挿話・1 博士と人型
「これが代金の500万ゼルだ。受け取ってくれ」
「あ、ああ…」
札束の詰まったずっしりと重い袋を受け取り、ウテナは思わず戸惑った。
この重さを感じてもなお信じられない。本当に彼女が、あの人型
彼女の価値は金銭などで計れるものではない。少なくとも、そこらの汎用精霊などとは比べ物にならない。だが、それを買い手に理解してもらうのは困難だろうと思っていたのだ。
これほどの大金をぽんと出せるなんて、このテセルシオという少年は何者なのだろう。
いや、彼も借金をして支払ってはいるのだが、なぜそんな大金を二つ返事で貸してもらえているのか。どう見てもまだ15、6の少年だと言うのに。
下宿しているというこの屋敷の主と何か関係があるのかもしれない。驚くほどに広くて豪華な屋敷だし。
支払いを見届けた彼女が、こちらへと向き直る。
「ウテナ博士、ブラン。今までお世話になりました。お元気で。村のことをよろしくお願いします」
「ああ…。君も、どうか元気で」
「さようなら!新しいご主人の元で頑張ってね!」
いつものように明るい声で飛び回るブランと、いつものように平静な口調で別れを告げる彼女。仮面の奥の表情は今日も見えない。
小さく微笑みながら、内心で思う。
…私はやはり、寂しいと同時にほっとしているのだ。彼女を手放せる事に。
屋敷を出ようとすると、少年は「宿まで送るよ」と申し出た。
彼が紹介してくれた、小さいけれど雰囲気の良さそうな宿だ。ここに来る途中に立ち寄り、既に部屋は押さえてある。
「近くだけど、もう暗いからさ。念の為」
「この身も同行します」
「いや、いい。すぐにサラドが魔力測定装置を持って戻って来るはずだから、ここで待っててくれ」
「そうですか。分かりました」
少年は何故か彼女の同行を断った。安全面を考えるなら、戦闘能力の高い人工精霊がいた方が良いはずなのに。
少し不思議に思ったが、門を出てすぐに気付く。彼は、何か言いたげにしていたウテナに気を遣ってくれたのだ。
「何だか、すまないね」
「いや。…安心してくれ、俺は必ず
「ありがとう。そう言ってくれると少し心が軽くなるよ。何せ彼女はその…、何と言ったらいいか…」
「すごーく変な子なの!」
言葉を探すウテナの横で、ブランがあっけらかんと言った。それに苦笑をしながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「薄々気付いているかも知れないけど、彼女は普通の人工精霊とはかなり違う。人型という外見だけではなく、中身もだ」
「そうそう!」
「それって、
「どうだろうね。私は2年も一緒にいて、彼女の秘密を全く解き明かせなかった。でも一つ分かっている事がある。…彼女はね、
予想しない言葉だったのか、少年が目を瞬かせる。
「…どういう事だ?」
「あたしたちはね、怒ったり泣いたりしないわ。だってそういうの、よく分からないんだもの」
ブランが首を傾げながら言う。
「君だってそんな人工精霊は見た事がないだろう?彼らには喜や楽はあっても怒や哀がないんだ。恐怖心もない。魔物と戦いやすいように造られたせいだって言われてるけど…」
本当の理由は「人間に敵意を抱く事がないように」なのではないかと、ウテナは思っている。
人工精霊は多くの魔力を持っているし、人間以上の腕力や知能を持つものだって多い。
そんな彼らが人間に従順でいるのは、怒りや悲しみを感じないからだ。もしそれらの感情を持っていたら、彼らはとっくに人間に敵対しているだろう。
「でも、彼女は違う。仮面をしているから分かりにくいけれど、確かに怒っているんだ」
小さな子供がいじめられたり、無知な村人が商人に騙されたり、そんな時彼女はいつも「不快です」と言った。誰に命令されずとも自分から助けに行った。
さっきだって、財布を拾った貧しい子供の善意が踏み
少年もそれを思い出したのだろう、納得した顔になる。
「そっか。なるほどな。だから、あの時…」
「…怒りの感情があるというのは危険な事だ。万が一彼女が怒りに任せてその力を振るったりしたら大変なことになる。人を殺す事だって、簡単にできてしまう…」
言いながら、やはり黙っていた方が良かっただろうかと後悔する。
そんな恐ろしいものを高額で売り付けるなんてと、彼は怒り出してしまうかもしれない。そうでなくても、彼女を恐れるようになるかもしれない。
ウテナは慌てて言い募る。
「でも信じてくれ、あの子は優しい子なんだ。本当に。人間を傷つける事なんて望まない」
「うん。そうだな」
少年は顔色を変える事なく、ごく当たり前のようにうなずいた。
「そもそも人を殺すなんて、人間にとっても簡単な事だ。ナイフ1本あれば誰にでもできる。…でも俺はやらないし、あんただってやらない。それと同じだろ?」
「…そ、そう…そうだね。その通りだ…」
「そうよね、貴方賢いわ!博士の次くらいに!」
まだ10代半ばだとは思えない、ずいぶん割り切った考え方だ。本当に不思議な少年だと思う。
「…ありがとう。君のような人が彼女を買ってくれて、本当に…」
言いかけて、ウテナは口をつぐんだ。
金と引き換えに彼女を売った自分に、この先を言う資格などない。
…2年前、あの遺跡で彼女を見つけた時、本当に心が躍った。
人型の古代遺物なんて聞いた事がない。とてつもない発見をしたのだと思った。自分を認めなかった者たちを見返してやれると。
だけど彼女は、彼女自身を調べる事に対しものすごく非協力的だった。実験の対象にされる事をとても嫌がった。ちっとも言う事を聞いてくれなかった。まるで人間みたいに。
それでいて、実験や検査以外には協力的で実に真面目にやってくれる。いつだって一生懸命だし、進んで何でもやってくれ、村人達の仕事もよく手伝っていた。とても人工精霊らしく。
彼女はとてもアンバランスで、時々驚く程に人間的だった。人工精霊として扱う事に罪悪感を覚えてしまうくらいに。
それでもウテナは何とか彼女を説得し、少しずつ彼女について調べていったのだが、結局ほとんど何も分からなかった。
それは彼女が嫌がったからという以上に、自分にそれを解き明かすだけの能力がないからだと、薄々気が付いていた。
最後まで彼女に名前を付けなかったのは、意地みたいなものだ。
…だから。長老たちに「その人形を売って金に替えてくれないか」と頼まれた時、心のどこかで安心していた。
これで彼女を手放せる。離れられる。
もうこれ以上、自分に研究者の才能など無いという事実を、突きつけられなくて済むのだと。
彼女は売られる事に文句一つ言わなかった。
淡々とそれを受け入れ、ただ、村中に挨拶をして回っていた。彼女と別れたくないと泣く子供達だけでなく、彼女を便利な道具としてしか扱っていなかった村人達にも、全員に。
彼女は自分の扱いに対し怒る事ができるはずなのに、それをしなかった。少なくとも、見せてはくれなかった。
やがて、宿に着いた。
黙り込んだままのウテナに、立ち止まった少年が笑いかける。
「なあ、博士。そのうちでいいからさ、また彼女に会いに来てくれないか?」
「えっ…。わ、私が?何故?」
「だってあんたずっと、彼女が心配でたまらないって顔してるじゃないか」
「……!」
絶句するウテナの周りを、ブランが陽気に飛び回る。
「まあ!素敵ね!また会えるのは、とても良い事だわ!」
「それに、あんたが来てくれたら彼女もきっと喜ぶよ」
「そんな…。だって…」
自分には心配する資格なんてない。会いに行く資格だってない。
だけど、彼女は…。もしかしたら本当に、ウテナと会う事を喜んでくれるのかもしれない。
元気で良かったと、その後の村の様子はどうかと、変わらない調子で尋ねてくれるのかもしれない。
どうしてだろう。この少年の笑顔を見ていると、ついそんな気がしてきてしまう。
…ああ、そうか。だから彼女は…。
こみ上げてきたものを隠すように、うつむいて小さく笑う。
「ありがとう。…君があの子の新しい主人になってくれて、良かったよ」
自分などより、この少年の側にいる方がずっと良いはずだ。
彼女にとっても、自分にとっても。
いつか彼女に会いに、またこの皇都に来よう。
そしてもう一度ちゃんと謝ろうと、そう思った。
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