10話 推しとして、同級生として、友達として
「これを、思い出して欲しかったんです」
体育館裏から入れる小さな倉庫のような一室が楽屋になっていて、そこへ私達は隠れるように入った。
そして部屋に入るや否や葵さんは服の内からごそごそと、丸められてしわしわになった小さな紙を取り出して瑞希さんに手渡す。
「これ、一番最初の仕事の時の奴……」
瑞希さんが開くその紙を後ろから覗くと、紙面の端には、十年前の今日と同じ月日が記されていた。
瑞希さんが「前もやった」と昨日言っていたのは、これの事みたいだ。
「だから私は、あなたに今回の仕事を依頼した……。私があなたの一番最初のファンで友達だって、そんな私と……」
自分をもう一度見て欲しい。
葵さんの目的はあまりにも単純。だけどそれをするにはとても大掛かり。
公共の場でしか喋ってくれないという事は、きっと解散後は普段の連絡だって取っていないか無視されている。だからきっとこれは、この行事を仕事として寄越したのは賭けだ。
「……辞めなよ、そういう事言うの。悲しくなるから」
そしてその賭けは、どうやら成功したようだ。
「お前を助けようとする度に、お前は更に遠い場所へ行ってしまう。心配だったんだよ、私は気弱だったお前が、活動してる内に同業にいじめられたり変な奴に絡まれるのがさ」
渡された紙の端で、少し目にたまった水を拭き取る。
「お前の考えも気に入らなかったけどさあ、解散持ちかけたのもそうなるのが嫌だったから……。忘れるわけないじゃん……、お前自分が思ってるより個性強いぞ!」
その言葉を聞いて、葵さんは信じられないような事を聞いたみたいにゆっくりと顔を上げる。
「私は遠い場所になんて行きません……」
そして途端にいじらしい表情に顔が変化し意気揚々と、自身のショルダーバッグの中身を勢い良く開放。そこには、ミズがソロ活動し始めてからのグッズが山のように入っていた。
「うわ!」
あんぐりと口を開けてブラックホールの先の深淵を見たように理解が追いつかない表情。辛苦の空気が、一変した。
「当然、グッズは一通り買ってファンクラブにも入ってます」
そんなパートナーの顔を見て、したり顔で推しへの愛を伝える。
「追っかけの方じゃ無かったのか……」
ショルダーバッグの奥で光る自分のアクリルスタンドを見て苦い顔をする瑞希さん。
なんて、友達想いの人なんだろう。私なんかよりよっぽど近い位置で、支えているじゃないか。
私は瑞希さんを見ているだけで、かつてのユニットに戻る事を望むだけで、何もしなかったのに。そういえば葵さんは私と瑞希さんの様子を見て、「仲がよろしい」と言ってくれた。あの時は謙遜して否定したけど、何か、大きな意味のある言葉かもしれない。
刹那、逡巡する。
葵さんは友達として瑞希さんに訴え、想いが通じた。推しとかユニットとか、そういう立場を抜きにして全てをさらけ出した。なら、推しでも無く箱推しでも無い、そんな第三の選択肢を見出せれば、どうだろう。
そしてそれは友達であり、同級生である事なのかもしれない。
「これだ!天啓!やる気出てきた!」
私だって、同じクラスの友人として瑞希さんを支えてみせる!
「瑞希さん!宿題見せるし、みんなと仲良くなれるよう根回しするし、これからも学校、来てくれると嬉しいです!友達として、接していけたらと……」
「はあ……」
決死の告白は、初めて喋った時みたいに、めんどくさそうに頭をかかれ軽く流されてしまった。決意表明としては、綺麗に失敗した。
「でもびっくりしましたよ、いつの間にか声低くなっていましたし。変声器とか付けてないですよね?」
顎に手を添えて、まじまじと喉元から耳までをじっと観察する葵さん。
でも確かに私もそれは思っていた。人の声が、ここまで変幻自在だと。
それもアイドルとしての努力の賜物だと考えると、何もせず普通に生きる私と彼女との意識の差に罪悪感を抱き平伏したくなる。
「なんていうか、ストイックというか……。そもそもどうして解散してからも続けようと思ったんですか?こういうのって大体解散後はズルズルと落ちてくイメージが……」
「あ、それ。私も気になってたんです」
「失礼な奴らだな……」
葵さんを避けるように首をくいくいと猫みたいに動かす。
はあ、と再び小さなため息が聞こえた。
「だって、葵。お前が私の事をかっこいいって言ってくれたんじゃないか。あれで私、もっと頑張ろうと思ったから。低音も出せるようになったし、普段の声を低音にしたらこっちの声の方が好きになってきたし」
「……!」
葵さんが瑞希さんを抱きしめようと手を伸ばすも、ふと冷静になったのかそのまま引っ込めていった。互いが互いの為に、手段は極端だけど助けようと、かっこよくなろうとしている。
形こそ違えど、二人は全く何も変わっていない。
「私はお前達みたいな奴等のおかげでアイドルやれてんだよ!はいはい、どうもありがとう!だからこの話は終わり!」
ぶっきらぼうに、彼女は叫ぶ。
二人が互いの為に頑張れば頑張る程遠ざかっていく。雪が可哀想に見えて手に取ってみれば、その雪は手の温かさで消えてしまうみたいに。そんな磁石のS極とN極を無理矢理くっつけてくれる物、それは。二人はアイドルとか推しとか尊敬とか以前に、高校一年生の同級生であり友達だったという事だ。
「やっぱり、あなたはファンに強く出れない人間ですね。昔からずっと」
向けられる穏やかな微笑みから身体を逸らしながら、瑞希さんはフードで顔を隠す。
「くそ、ライブ前なのになんか疲れた……。ちょっと寝る……」
そうして顔を隠したままよろよろと、迷子の子供のように眠れる場所を探し倉庫をうろうろとし始めた。
「寝るって、こんな硬い椅子と机しか無いのにですか?」
部屋の中は服をしまうロッカーと、古びた机と椅子くらいしか無い。窓には蜘蛛の巣まで張られている。
「正座して」
瑞希さんが鞄からタオルを取り出しながら、静かに私へ向かって呟く。
「へ?」
「寝るから。友達なら頼んでも良いよね」
「ああ、ええ、はい……」
冷たい床に言われるがまま正座する。しんと冷たい感覚が、身体の内側に伝わって来て寒くなってくる。だが、瑞希さんが私の膝にタオルを敷いて横になってきた瞬間。
膝を起点に暖かい感触が私を包み始めていった。
目の前の事実を脳の中で現実だと認識しようと、何度も目を逸らしたり、眠る瑞希さんを覗き込んだりしてみる。そうしているうちに、やがて静かな寝息が聞こえ始めてきた。
眠る瑞希さんが寝息をたてる度に、私の身体も僅かに揺れる。心臓が息をする度に、私の心臓の鼓動も速くなっていく。
「あの、葵さん。推しが……膝で寝てるんですが……」
思ったより華奢で髪の毛からいい匂いがする。そんな事くらいしか言語化する事が出来ず逆に頭の奥が冷静になってきた。
「まあ、あなたへのご褒美として受け取ってあげてください」
「ご褒美……」
「それに、友達なんでしょう?膝枕くらいさせてあげてくださいよ」
「友達って、こんな関係でしたっけ?」
「少なくとも私と香織さんは、そういう関係でしたが」
友達の範疇なのかと訝しんだが、とりあえずそういう事にしておいた。
正座のまま三十分もすれば、香織さんは自動的に瞳をぱちくりと開き、決められた時間に起き上がるおもちゃみたいに身体を機械的に起こした。
「はあ、葵……」
ふにゃふにゃとした声をあげ立ち上がりながら、彼女は衣装の乱れを軽く整える。
「あの、私は葵さんじゃなくていちごなんですが……?」
「あ」
ごまかしたいのか、途端に自分の持ち曲の鼻歌なんかを歌い出しつつ私から離れていく。
……これ、シンプルに元からそういう関係だから素で間違われただけだよね?
私もまた、なんだか生々しいというか、そういう裏側を見せつけられたみたいで少しだけ頬が赤くなってきた。冷たい床を見て心を冷却する。
「良い事じゃないですか、頼れる子が増えたというのは」
「別に私は、一人でも全然やってけてるから」
「それは重々承知です。だからこそ私やいちごさんはあなたの事を、支えたくなるんです」
「……ふーん」
上ずった、嬉しさがこみ上げかけてきているような相槌が聞こえ顔を上げる。
「じゃあ、行ってくるから」
すると何事も無かったかのように堂々と、一人であるのに二人分の重みが積もっているような、そんなアイドルとしてのミズが私を軽く一瞥し去っていた。彼女を追いかけようとして立ち上がった私は、膝が痺れそのまま床にへたり込んでしまった。
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