矢口 澄

姉は母の嗚咽が少し落ち着くのを待ちながら、深く息をついた。


「……で、渉の事なんだけど」

姉は少し笑みを含ませ、母と父を見つめる。

「あたしの見た感じね、あの二人に、闇があるとは思えないよ」


母はまだ涙を拭いながら小さく首をかしげる。


「だって、まじで幸せそうな顔してたじゃん。

笑ってたし、楽しそうだし…」


姉は腕を組みながら続ける。「渉も桜典くんも、相手を大事にしてるのが伝わってきた。怖がるような関係じゃない」


母は震える声で、「でも……傷が……」と呟く。


「うん、わかるよ。でも、あれは外から見たら驚くけど、本人たちは合意の上でしょ?お互いを尊重してるならいいんじゃない?」


姉は母の肩に手を置き、少し前のめりに寄る。「だから、そんなに怯えないで?ちゃんとあたしが2人の様子をサロンで見てくるから」


母は目を大きく見開いた。


「アタシ、そういうの、まじで敏感でよくわかるんだ。きっとママより二人の関係を理解できると思う」


姉の言葉に、母の目から少し涙が溢れるが、その表情には少し安心が混ざっていた。


「……ほんとに?」母が小さく尋ねる。


「うん。任せときな?絶っ対大丈夫だから!」


姉は笑顔で力強く頷いた。その笑顔を見た母は、やっと少し肩の力を抜くことができた。


玄関に差し込む夕暮れの光の中、姉は内心で、渉と桜典が本当に幸せでいることを確信し、これから二人をもっと理解して支える覚悟を決めていた。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


夕暮れのリビング。桜典はソファに腰を下ろしていた。そこへ渉が少し憂鬱そうにスマホを手に近づく。


「……桜典、今度の週末、曲者が来るよ」

桜典は首をかしげる。「曲者?」


渉は深く息をつき、少し俯く。「俺の姉だ。東京から帰ってきてたんだよ。サロンに来るって連絡があった……」


桜典の目がぱっと輝く。「ああ、お姉さんか!久しぶりだね。学生の頃以来じゃない?ふふ、会えるの楽しみ!」

その声は弾んでいて、渉の憂鬱とはまったく逆だ。


渉は肩をすくめ、眉間に少し皺を寄せる。「……楽しみ、か。そうだな……まあ、俺も久しぶりだけど」

心の中で、祈るように渉は呟いた。


(…どうか、サロンで大騒ぎにならないでくれよ、頼む、平和であってくれ)


渉は桜典の楽しげな顔を見ながら、少し苦笑した。


「……桜典、お前…あいつ、結構な曲者だからな。覚悟しておけよ」


桜典は笑顔で手を渉の腕に軽く触れる。「大丈夫だって、渉。俺達結構仲良かったの忘れた?きっと面白くなるよ!」


渉は内心で小さく溜息をつきながらも、桜典の笑顔に少し安堵した。


(桜典の笑顔のためなら、俺も多少の嵐は耐えるしかないか……)


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店内に陽気な声が響く。


「渉ー!お姉ちゃんきたよー!」


明るい金髪ボブの姉が、端から端まで声を張り上げて手を振る。渉は即座に目を逸らし、冷静を装って別の客のカットを続ける。


心の中でため息をつきながら、

そっと口を開き、客に向かって丁寧に謝る。


「すみません、うるさかったですよね。あの人、実は姉でして…止められないんですよ。」


客は笑いながらも、「あら、そうなんですね」と理解を示す。渉は小さく息を吐き、再び手元に集中する。


姉は桜典の隣で楽しげに髪色を相談しながらも、時折端の渉をチラ見して、「ねぇ渉ー、こっち来てよー!」と大声で呼ぶ。


渉は肩を少し震わせつつ、必死に無視して髪を切り続ける。

(……お願いだから、俺をここから引っ張らないでくれよ)


桜典は横で楽しそうに笑いながら姉とやり取りしつつ、ちらりと渉を見て微笑む。渉はそんな桜典を見て、端っこで肩の力を少しだけ緩めた。


店内は明るいまま、渉は冷静に仕事を続けながら、客に迷惑がかからないよう耐える


店内は相変わらず姉の明るい声でにぎやかだ。桜典からも笑い声が絶えない。渉は端っこの席で冷静にカットを続けながらも、肩の力が少しずつ限界に近づいていた。


落ち着いた雰囲気のサロンなのに、BGMもかき消すほどの声量がそんな雰囲気をぶち壊す。


(……もう、まじでうるさい……)

心の中で呟きながら、渉は仕事をひと段落させ、そっと桜典に声をかける。


「桜典、悪いんだけど……あいつを、終わったら早く二階の家に連れて行ってくれない?どうせ閉店まで帰らないと思うし、俺も……ここに置いとくの、限界」


桜典は目を輝かせ、にっこりと笑った。

「もちろん。任せてよ、渉!」


渉は少し安堵した表情を浮かべ、家の鍵を桜典に手渡す。

「ありがとう……ほんと、ごめんね」


桜典は鍵を受け取り、軽く頷くと姉のもとへ向かった。

「さあ、お姉さんは俺達の家に行こう!少し待っててもらうけど」


姉は「おっけー!楽しみ〜」と笑いながら、素直に桜典に従う。


姉を二階の家に送り届けた桜典は、姉に軽く注意をして少し待ってもらい、再びサロンへ戻る。


店に戻ると、渉は静かに手を動かしながら、端で落ち着いた表情で待っていた。


桜典もすぐに仕事に集中し、客に笑顔を返す。

外は夕暮れ時、サロンの中はいつもの穏やかな空気に戻った。


渉は桜典の方をちらりと見て、わずかに微笑む。

(助かった、桜典がいてくれてよかった)


静かに仕事を続ける二人の間には、短いながらも信頼と絆の瞬間が流れた。

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