第27話 揺らぐ心地

 聖なる樹に寄生していた腐朽獣を討伐し、エルフたちに変化の必要性を説いてから数日が過ぎた。


 俺の説法は特に若いエルフたちの間である程度の動揺と共感を生んだようだが、長老をはじめとする里の上層部は依然として古い掟と閉鎖的な考えに固執している。


(まあ、エルフは変化を嫌う種族だからな。焦りは禁物か)


 俺は『バビロンズ・ゲート』の知識を思い出す。

 エルフ関連のイベントは、他の種族に比べて時間がかかるものが多かった。彼らは長命な分、その生き方や考え方を変えるのにも時間がかかるのだ。


 ウェリネの心には確実に変化の兆しが見えている。

 彼女自身が自らの意志で外への一歩を踏み出すのを待つのが得策だろう。


「……というわけだ。しばらく、この里に滞在することにする」


 樹上の客室で俺はアザゼルとベリアスにそう告げた。


「陛下のご判断に従いますわ。この森の空気は清浄で心地よいですし」


「はっ。私も異存はございません。陛下のお側をお守りできるなら、どこであろうと」


 アザゼルは優雅に微笑み、ベリアスは生真面目に頷く。

 こうして俺たちの奇妙なエルフの里での長期滞在が始まった。


 昼間は俺は知識欲旺盛な若いエルフたちに囲まれ、さながら特別講師のような日々を送っていた。

 

 俺が披露する外界の知識――魔法理論、歴史、地理、さらには簡単な工学技術に至るまで――は、閉ざされた森で育った彼らにとって驚異の連続だったらしい。

 貴重な休日を浪費してでも『バビロンズ・ゲート』の設定集まで読んでいて助かった。


 俺もまたエルフたちが持つ古代の森の知識や精霊魔法について教えを請い、それなりに有意義な時間を過ごしていた。

 魔王としての知見も少しは深まったかもしれない。


 そして夜。

 聖なる樹が力を取り戻し濃密な魔力を振りまくようになった影響か、あるいは異郷の地での高揚感か。アザゼルとベリアスとの交わりはますます熱を帯びていた。


「んんっ……! 陛下……! 今宵の魔力はいつもより熱く感じますわ……!」

 

「ヴァエル様……! あ……! 清らかな森の中で、このような……は、恥ずかしい……!」


 サキュバスの本能を刺激され、より妖艶に乱れるアザゼル。

 騎士としての矜持と聖なる森という状況が生み出す背徳感に、言葉とは裏腹に激しく俺を求めるベリアス。

 

 二人との夜はまさに極上のハーレムだった。


 そして、俺はその夜ごと繰り返される饗宴にもう一人のがいることに気づいていた。

 

 扉の隙間から毎夜のようにこちらを覗き見る緑色の瞳。

 ――ウェリネだ。


 あの日俺たちの情事を目撃して以来、彼女は昼間こそ俺に知識を教え請う熱心な生徒を装っていたが、夜になるとまるで禁断の果実に手を伸ばすかのように俺たちの寝室を訪れていたのだ。


 その瞳に宿る色は日ごとに変化していた。

 最初は驚愕と羞恥。やがて戸惑いと好奇心。そして最近では……抑えきれない熱と渇望。


 長命種ゆえに希薄だったはずの性への興味が、異種族の、それも魔王を中心とした情交を目の当たりにすることで、激しく揺さぶられているのだろう。


(そろそろ、頃合いか……)


 そう思ったある満月の夜。


 いつものようにアザゼルとベリアスとのを終え、俺が一人でワインを嗜んでいると、控えめなノックと共に扉が開かれた。

 そこに立っていたのは、月明かりに照らされいつも以上に儚げに見えるウェリネだった。


「……ウェリネか。どうした、こんな夜更けに」


 俺が平静を装って問いかけると、彼女は意を決したように部屋に入り俺の前に進み出た。

 その顔は真っ赤に染まり、翡翠の瞳は熱っぽく潤んでいる。


「ヴァエル、様……」


「なんだ?」


「……お、お願いが、あります……」


 ウェリネは俯き、震える声で懇願した。


「私に……私にも、教えてください……!」


「教える? 昼間の講義のことか?」


「ち、違います……!」


 彼女は顔を上げ、俺の目を真っ直ぐに見つめ返した。

 その瞳には、羞恥を振り払った強い意志が宿っていた。


「貴方様が……アザゼル様や、ベリアス様に、毎夜教えていらっしゃる……あの、特別なことを……!」


(……キタ!)


「私、ずっと見ていました……! 最初は怖かった……でも、見るたびに胸が熱くなって……! 知らない感情が、私の中で……!」


 彼女は俺のローブの裾を掴み、懇願するように続けた。


「貴方様は、私に変化を説かれました……! 外の世界を知れ、と……! でしたら……! この私の中に芽生えた熱の正体も……! 貴方様に教えていただきたいのです……!」


 森の乙女が自らの意志で禁断の交流を求めてきた。

 その日を今か今かと待ち構えていた俺に、断る理由などあろうはずもない。


「……フン。面白いことを言う。いいだろう、ウェリネ」


 俺はワイングラスを置き、彼女の白い顎に指を添えその顔を上げさせた。


「この俺がお前の知らぬ快楽という名の真理を、その身に直接教えてやろう」


 俺は彼女の戸惑う唇を塞いだ。

 

 今夜、この聖なる森で、また一つ美しい花に種子が堕ちる。

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