第3話『星見浜市、幻の花火』
プロローグ
星見浜市の夏には、花火がない。
十二年前まで、この街の夜空は毎年八月、色とりどりの光で染まっていた。海上花火大会。打ち上げ数八千発。来場者十万人。北海道有数の夏の風物詩だった。
だが、市の財政悪化により、十二年前に中止が決定した。
「来年こそは」
「予算がつけば」
「いつか、また」
市民はそう言い続けた。だが、十二年が経った。
人口は五万人減り、赤煉瓦倉庫群の観光客も年々減少している。街は静かに、確実に、衰退していた。
そして今年の春、一人の女が現れた。
興行師――氷室詩織。
彼女は市長室で、こう言った。
「花火、上げましょう。予算がなくても」
市長は困惑した。
「予算がないのに、どうやって?」
「未完成でいいんです」
氷室は微笑んだ。
「完璧じゃなくていい。不完全でいい。それでも、花火は上がる」
第一章 帰郷
四月十日。星見浜市。
氷室詩織は、十五年ぶりに故郷に帰ってきた。
駅を出ると、目の前に広がるのは赤煉瓦倉庫群。子供の頃、毎日見ていた景色。だが、観光客の姿はまばらだ。
「変わってないな......いや、変わりすぎたか」
氷室は呟いた。
彼女は星見浜市出身。高校卒業後、東京の大学へ進学し、広告代理店に就職。クリエイティブディレクターとして、数々のヒット広告を手がけた。
だが、三年前に退職。
理由は、過労とうつ病だった。
「完璧主義が人を殺す」
それが、彼女の口癖になった。
そして今年、興行庁準備室から連絡があった。
「星見浜市で、花火大会を復活させてほしい」
氷室は即座に答えた。
「やります。故郷だから」
第二章 現実
四月十五日。星見浜市役所。
市長の北村(五十八歳)は、困惑した表情で氷室を見つめていた。
「氷室さん、気持ちはありがたいんですが......予算が本当にないんです」
「わかってます」
氷室は頷いた。
「だから、クラウドファンディングで集めます」
「クラウドファンディング......」
北村は眉をひそめた。
「以前、別のイベントで試しましたが、目標額の三割しか集まりませんでした」
「それは、やり方が悪かったんです」
氷室はタブレットを取り出し、画面を見せた。
「私が東京で手がけた地方イベントのクラファン。目標五百万円に対し、実績は一千二百万円でした」
「......どうやって?」
「ストーリーです」
氷室は即答した。
「人は、金額じゃなくて、物語に金を出すんです」
第三章 計算
氷室は一週間、星見浜市に滞在し、過去の花火大会の資料を集めた。
そして、一枚の計算書にまとめた。
星見浜市海上花火大会 復活計画
従来の花火大会(12年前):
花火数: 8,000発
打ち上げ時間: 60分
来場者: 10万人
総予算: 8,000万円
予算内訳(従来):
花火代: 4,500万円
警備・安全対策: 1,200万円
会場設営: 1,000万円
広告宣伝: 800万円
運営費: 500万円
現在の市の予算:
ゼロ
クラウドファンディング目標:
5,000万円
達成率予測:
40〜60%(2,000〜3,000万円)
結論:
従来の規模では開催不可能。
新提案: 星見浜ハーフファイアーワークス
花火数: 3,500発(従来の44%)
打ち上げ時間: 30分(従来の50%)
来場者: 3万人(目標)
必要予算: 2,500万円
コンセプト:「未完成だからこそ美しい」
氷室は市長に計算書を提出した。
市長は目を見開いた。
「半分の規模......?」
「はい」
氷室は頷いた。
「市長、質問です。花火大会の目的は何ですか?」
「それは......市民に喜んでもらうこと」
「違います」
氷室は首を振った。
「目的は、『花火がある未来』を市民に見せることです」
「......どういう意味ですか?」
「市長、十二年間、花火が上がらなかった。市民は諦めています。『もう二度と見られない』って。でも、たとえ半分でも、花火が上がれば、市民は思うんです。『また、見られるかもしれない』って」
氷室は続けた。
「完璧じゃなくていい。未完成でいい。それでも、希望は生まれるんです」
第四章 クラウドファンディング開始
五月一日。
氷室は、クラウドファンディングサイトにプロジェクトを公開した。
【星見浜市】12年ぶりに花火を取り戻す。未完成でもいい、花火を上げたい。
プロジェクト概要:
星見浜市の海上花火大会は、12年前に中止されました。
理由は、予算不足です。
市の財政は厳しく、今年も予算はゼロです。
でも、私たちは諦めません。
今年の夏、たとえ半分の規模でも、花火を上げます。
花火数: 3,500発(従来の半分以下)
打ち上げ時間: 30分(従来の半分)
完璧じゃない。
でも、それでいい。
未完成だからこそ、美しい。
皆さんの支援で、星見浜市に花火を取り戻してください。
目標金額: 5,000万円
リターン:
3,000円: お礼のメール
10,000円: 花火大会招待券(特別観覧席)
50,000円: 花火に名前を刻む権利
100,000円: 打ち上げボタンを押す権利
開催日: 8月10日
公開から一週間。
集まった金額は、三百万円だった。
第五章 炎上
クラウドファンディングのコメント欄が、荒れ始めた。
コメント欄:
@hoshimihama_local:
「未完成でいいって、舐めてんのか? 金集めといて中途半端なもの見せるとか詐欺だろ」
@supporter_01:
「3,000円支援しました。完璧じゃなくても、花火が見たいです」
@hanabi_lover:
「目標5,000万円は高すぎる。現実的じゃない。どうせ失敗する」
@hoshimihama_young:
「12年間、何もしなかった市が悪い。今更クラファンとか遅い」
氷室は、コメントを一つ一つ読んだ。
そして、返信を書き始めた。
氷室詩織(プロジェクト起案者):
皆さん、コメントありがとうございます。
「未完成でいい」という言葉に、反発があるのは承知しています。
でも、私が言いたいのは、「諦めないこと」です。
完璧を目指して何もしないより、
不完全でも何かを始めるほうが、
未来があると思っています。
もし失敗しても、私は後悔しません。
なぜなら、挑戦したから。
星見浜市に、もう一度花火を。
この返信は、SNSで拡散された。
賛否両論が巻き起こった。
Twitter(現X)での反応:
@hoshimihama_hope:
「氷室さんの言葉に泣いた。支援します」
→ 8,200いいね
@realist_hokkaido:
「綺麗事だけじゃ花火は上がらない。現実見ろ」
→ 6,500いいね
@crowdfunding_pro:
「目標5,000万は無理。2,000万くらいで妥協すべき」
→ 4,800いいね
五月三十一日。
クラウドファンディングの締切日。
最終的に集まった金額は、二千三百万円だった。
目標の四十六パーセント。
第六章 決断
六月一日。
市役所会議室。
市長、財政課、そして氷室が集まった。
「氷室さん、残念ですが......目標額には届きませんでした」
市長が沈痛な面持ちで言った。
「開催は、難しいでしょう」
「いいえ」
氷室は即座に答えた。
「開催します」
「でも、予算が足りない......」
「二千三百万円で、できることをやります」
氷室はタブレットを操作し、画面を見せた。
修正版予算案:
集まった金額: 2,300万円
支出:
花火代: 1,200万円(花火数: 2,000発に削減)
警備・安全: 500万円
会場設営: 300万円
広告宣伝: 200万円
運営費: 100万円
打ち上げ時間: 15分
同時開催: 市民参加型ランタン祭り(予算ゼロ)
市長が目を見開いた。
「十五分......?」
「はい」
氷室は頷いた。
「従来の四分の一です。でも、花火は上がります」
「しかし、それでは......市民が怒るのでは」
「怒るでしょうね」
氷室はあっさりと認めた。
「でも、私は決めました。たとえ十五分でも、花火を上げる」
「なぜ、そこまで......」
「市長」
氷室は市長を見つめた。
「十二年間、この街に花火はなかった。もし今年も上げなければ、十三年になる。そして、十四年、十五年......いつか、誰も花火を覚えていなくなる」
氷室は続けた。
「私は、それが怖いんです」
第七章 準備
六月から八月まで、氷室は準備に追われた。
花火業者との交渉。警備計画の策定。会場設営のボランティア募集。そして、ランタン祭りの企画。
だが、批判は絶えなかった。
地元紙は連日、特集を組んだ。
星見浜日報 一面
「15分の花火大会に賛否」
「『詐欺だ』との声も」
「市長、開催強行を決定」
SNSでも炎上が続いた。
@hoshimihama_angry:
「15分とか舐めてんのか。金返せ」
→ 12,000いいね
@supporter_02:
「15分でも見たい。12年ぶりだから」
→ 9,500いいね
@hanabi_hater:
「どうせ失敗する。氷室は責任取れんのか」
→ 7,800いいね
氷室は、すべてのコメントを読んだ。
そして、ブログに一つの記事を書いた。
「未完成の美学」
皆さん、氷室です。
今回の花火大会について、多くの批判をいただいています。
「15分は短すぎる」
「詐欺だ」
「中途半端」
すべて、正しいと思います。
でも、私は信じています。
未完成だからこそ、美しいものがあると。
完璧を目指して何も始めないより、
不完全でも何かを始めるほうが、
価値があると。
もし失敗したら、私が責任を取ります。
でも、挑戦したことは、後悔しません。
8月10日、星見浜市の夜空を見てください。
このブログは、SNSで二十万回以上シェアされた。
第八章 祭りの夜
八月十日。午後七時。
星見浜市の海岸に、三万人の観客が集まっていた。
クラウドファンディングの支援者、地元市民、そして観光客。
だが、観客の多くは不安そうだった。
「本当に花火、上がるの?」
「15分って、短すぎない?」
「金返せって言いたい」
午後七時三十分。
氷室が、ステージに立った。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます。興行師の氷室詩織です」
マイクを握る手が、震えていた。
「今日、十二年ぶりに星見浜市で花火が上がります」
観客がざわめく。
「ただ、お伝えしなければならないことがあります」
氷室は深呼吸した。
「予算が足りず、花火の打ち上げ時間は十五分になりました」
観客から、ブーイングが起きる。
「短い、と思われるでしょう。私も、そう思います」
氷室は続けた。
「でも、この十五分は、十二年分の思いが詰まっています」
氷室の目から、涙が溢れた。
「もし、期待外れだったら......ごめんなさい」
彼女は頭を下げた。
そして、打ち上げボタンを押した。
第九章 幻の花火
午後七時四十五分。
最初の花火が、夜空に咲いた。
赤、青、緑、黄色――色とりどりの光が、海上を照らす。
観客から、歓声が上がる。
だが、十五分は短い。
あっという間に、終わりが近づく。
午後八時。
最後の花火が打ち上がった。
そして、静寂。
観客がざわめく。
「......え、もう終わり?」
「短すぎるだろ」
「金返せよ」
ブーイングが起きる。
氷室は、ステージで立ち尽くしていた。
その時、一人の少女が叫んだ。
「ねえ、みんな! スマホのライトつけよう!」
少女がスマホのライトを灯す。
それを見た周囲の人々が、次々とライトを灯し始めた。
一人、二人、十人、百人――
そして、三万人全員が、スマホのライトを夜空に向けた。
海岸が、光の海に変わった。
氷室は、その光景を見て、涙を流した。
「......ありがとう」
第十章 炎上と再燃
八月十一日。
SNSは、賛否両論で溢れた。
Twitter(現X)での反応:
@hoshimihama_moved:
「15分だったけど、最後のスマホライトで泣いた。来てよかった」
→ 42,000いいね
@hanabi_scam:
「詐欺だろ。15分で終わりとか金返せ #星見浜花火詐欺」
→ 38,000いいね
@supporter_tears:
「氷室さんが泣いてたの見て、こっちも泣いた。失敗じゃないよ」
→ 35,000いいね
@realist_angry:
「感動ポルノじゃん。金払って15分はありえない」
→ 28,000いいね
八月十二日。
氷室は記者会見を開いた。
「皆様、昨日の花火大会について、お詫び申し上げます」
氷室は深々と頭を下げた。
「予算不足により、十五分という短い時間になってしまいました。期待を裏切った方々には、心よりお詫びします」
記者が質問した。
「氷室さん、これは失敗だったと?」
「......はい」
氷室は答えた。
「私は、失敗しました」
会見場が、静まり返った。
「でも」
氷室は顔を上げた。
「後悔はしていません。挑戦したから」
第十一章 奇跡
八月十五日。
氷室のもとに、一通のメールが届いた。
送信者: クラウドファンディング運営事務局
件名: 追加支援について
氷室様
「星見浜市花火大会」プロジェクトについて、
終了後も追加支援の申し込みが殺到しております。
現時点での追加支援額: 4,800万円
理由として、以下のコメントが多数寄せられています。
「15分でも感動した。来年はもっと長く」
「氷室さんの挑戦を応援したい」
「次こそ、完璧な花火を」
ご確認ください。
氷室は、画面を見つめた。
そして、涙が止まらなくなった。
八月二十日。
市長が、記者会見を開いた。
「来年の花火大会について、市民の皆様に問いたいと思います」
市長は続けた。
「住民投票を実施します。『来年も花火大会を開催するべきか』について」
エピローグ
八月三十一日。
氷室は、海岸に立っていた。
夕暮れの海を見つめる。
「これは、成功だったのか、失敗だったのか」
氷室は呟いた。
その時、背後から声がした。
「どちらでもいいんじゃないですか」
振り返ると、スーツ姿の男が立っていた。
「初めまして。興行庁準備室の者です」
男は名刺を差し出した。
「興行庁準備室 特別顧問」
「あなたの挑戦、見事でした」
「......失敗したのに?」
「失敗?」
男は首を傾げた。
「追加支援四千八百万円。住民投票で来年開催が決定。これが失敗ですか?」
氷室は、黙り込んだ。
男は続けた。
「氷室さん、次の依頼があります。金城府――伝統と革新が衝突する古都で、ロックフェスを開催してほしい」
「......私には無理です」
「なぜ?」
「私は、失敗したから」
「違います」
男は微笑んだ。
「あなたは、挑戦したんです。それが、一番大切なことです」
男は名刺を置いて、去っていった。
氷室は、海を見つめた。
そして、小さく呟いた。
「......もう一度、挑戦してもいいのかな」
【第3話 了】
次回、第4話『金城府、ロックは鳴らない』
興行師・桐生隼人が挑む、伝統との戦争。
古都に響くロックは、破壊か、革新か。
全員が敵になる。
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