第25話 贖罪の朝

陽煌の節 7/3 10:00

シュヴァルツ諸侯同盟領 北の都市 トーレッド

太陽の広場 プラザ・デル・ソル






噴水前で、グスティは久しぶりに一人だけの穏やかな休日を過ごしていた。あの悪夢のような夜から数日。本来なら助からなかったはずの二人の命を救い、その生命維持に尽力した甲斐あって、彼女たちは順調に回復の兆しを見せていた。


完全流動食の生活が続く中、味の濃いものが食べたいという竜の巫女の切実な要望に応えるため、グスティは買い出しに出ていた。


「病人が食べてもいい味の濃いものねぇ…医者じゃねえから何食べさせたらいいかわっかんねえけど、とりあえず困ったら瀉血させようとしてくる医者に比べたら、まだ俺の方が何とか出来るよなぁ…分からんが」


竜の巫女とその従者であるということで、トーレッドの城主、ハーグハグ・モット卿からは手厚いもてなしを受けてはいるものの、グスティから見れば彼らの医学知識はどれも疑わしいものばかりだった。


やれ瀉血だの、やれ水銀がいいだの、コカだの、ウィローバークだの、悪霊だの、エトセトラetc.―――。


気づけば二人とも薬漬けにされて医者に殺されそうになっていたため、現代の常識で可能な範囲の処置と、チート能力を駆使して、彼女たちの容態をようやく安定させたばかりだ。


問題は山積しているが、とりあえず二人が生きていることが彼の心の支えになっていることは言うまでもない。


なにせあの日以来、グスティの視界には、あの死んだ人魚少女の透き通った瞳の残像が焼き付いて離れずにいたのである。ふと視線を横に移せば、視界の端に彼女が立っているような錯覚に襲われる。


そんなことは通常あり得ない。だが、事故のような形とはいえ、初めて自らの手で殺めた少女の顔が、彼の脳裏からこびりついて離れないでいた。


「恨むなら…好きにしろよ。俺は…あんときそうしなきゃ駄目だったんだ…」


幻覚に訴えかけるグスティ。最近の睡眠不足も相まって、彼の目元には酷い隈が深く刻まれていた。


「あの…お花、いかがでしょうか」


顔を上げると、ボロボロの服を纏った茶髪の女性が、バスケットに花をいっぱいに入れて、その中から一輪の可憐な花を彼に手渡してきた。


「いくら? 」


「一輪、銅貨三枚で…交渉によっては二枚でも良いです……」


銅貨一枚は黒銭十枚分の価値がある。銅貨三枚といえば、この町の朝食一回分の代金に等しかった。グスティは花一輪にしては高額だと感じたが、面倒なやり取りを避け、彼女を早く追い払いたくて、適当に銅貨を差し出した。


「あの…でしたら、ここですと人目があるので…路地裏の方へ…」


花の手渡しぐらいここでやってくれ、と心の中でうんざりしつつも、考えるのも億劫で、グスティは彼女の後について行った。


そして、彼女がバスケットを地面に置き、膝をついてグスティのズボンを下げようとした瞬間、グスティの意識はハッキリと「これは異常事態だ」と認識した。


「ちょっと待て」


「どうかされました……?」


グスティを見る彼女の目は虚ろで、まるで視界に何も映していないかのようだった。


「花って、そういうことか」


「……はい?」


「ああいや、結構だ。すまん、花だけ貰えたらいい」


「…はあ、そうですか」


女性の顔には「ラッキー」とでも書かれているかのような、どこか安堵したような表情が浮かんだ。

グスティはそんな彼女を見て、少しだけ心が和む。


「君、ここ生まれ?」


「ええ、そうですけど」


虚無感を湛えた顔で、彼女はぶっきらぼうに答える。『心ここに非ず』といったところだろう。


「ガイドとして僕に雇われない?」


「…値段によりますね」


ボソボソと呟くように、彼女は冷めた様子で値段交渉を行う。


グスティはなぜこんなことをしているのか自問しつつも、今の彼には無理にでも動く理由が必要だった。他人の前では、ある程度自分を取り繕うことができる。その自信だけはあった。


「一時間、銅貨二枚で」


「どこへでも案内しますよ、旦那様」


彼女はグスティが歩くための杖であり、靴となることを、銅貨二枚であっさりと了承した。


「そんな料金で態度を変えるのか?」


「それはもちろん。お気に召しました?もう一枚銅貨追加でさらに媚びさせて貰いますが、どうなされますか?」


グスティは「ピン」と銅貨を三枚弾いて彼女に渡した。三枚とも見事にキャッチすると、彼女はデレデレと顔を近づけて媚びてくる。


「良いんですか?ありがとうございます!」


わずかに彼女の表情に、微かな光が宿るのが見えた。


そんな、どこか親近感が湧く彼女の顔を見ていると、その正体をようやく掴むことができた。


「あぁ…豚に似てるのか」


彼は小さく呟く。ギャルソンさんの牧場で飼育していた、あの顔があの愛らしい豚に彼女はよく似ていたのだ。平凡でどこにでもいるような、そんな落ち着いた顔だった。


親近感の正体が分かると、彼は少しだけ彼女に優しくできるような気がした。


今や愛でることも食べることも叶わない、失われた家畜たちの顔を思い浮かべ、それに彼女を重ねる。


「何か失礼なこと考えていませんか?」


「いいや。ただ少し君の顔を見て懐かしい気持ちになったんだ」


「あ~もしかして君は妹によく似ている、とかそう言う話ですか~?キャ~」


控えめながらも、元気のある彼女の声が、グスティには「ブヒブヒ」と聞こえてくるようで、彼は思わず小さな笑みをこぼした。


「どこから出たんだよ。その発想」


「えへへ、この町の図書館で見たんです。それはそうと、はじめにどこへ参りましょうか。お食事ですか?観光ですか?それとも、うふふ、宿屋にでも行かれます?追加料金発生しますけど」


花売りの乙女は元気に笑っている。


「殴ってもいいか?」


あまり余裕のない彼は、彼女の冗談を冗談として受け止めることができなかった。これでは彼女が可哀そうだ。


「…すいません」


「とりあえず薬の調達がメインだ。…それと名前を教えてくれ。花売りって呼ぶのもなんだろ?」


「な、名前ですか?フェ…フェルと呼んでください」


「なんで自分の名前でどもるんだよ。偽名か?」


慌てたような様子を見て、これは偽名であろうとグスティは何となく察した。「聞いてくれるな」という意味合いと受け取り、グスティも深くは追及せずにフェルと呼ぶことにした。


「フェル、それじゃあ薬屋まで案内してくれ」


「どこかお悪いのんですか?」


フェルに二人のことを教えてもよかったが、教える必要もないと考え、彼は適当に誤魔化すことにした。


「嘘つきにつける薬を探してる」


「あぁ、悪口に聞く薬ですか。高くつくかもしれませんね」


フェルとの軽妙なやり取りで、彼は少し元気を取り戻す。普段から多くの客を相手にしているせいだろう、とても話しやすい相手に思えた。


適度な距離感を保ちつつ、かといって軽口も言い合える。この慣れた対応に感心していると、二人はいつの間にか薬屋の前に辿り着いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る