第6話『紅葉谷市、温泉は燃えているか』
プロローグ
紅葉谷市は、沈んでいる。
温泉の湯は湧き続けている。紅葉は毎年美しく色づく。だが、街は確実に死に向かっている。
老舗旅館七十軒。その多くが、築八十五年を超える木造建築だ。かつては「日本の温泉文化の宝庫」と称賛された。だが今、その多くが赤字に喘いでいる。
温泉収入は、五年連続で減少。前年比マイナス二十三パーセント。
若者は都市へ流出し、後継者不足で廃業する旅館が相次ぐ。街の人口は、十年で三千人減った。
そして今年、一人の男が現れた。
興行師――鷹取誠。
彼は市長室で、こう言った。
「この街を救うには、外資しかない」
市長は困惑した。
「外資......? でも、伝統が――」
「伝統では、飯は食えません」
鷹取は冷徹に言った。
「市長、決断してください。伝統と心中するか、外資で生き延びるか」
第一章 冷酷な提案者
四月一日。紅葉谷市役所。
市長室に、鷹取誠は現れた。
黒のスーツ、白いシャツ、金縁の眼鏡。五十二歳の男は、まるで投資銀行家のようだった。
「市長、お初にお目にかかります」
鷹取は握手を求めた。
市長の木下(六十歳)は、財政再建を掲げて当選したばかりだ。だが今、その顔には不安が浮かんでいる。
「鷹取さん、あなたの提案書を読みましたが......旅館を二十軒買収?」
「はい」
鷹取は即答した。
「市長、質問です。紅葉谷市の老舗旅館、平均年商はいくらですか?」
「......二千八百万円です」
「利益率は?」
「マイナス五パーセント......つまり、赤字です」
「では、五年後には?」
「......おそらく、半分以上が廃業します」
鷹取は頷いた。
「つまり、放置すれば紅葉谷市の温泉街は消滅する。それでいいんですか?」
「それは......よくありません」
「だったら、外資を入れるしかない」
鷹取はタブレットを取り出し、画面を見せた。
「これは、私が提携している外資ホテルチェーン『グローバル・リゾート・グループ』です。世界三十カ国、二百施設を運営しています」
画面には、豪華なリゾートホテルの写真が並んでいた。
「彼らが、紅葉谷市に百二十億円を投資します」
「百二十億......」
市長が目を見開く。
「条件は、老舗旅館二十軒を買収・統合し、大型リゾートに改装すること。温泉テーマパーク、スパリゾート、高級ホテル――すべてを一体化します」
鷹取は続けた。
「従業員は全員再雇用します。ただし、給与体系は外資基準です」
「......旅館組合は、反対するでしょう」
「反対しても、時代は変わります」
鷹取は冷徹に言った。
「市長、決断してください」
第二章 診断書
鷹取は一カ月、紅葉谷市に滞在した。
七十軒の旅館を一軒ずつ訪問し、経営状況を調査した。
そして、一冊のレポートにまとめた。
紅葉谷市温泉街経営診断書
現状分析:
旅館数: 70軒
黒字: 12軒(17%)
赤字: 58軒(83%)
平均年商: 2,800万円
平均利益率: -5%
築年数:
50年以上: 45軒
80年以上: 38軒
100年以上: 15軒
後継者の有無:
あり: 18軒(26%)
なし: 52軒(74%)
従業員数:
平均: 8名
高齢化率: 62%
宿泊客数推移:
2019年: 85万人
2024年: 52万人(▲39%)
客単価:
平均: 12,000円
業界平均: 18,000円
問題点:
施設の老朽化
半数以上が築50年以上
耐震基準を満たしていない旅館が多数
後継者不足
74%の旅館に後継者がいない
経営者の平均年齢68歳
価格競争力の欠如
客単価が業界平均の67%
低価格競争で利益が出ない
マーケティング不足
SNS活用率: 14%
外国人対応可能: 8%
結論:
このまま放置すれば、5年以内に半数以上が廃業。
温泉街は消滅する。
提案:
外資導入による大規模リゾート開発。
鷹取は市長にレポートを提出した。
市長は青ざめた顔で、最後のページを見つめた。
「五年以内に半数が廃業......」
「はい」
鷹取は頷いた。
「だから、今すぐ動かなければならない」
第三章 提案
五月一日。紅葉谷市役所大会議室。
市長、財政課、観光課、そして旅館組合の理事二十名が集められた。
鷹取が立ち上がる。
「『紅葉谷温泉リゾートプロジェクト』――これが私の提案です」
スクリーンに資料が映し出される。
企画概要:
プロジェクト名:
紅葉谷温泉リゾートプロジェクト
投資額:
120億円(全額外資)
投資主体:
グローバル・リゾート・グループ(米国)
内容:
老舗旅館20軒を買収・統合
買収価格: 1軒あたり平均8,000万円
合計16億円
大型リゾート施設への改装
高級ホテル棟: 300室
温泉テーマパーク
スパ・ウェルネス施設
レストラン・ショッピングモール
従業員の再雇用
旧旅館従業員: 全員再雇用
給与: 外資基準(平均1.5倍)
研修制度完備
雇用創出
新規雇用: 500名
うち地元採用: 300名
経済効果試算:
年間来訪者: 120万人(現在の2.3倍)
市の税収: 現在の2.3倍
雇用: 500名増加
コンセプト:
「伝統を守るのではなく、進化させる」
説明が終わる。
沈黙。
そして、旅館組合理事長の石川(七十五歳)が立ち上がった。
「......断固反対だ」
彼の声は、怒りに震えていた。
「外資だと? 我々の旅館を売り渡せと? ふざけるな!」
「ふざけていません」
鷹取は冷静に返した。
「石川理事長、質問です。あなたの旅館、去年の決算は?」
「......赤字だ」
「いくら?」
「......三百万円」
「貯金は?」
「......千五百万円」
「つまり、あと五年で倒産です」
鷹取は続けた。
「理事長、あなたの旅館は築九十年。後継者はいない。このまま続けても、廃業するだけです」
「それでも、我々は守る! 伝統を!」
「伝統では、飯は食えません」
鷹取は冷徹に言った。
「市長、決断してください」
市長は、震える声で答えた。
「......鷹取さんの提案を、採用します」
会議室が、爆発した。
第四章 分断
決定は、紅葉谷市を二つに割った。
旅館組合は「市長リコール運動」を開始。地元紙は連日、特集を組んだ。
紅葉谷新聞 一面
「外資、温泉街に進出」
「旅館組合、猛反発」
「伝統か、生き残りか」
SNSでも炎上が広がった。
Twitter(現X)での反応:
@momijidani_love:
「外資とか最悪。温泉の魂が死ぬ」
→ 32,000いいね
@young_momijidani:
「正直、老舗旅館ボロすぎ。外資のほうがマシ」
→ 38,000いいね
@ryokan_owner2:
「我々は絶対に売らない。伝統を守る」
→ 28,000いいね
@momijidani_mayor(市長公式):
「苦渋の決断ですが、街の未来のためです」
→ リプライ48,000件(大炎上)
鷹取は市役所の一室で、淡々と準備を進めていた。
旅館の買収交渉。外資との契約調整。リゾート設計の最終確認。
だが、八月に入ると、事態は急変した。
第五章 一斉休業
八月十日。
旅館組合が、緊急記者会見を開いた。
石川理事長が、マイクの前に立った。
「本日、旅館組合所属の全旅館七十軒は、一斉休業します」
報道陣がざわめく。
「期間は、一週間。鷹取誠と市長に対する、抗議の意思表示です」
石川は続けた。
「我々は、外資に売り渡さない。伝統を守る」
会見は、大きな拍手で終わった。
その日の夜、紅葉谷市は大混乱に陥った。
宿泊予定だった観光客三千名が、行き場を失った。
「予約してたのに、休業?」
「どこに泊まればいいの?」
「金返せ!」
市役所には、苦情の電話が殺到した。
鷹取は、この事態を予測していた。
彼はすぐに外資ホテルチェーンに連絡し、緊急対応を指示した。
「仮オープンを前倒しします。今夜中に、三千名を受け入れてください」
「了解しました」
外資ホテルは、突貫工事でロビーと客室を開放した。
そして、三千名全員を受け入れた。
鷹取は、SNSで発信した。
@takatoru_makoto(鷹取誠):
「老舗旅館は、お客様を見捨てました。
我々は、お客様を救いました。
どちらが正しいか、皆さんが判断してください」
→ 85,000いいね
この投稿は、大炎上した。
第六章 逆転
八月十一日。
観光客からの感謝の声が、SNSで拡散された。
@tourist_tokyo3:
「旅館に裏切られたけど、外資ホテルが救ってくれた。感謝」
→ 42,000いいね
@family_trip:
「外資ホテル、めっちゃ綺麗。老舗旅館より全然いい」
→ 38,000いいね
@momijidani_tourist:
「老舗旅館、客を見捨てるとか最低」
→ 35,000いいね
八月十二日。
旅館組合は、緊急で休業を解除した。
だが、観光客の多くは、すでに外資ホテルに移っていた。
第七章 崩壊
九月一日。
老舗旅館のうち、十五軒が廃業を発表した。
理由は、「一斉休業による信用失墜」と「資金繰りの悪化」だった。
九月十五日。
さらに五軒が、外資への売却を決定した。
旅館組合は、事実上崩壊した。
十月一日。
外資リゾート「紅葉谷グランドリゾート」が、正式オープンした。
高級ホテル、温泉テーマパーク、スパ施設――すべてが最新設備だ。
オープン初日、来場者は一万人を超えた。
第八章 数字
一年後。
鷹取は、市長に最終報告書を提出した。
紅葉谷温泉リゾートプロジェクト 最終報告書
年間来訪者:
120万人(前年比2.3倍)
市の税収:
18億円(前年比2.3倍)
雇用:
新規雇用500名(うち地元300名)
旧老舗旅館:
廃業: 15軒
外資に売却: 5軒
存続: 50軒(うち30軒が経営難)
住民の転出:
600名(人口の5%)
転出理由:
「温泉の魂が死んだ」
「もうこの街に愛着がない」
結論:
経済的には大成功。
文化的には完全な失敗。
市長は、報告書を見つめた。
「......成功、なんですよね」
「はい」
鷹取は淡々と答えた。
「数字の上では」
「でも、住民の半数が『魂が死んだ』と言っている」
「魂では、飯は食えません」
鷹取は即座に返した。
「市長、私は経済を救いました。それ以外、何も」
第九章 最上階
一年後のある日。
鷹取は、新しいリゾートホテルの最上階に立っていた。
眼下には、紅葉谷市の街が広がっている。
新しいリゾート施設。そして、その周囲に点在する、老朽化した旧旅館。
鷹取は、窓の外を見つめた。
「おれは、何をしたんだろう」
その時、背後から声がした。
「救世主か、破壊者か」
振り返ると、スーツ姿の男が立っていた。
「興行庁の者です」
男は名刺を差し出した。
「興行庁設立記念シンポジウム 実行委員」
「あなたの仕事、見事でした」
「......褒められても、嬉しくない」
鷹取は苦笑した。
「俺は、この街の魂を殺した」
「いいえ」
男は首を振った。
「あなたは、この街に『選択肢』を与えた」
「選択肢?」
「そうです。伝統に固執して死ぬか、変化して生き延びるか。住民が選んだんです」
男は続けた。
「鷹取さん、来月、興行庁が正式に設立されます。そのシンポジウムに、登壇してください」
「......何を話せと?」
「あなたの経験を。成功も、失敗も」
男は微笑んだ。
「全国の興行師たちが、あなたの話を聞きたがっています」
男は名刺を置いて、去っていった。
鷹取は、再び窓の外を見つめた。
そして、小さく呟いた。
「......おれは、救世主なのか、破壊者なのか」
ロビーに降りると、壁に一枚のポスターが貼られていた。
「興行庁設立記念シンポジウム」
日時: 11月15日
場所: 中央区国際会議場
テーマ: 「地方は、誰が救うのか」
登壇者:
柊麻衣(燈明市)
黒田竜二(阿波島市)
氷室詩織(星見浜市)
桐生隼人(金城府)
南條夏希(土佐龍市)
鷹取誠(紅葉谷市)
鷹取は、ポスターを見つめた。
そして、小さく笑った。
「......全員、曲者じゃないか」
【第6話 了】
次回、第7話『港街コウベ、祭りのない街』
興行師・御影玲が挑む、震災の記憶。
祭りは、傷を癒すのか、えぐるのか。
30年の沈黙が、破られる。
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