第5話 ピンクのしるしと、冷たい予感
あの日以来、何度か学校帰りに小山さんと会い、小さなあの公園で僕たちはたくさんのどうでもいい話をした。その時間は日頃、受験のストレスにさらされている僕にとって、やすらぎとなり徐々に大事な時間となっていった。
初対面のときに子供だと思っていた小山さんは、読書家で3人姉妹の長女であり、そのせいかときどき僕よりも大人に見えることがあるくらい、しっかりとした女の子だった。
時折見せる大人びた、でもどこか寂しそうな表情に、僕はドキドキさせられた。この感情が「恋」だと気づくのも時間の問題だった。
ある時、彼女はベンチから足を投げ出しながら、「あのね、先輩。私、『若草タイム』のとき、先輩が誰よりも一生懸命に芋をお世話しているのを見て、『きっとこの人は、自分が決めたことはちゃんとやり遂げる人なんだ』って思ったんです。」
そういいながら彼女はまっすぐ僕の目を見て笑った。
それは曇りのない、純粋な賛辞だった。僕は胸の奥がぎゅっと詰まるのを感じた。彼女のいう「一生懸命」が、ただの「貧乏だから芋をたくさん欲しかった」という僕の動機とはあまりにもかけ離れていることに、僕は気づいていた。
僕は、たぶん彼女の作り上げた「理想の先輩」にはなれない。この瞬間の温かさは、いつか、僕の手元から消えてしまうものなのかもしれないと思った。それは、胸に刺さった小さな小さな棘のようで、少しづつでも確実に「終わり」の冷たい予感を周囲に毒のようににじませていた。
夏が過ぎ、秋に入ると乾いた風に乗って受験の足音が間近にせまり、講習や勉強会などで下校時間が不規則になることが多くなった。小山さんと下校時間が合わず会えない日が続いた。
今と違い連絡手段を持たない中学生の僕たちは、会いたい、一緒にいたいという気持ちを持ちつつもそれを具現化する方法を持たない。
だけど、思春期特有の思い込みで 時折、学校の廊下ですれ違うときに目が合う程度のコンタクトでも、お互いの思っていることがわかる気がした。それは、二人だけの、誰にもわからない秘密の言葉だった。
冬の足音が近づく晩秋の日、いつもの放課後の講習会で居残っていた教室から出た。廊下の先に、図書委員会が終わった後らしく、ハンギョドンの下敷きを胸に抱えた小山さんの姿があった。あっいた!という嬉しい気持ちが先に出てしまい、思わず手を振ってしまった。小山さんも満面の笑みで手を振り返してくれた。
それが、非常にまずかった・・・。
そのシーンをクラスメイトに観られており、受験のストレスにさらされている同級生たちは、息抜きとしてこの事件を嬉々として勝手に噂を流し、僕と小山さんは関係を追及され、1年生と3年生の禁断のカップルとしてあっという間に学校中の噂になってしまった。
次の日の帰り、友人と校門を出ると小山さんが待っていた。たぶん噂を気にして対策を相談したかったんだろうと思った。僕が近づくと友人たちに「あ、大好きな彼女がいるぞー お熱いですねー」と大声で冷やかされ、このままじゃ彼女もいじめられてしまうかもしれないという恐れと不満と羞恥心がピークに達したボクは「そんなんじゃない!」と大きな声で言ってしまった。
瞬間、大声で笑っていた友人たちの声が、潮が引くように一瞬で止んだ。代わりに聞こえたのは、ただ風が吹き抜ける音だけだった。
しまったと思ったが時すでに遅く。うつむいた小山さんの目元に、眼鏡を伝って落ちる、水滴のきらめきが見えた。 彼女は何も言わず、ただうつむいたまま、踵を返してアスファルトの上を逃げるように走り去ってしまった。僕の目の前には、ただ乾いた風の匂いだけが残っていた。
すぐにでも追いかけて、謝りたかったがこれ以上噂になりたくないというちっぽけな自尊心が邪魔をして、ボクはその場に立ち尽くすことしかできなかった。
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