第6話 届いた思い

 阿久津が煙草を軽くふかした。


「昨夜、お前が帰った後に、宮田が異常な微弱信号を発見した。システムの底でループしてたデータの残骸。安心しろ、すでに対処済みだ。宮田がいなきゃ、再起動の波でライン3が焼き切れてたよ」


 レイナは呆然と立ち尽くしていた。「そんな……私が、見落としてた……?」


「誰もわかりゃしない。こいつだけだ、あれを掴めるのは」


 照れくさそうに頭をかいた宮田は、あくびを噛み殺した。「主任、あの……少しは僕たちも頼ってください。なんでも自分一人でやるのは大変ですから」


 くたびれた笑顔を残し、ふらふらと部屋を出ていった。自動ドアが閉まる音が静かに響く。残されたレイナは唇を噛んだ。――私がミスするなんてありえない。――それをあの彼が……? 


 だらしない日常が脳裏を霞む。情熱、笑い、夢。自分がかつて、「捨て去った場所」で立ち止まっている彼が……指先がわずかに震えた。プライドと羞恥が入り混じった熱が胸を焼く。その背に、阿久津の声が落ちた。


「あいつはお前が思っているような軽い奴じゃない……」


 レイナが振り返った。阿久津はタバコを咥えたまま、窓の外を見ていた。重たい沈黙のあと、ぽつりと話し始めた。




      ※




 三年前 ― 地上宇宙防衛開発センター。俺はベテラン整備主任として、次期無人探査機〈プロメテウス〉の試験チームにいた。宮田は臨時の派遣エンジニア。肩書だけの新人。だが――異様にしつこく、そしてやけに楽しそうに働くやつだった。周囲は彼を“SFオタク技術者”と呼んで距離を置いた。俺も特に気にしていなかった。


 そんなある日、試験中に探査機の動力コアが暴走した。冷却システムが凍結、爆発まで残り五分。緊急遮断命令。全員が避難する中、ただ一人、宮田だけが制御室に残った。


「おい! 死ぬ気か!」


「まだ間に合います!」


 警報音と赤く点滅するモニターの光の中、宮田の目はデータのひとつひとつを追った。異常を示す微細な波形――通常の計測値の中に眠る、コアの熱暴走を予測できる“前兆パターン”。宮田の体が青白い光で包まれた。光の粒子が、宮田の周りに回遊し始める。俺は唖然とその様子を眺めた。


「……ここだ。冷却弁の開閉タイミングがずれてる!」


 瞬時に制御コードを書き換え、冷却剤を手動で逆流させた。コアの熱を安全に外へ逃がす。その代わり、自分のいる区画が真空に晒される。警報が鳴り響く中、酸素残量がゼロに近づく。それでもあいつは、笑っていた。


 ――僕には宇宙人を見つける夢がある。 ――探査機を失うということは、その夢をなくすことなんです。


 呆気にとられた。宇宙人だって? 爆発は免れた。探査機は再起動。宮田が残したデータ修正が、後の冷却理論の基礎になった。医療ポッドの中で眠る宮田を見下ろしながら、俺はあきれて苦笑いを浮かべた。 「……馬鹿野郎。だが、お前みたいな馬鹿は嫌いじゃねぇ」




      ※




「筋金入りの宇宙人オタク。だが、あいつには何かの”力”がある。夢を見る資格は十分にあるのさ」


 阿久津は、首をすくめて静かにタバコの火を消した。鋭い瞳がレイナを射抜く。


「だが、お前にも資格はある。思い出せ。何かに夢中になるってことは、悪いことじゃなかっただろ?」


 レイナは黙り込んでいた。息を吸う音さえ、ためらわれるほどの沈黙。そして、わずかに震える拳を握りしめ、踵を返す。


「……次は、私が見抜きます」


 一言呟き、レイナは歩き出した。扉の向こう、白い光の中へ消えていく後ろ姿を、阿久津は細めた目で見送った。


「宮田、お前の思い。確実にあいつに届いているぞ……」




 阿久津は静かに煙草に火をつけた。嵐のような警報の中、宮田の必死な顔が浮かぶ。体中を覆う光の粒子。あいつに引き寄せられるように、楽しげに舞っていた。


「スペースベイビー……か……」


 あの時、俺は初めて奴の才能の本質に気づいた。宇宙(そら)で生まれたあいつだけが見せる奇跡。隠された真実を見抜く光の力。阿久津の口元が僅かに引き締まった。机から「地底探査隊〈アンダーライン7〉」と書かれた資料を取り出す。煙草を軽くふかす。ページをめくる手が震える。金髪の女性の写真。表情が険しくなる。


――さて、いよいよか


 資料を前に、静かにため息をつく。次の局面が動き出す――その重みだけが、部屋に漂っていた。

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