びが、戦場に響いた。

 風が強くなり、砂嵐のように舞い上がる。

 リオナの胸の奥で、焦げた聖印が熱を帯びる。


(女神さま……どうか、止めて。これ以上、誰も……!)


 手を伸ばした瞬間、光が弾けた。

 白い風が広がり、砂が舞い上がる。

 剣を構えたまま、二人の男の動きが止まった。


 ――聖なる光。

 けれど、以前より弱く、儚い。

 それでも、二人の呼吸を奪うには十分だった。


 リオナは崩れ落ち、膝をついた。


「リア!」


 レオンが駆け寄り、彼女の肩を支える。

 リオナは微笑んだ。


「……大丈夫。少し、力を使いすぎただけです」


 アレクトは呆然と立ち尽くしていた。

 目の前の光景が、現実とは思えないという顔で。


「そんな……奇跡の力を……まだ使えるのか……?

 お前は本当に、死んで――」


「死んで、生き返りました」

 リオナは静かに答えた。

 「あなたのせいで、でも――そのおかげでもあるのです」


「おかげ……?」


「私を殺したその選択が、今、私を“聖女ではない人間”にした。

 だからこそ、もう誰も裁きません。あなたでさえも」


 アレクトは唇を震わせた。

 その目に浮かんだのは、憎しみでも怒りでもない。後悔だった。


「……リオナ。俺は――」


「もう言わないでください。あなたの言葉は、過去の私を縛ります。

 私は、今を生きています。将軍とともに」


 レオンの肩に手を置く。

 その姿に、アレクトの表情が痛みに歪む。


「……そうか。

 ならば、俺は王として、お前を“敵”と認めよう」


 アレクトが剣を構える。

 その背後で、王国軍が再編される気配。

 レオンがリオナを庇い、灰の瞳を細める。


「やれるものならやってみろ、王子様。

 この女を、二度と奪わせはしない」


 風が再び吹いた。

 砂塵の向こうで、金と灰の瞳が交錯する。

 運命が、再び剣を交えた。


 戦いは数刻続いた。

 太陽が傾き、砂漠の影が長く伸びる。

 王国軍は数で勝りながらも、アルステラの防衛線を破れない。

 リオナの祈りと治癒によって、負傷兵は次々と立ち上がる。


「もう一歩も引かせるな!」

 レオンの号令が響く。


 その声に、リオナは不思議な感情を覚えた。

 恐れでも興奮でもない――“生の実感”。

 死の淵に立ちながら、それでも誰かを生かそうとする人々の熱。


(こんなにも、強く、美しいなんて……)


 だがその時、再び閃光。

 王国側の陣から、一騎の影が突き進んでくる。

 その手に光の槍。王家の神器、《聖槍ルメル》。


「リオナァァァァァッ!!」


 アレクトの叫びと共に、槍が光の尾を引いた。

 レオンが咄嗟にリオナを抱き寄せ、身をひねる。

 閃光が地面を裂き、爆風が砂を吹き上げた。


 熱風と土煙の中、リオナの耳が鳴る。

 視界が白く霞み、遠くで誰かの声がする。


「リア! しっかりしろ!」


 レオンの声。

 血の匂い。彼の肩口に、深く槍の破片が突き刺さっていた。


「将軍、血が……!」


「いい、かすり傷だ」


「そんな……!」


「黙ってろ……死ぬのは、まだ先だ」


 レオンが無理に笑う。

 その笑顔が、ひどく悲しかった。


「あなたが死んだら、誰が私を守るんですか」


「お前だ。お前が、俺を守れ」


 その瞬間、リオナの胸に温かな光が満ちた。

 焦げた聖印が眩しく輝き、風が止む。

 砂漠の空気が、一瞬だけ凍りつく。


(女神さま、もう奇跡はいりません。

 この手で――この命で、彼を救わせて)


 リオナの手から柔らかな光が広がり、レオンの傷が閉じていく。

 血が止まり、呼吸が落ち着く。

 彼女の視界が暗く沈む中、レオンの手がその頬を支えた。


「バカ……無茶しやがって」


「あなたが言うんですか、それ……」


 最後に微笑んで、リオナは意識を失った。


 砂漠の夜。

 王国軍は撤退し、戦場には静寂だけが残った。

 レオンは血の滲む外套を脱ぎ、倒れたリオナを抱き上げる。


「……生きてる。大丈夫だ」


 灰の瞳に、微かな安堵。

 月光が彼女の頬を照らし、風が髪を撫でる。


 その遠く、丘の上からアレクトが見下ろしていた。

 握り締めた拳の中で、聖槍が軋む。


「リオナ……なぜ俺ではなく、あの男なんだ」


 その声は夜風に溶け、誰にも届かなかった。


 夜明け前の砂漠は、血と煙の匂いに満ちていた。

 焚火の赤が、まるでまだ消えぬ怒りのように燃えている。


 リオナは、天幕の中で目を覚ました。

 腕には包帯。体は重い。

 けれど、心の奥には奇妙な静けさがあった。


「……ここは……」


「目が覚めたか」


 低い声。

 隣の木箱に腰を下ろしているのはレオンだった。

 額に包帯を巻き、肩には新しい傷跡。

 それでも背筋は真っすぐで、目は鋭いままだ。


「戦は……終わったんですか?」


「一時撤退だ。王国軍は北の丘で再編中。

 だが、奴らはすぐ戻るだろう。あの王太子の目を見た」


「アレクト殿下……」


 その名を口にしただけで、胸の奥が痛む。

 レオンが視線を落とし、焚火に小枝を投げた。


「お前にとって、あの男は何だ」


「……昔は、光でした。

 私が聖女として祈りを捧げる理由も、

 人を信じる勇気も、全部あの方がくれたんです。

 でも、同じ人が私を処刑した。

 だから、今は――もう、光でも闇でもない。

 ただ、過去です」


「過去、か」


 レオンは小さく笑った。

 その笑いは、少し寂しげだった。


「過去を切り捨てる女は強い。

 ……だが、過去を赦せる女はもっと強い」


「赦す……?」


「戦を終わらせたいなら、どちらかを斬るんじゃ足りん。

 誰かが、憎しみを“赦し”に変えなきゃならん」


 リオナはその言葉を胸に刻んだ。

 静かに頷く。


「なら、私がやります。

 私が始まりだったのなら、終わらせるのも私の役目です」


「お前……死ぬつもりじゃないだろうな」


「生きるために行きます」


 その一言に、レオンの目がわずかに見開かれた。

 やがて、短く息を吐く。


「……まったく。無鉄砲な女だ」


 数時間後。

 砂丘の頂上に立つリオナの姿を、王国軍もアルステラ軍も見た。

 白衣は血に染まり、髪は風になびく。

 それでも彼女の歩みは、恐れを知らない。


 両軍がざわめく中、レオンの部隊が後方に控えた。

 アレクトは前線に立ち、槍を構えたまま動かない。


「……リオナ。何をするつもりだ」


 その声は、怒りと戸惑いをないまぜにして震えていた。

 リオナは風の中で微笑んだ。


「戦を止めます。

 この大地に流れる血が、もうこれ以上増えないように」


「そんなこと、できるわけがない!」


「できます。私が――“聖女だった私”が、最後に残した奇跡で」


 リオナは手を掲げた。

 焦げた聖印が、陽光に照らされて輝く。

 そこから放たれる光は、以前よりもずっと柔らかく、温かかった。


「神よ。どうか、この愚かな子らを赦してください。

 敵も、味方も、人は皆、同じ痛みを抱えています――」


 光が膨らむ。

 砂漠の上を、白い風が走った。

 それは爆発でも、閃光でもない。

 ただ、涙のように優しい光だった。


 兵たちの手から剣が落ち、弓が下り、膝がつく。

 誰もが息を呑み、空を見上げた。

 戦の音が消えた。


 リオナの体がふらりと傾ぐ。

 レオンが駆け寄り、抱きとめた。


「リア!」


「……できました。これで……少しの間は……」


「馬鹿……自分の命を削るような真似を……!」


「平気です。

 神の奇跡じゃなくて、私自身の祈りですから。

 ちゃんと、生きてます……」


 そう言って、リオナは微笑んだ。

 その笑顔を見て、レオンの胸の奥で何かが静かに弾けた。

 怒りでも哀しみでもない、名もない温かさ。


 沈黙の中、アレクトが歩み出る。

 彼の鎧は傷だらけで、瞳の色はもう戦場の王子ではなかった。


「リオナ……お前は、やはり神の子だ」


「違います。私は人間です。

 あなたも、将軍も、皆……同じ人間です」


「……俺は、間違っていたのか」


「間違っていたと思うなら、これから変えてください。

 私を殺した罪は、戦を終わらせることでしか贖えません」


 アレクトは拳を握りしめ、そしてゆっくりと剣を地に突き立てた。


「……わかった。俺は降伏する。

 この戦を終わらせよう。俺の名にかけて」


 その言葉に、兵たちがざわめく。

 アルステラ軍の中からも安堵の息が漏れた。

 レオンは剣を下ろし、リオナを見下ろした。


「お前、ほんとに……やっちまったな」


「はい……ちょっと、やりすぎたかもしれません」


「だが……よくやった」


 レオンの声は低く、けれどどこか優しかった。

 リオナはその胸に顔を埋め、そっと目を閉じる。


 夕陽が砂丘を染める。

 血の色が、やがて金色に変わっていく。


 リオナは丘の上に立ち、両国の旗を見つめた。

 風に揺れるその布は、もう争いの象徴ではない。

 命の証として、同じ空の下に並んでいた。


「……終わりましたね」


「ああ。お前のおかげでな」


「神は、見ていてくれたと思いますか」


「さあな。だが、俺は見た。

 お前の祈りが、本当に世界を変えたってことを」


 リオナは微笑む。

 そして、夜空に手を伸ばした。


(女神さま。私はもう、祈りません。

 でももしあなたが見ているなら――この人たちを、祝福してください)


 遠くの空に、一瞬だけ白い光が瞬いた。

 それはまるで、静かな微笑みのように見えた。

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