第9話 アイドル・八柱紫苑
アイドル・八柱紫苑-1
八柱くんが久しぶりに登校してきたのは6月の下旬、もう本格的に梅雨に入った時期だった。
いつもなら1番早く教室に来ているのはわたしなのだが、その日はもう彼が来ていた。登校できる日を楽しみにしていたに違いなかった。登校中であろう元山くんとゲームをしているでもなく、雨が降りしきる外を眺めていた。
外を眺めたって灰色の空と水たまりができた校庭しか見えない。それでもきっと彼にとっては貴重な高校生活の1場面なのだろう。
「おはよう」
「おはよう。ノート、助かってるよ」
「どういたしまして。ドーム公演、お疲れ様です」
わたしは自分の席に着き、こちらを向いた八柱くんと面と向かって話す。彼は日ハムが使っている方の北海道のドームでのコンサートを終えたばかりだった。
「リアルの御法さん、久しぶりだな」
「そうですね。この次は名古屋ですか?」
「うん。休養日を挟んで名古屋。その後は大阪。名古屋と大阪の間は帰ってくるよ。大阪は疲れてなかったら登校したい」
「寝ていた方が良いですよ」
「どうかな。みんなに会いたいし」
これが本郷さんなら、『みんなってもしかしてあたし?』みたいにときめくのだろう。しかしわたしにはそんな奢りも期待もない。彼が〝みんな〟と言うのなら、それこそ〝みんな〟だと思う。
「さすがに博多は無理でしょう」
「いや。博多の後は埼玉だから、飛行機で戻ってきて、期末テスト期間になるから埼玉は僕はお休み」
「そんなの許されるの?」
「フルメンバーでいつも参加しているわけじゃないよ」
知らなかった。
「そうか。じゃあみっちりお勉強会ですね」
「その後は近場の東京ドームだから、できればみんなを招待したいと思ってるんだ。日頃の感謝の気持ちを込めて、ね」
むむ。そう来たか。それは想定外だ。
「う~~ん。有り難い申し出ですし、お母さんなら一も二もなく飛びつくと思うんですけど、美古都と本郷さんに相談してから決めますね」
「うん。無理に興味がないものに来ることないからね」
八柱くんは苦笑する。
「興味がないわけがないですよ。ただ、見て受けるダメージが心配なだけです」
わたしが包み隠さず言うと八柱くんは本当に驚いた様子で声を上げる。
「ダメージ受けちゃうの?!」
「わたしが八柱くんとこうして話をしていて普通でいられるのは、アイドルとしての姿を知らないからという理由が大きいですからね。もし知ってファンになってしまったら、今の関係性に確実にダメージになるわけです」
「なるほど……そんなこと考えたこともなかった」
「そういう変化を求めるのはまだまだ先でいいと思うのです。だってわたしたち、〝マンガみたいな高校生活〟を始めたばかりじゃない?」
わたしは否定的なことを言ってしまったので、八柱くんの顔色が気になる。しかし八柱くんは平然としている。
「うん。御法さんがそう考えてるなら、そうするよ」
「いや、みんなの意見を聞いてからですね」
そして登校してくるごとに意見を聞き、それぞれ辞退する意向を示した。意外にも本郷さんが1番反応した。
「それはA⌒Ω推しとしては理の外。あってはならないことだから、絶対にお断りします。正直言えば抽選外れちゃって、ありがたすぎるお話しなんだけど……」
もうA⌒Ω推しとバレているだけに、彼女は隠さない。
「外れたのか……」
美古都は哀れみの目を本郷さんに向けた。
「当選していたとしてもドーム公演なんだから、ステージの上にいる八柱くんから見つかりっこないでしょう!」
わたしは過剰に反応した本郷さんを見て、笑った。女子会以来、いや、A⌒Ω推しがバレていると伝えた時以来、少し彼女が心を許してくれているのが嬉しい。
とはいえ、チケットをまるで貰わないのも心苦しいので、母と母の友人の分はありがたく頂戴することにした。招待席なのでとても良い席らしく、貰った母はとてもとても喜んでいた。
当の八柱くんといえば、名古屋公演の前も彼は学校をお休みせざるを得なかったが、北海道の時にはなかった観光名所で撮った画像を送ってきてくれた。名古屋城らしきところでA⌒Ωのメンバー数人と撮った画像をグループにあげてくれ、本郷さんは隠すことなくはしゃいだ。あと、ひつまぶしをみんなで食べた、とひつまぶしの画像も送ってくれた。
名古屋公演の翌日、彼はその日のうちに東京にトンボ帰りし、登校してきた。いつか話したときのように、名古屋土産をいっぱい買ってきてくれた。ういろうに世界の山ちゃんポテチと、お土産レベルの落差が激しく、みんな揃って笑った。功刀はその場でポテチを開けて食べ始め、美古都に軽くツッコまれながらも、皆で少しずつ分け合って食べた。
大阪公演前も学校を休み、記念写真を送ってきてくれた。やはりA⌒Ωのメンバー数人と撮った大阪城らしきところでの写真で、A⌒Ωのメンバーには城好きでもいるのかとネタにして話をした。あと、送られてきた食べ物の画像はお好み焼き定食だった。タンパク質がどうとか言っていた割には炭水化物オンリーの食事でいいのかと、わたしがツッコんだが、これも広報用だからと彼は言い訳をした。
そして大阪から戻ってくるのは大変だっただろうに、公演の翌日、やはりお土産を持って登校してきた。大阪のお土産は定番のたこパティエだった。
西日本での最後の公演がある博多でもやはり福岡城だった。福岡城は過去2城と違って当時のものが残っている。そのためだろう。画像が多く送られてきて、やはり城マニアがいるのだと確信するに足りる量だった。食事は八柱くんが食べたいと言っていた豚骨ラーメンで、赤い粉をかけて美味しそうに食べていた。
昼休み、本郷さんと一緒にそれらの画像を眺めながら話をする。美古都は柔道の都大会で不在にしている。
「意外と楽しそうだね。大変でしょうに」
「こんな画像を見た日には、寿命が100年延びるよ」
「A⌒Ωファンの寿命って蝋燭じゃなくて画像を積み重ねて灯ってるんですね」
「わかりにくいぞ。西遊記ネタだな」
それでも本郷さんは分かってくれる。
「わたしにとっては友だちが旅先で、友だちの友だちと撮った写真ですよ。それ以上ではないんです。美味しそうですよね、豚骨ラーメン」
「これ、こっちでも食べられるチェーン店だよ」
「それはいいことを聞きました。彼が帰ってきたらみんなで食べに行きましょう」
「御法さんはすごいなあ」
本郷さんは呆れる。
「何がです?」
「だって八柱くんのことをアイドルとは切り分けて、自分たちの仲間だってちゃんと受け止めてる。だからみんなで行こうなんて言える」
「さあ。どうでしょう。イベントを1つ思いついただけですよ。わたしは普段全く遊んでいないから、思いつくだけで楽しいんですよ」
わたしは笑う。
窓際で携帯ゲーム機を手にしている元山くんは静かなものだ。八柱くんがいなくて寂しいのだろうか。
「お好み焼き定食はゴメンだね。炭水化物は単独がいい」
それでもちらりと会話には加わってくれる。
功刀は別の男友達と話をしている。きちんと切り分けられる男だ。いい男なんだが、今ひとつ何か足りないとも思う。
期末テストが近いので、ノート作りが進む。
なお美古都は普通に都大会の女子柔道で準優勝し、インターハイに行くことになった。中学校から今までは都はベスト4止まりだったので、ものすごいことなのだが、普段が普段なので、今ひとつ実感がない。強化選手になるかもなんて話もあるらしくて、そうなると気軽に遊びに行けなくなるね、などと話したが、練習が好きではない天才肌の美古都なのでそれはストレスがたまるから遊びに行くぞと宣言していた。
博多公演の最中も、八柱くんにノートを送る。時折、八柱くんから質問が来る。忙しいだろうに、テスト前でもあるので、きちんと目を通しているらしい。少しずつでも勉強できれば、全くしないよりもずっとマシだ。いい傾向だと思う。
〔なんでここはこうなるの?〕
〔2日前に送ったノートを見て推測せよ〕
〔スパルタだ!〕
わたしは質問に対して回答を丁寧に返すこともあれば、スパルタなこともある。その彼の反応が、また楽しい。
八柱くんは博多での公演を終えて福岡で1泊し、朝1番の便で東京に帰ってくると午後には登校してきた。
「お前、学校好きなんだなあ」
功刀に呆れられながらも八柱くんはお土産を彼に手渡す。
「なんだこれ」
「棒ラーメン」
「こっちでも買えるぜ」
「イヤこれ、現地限定味だから。美味しいから作ってみて」
くだらない会話だが、それがいい。わたしたちは笑う。
美古都は八柱くんに女子柔道都大会準優勝を祝われ、思いっきり照れていた。わたしに何を言われても顔色を変えないのに、男子に祝われるのはやはり特別らしい。
期末テスト期間に入ったので、理事長先生にお願いしてまた応接室を貸して貰う。八柱くんは棒ラーメン以外にもいっぱいお土産を買ってきてくれたので、お土産をもぐもぐしながら勉強会をする。理事長も嬉しそうにして時折、顔を出してくれた。今回は八柱くんが長く休んでいたため、やはり授業内容の理解度は低く、今回はファミレスへの移動時間すら惜しく思われたので、期間中は応接室で勉強会をさせてもらった。
美古都もインターハイに向けて万全を期すため、勉強に熱が入っていた。
元山くんも功刀もそれなりに勉強が進んだ。
その一方で、元気がないのが本郷さんだ。A⌒Ωのチケットが入手できなかったところに八柱くんの申し出があったのに、結局行かないことにしたからだろう。とてもしょんぼりしていた。
期末テストが始まり、みんなでテストに集中する。
2日間の日程を無事終え、八柱くんは東京ドームに乗り込んでいった。
「今日はライブ配信を見ることにする……」
本郷さんはいかにもがっかりした様子で、教室から走って去る八柱くんを見送る。
「ウチは今日はがっつり練習だ。遅くなるから今日は先に帰ってくれ」
美古都が残念そうに私に言った。ここで練習をしないのはさすがに後悔の素になるだろう。がんばって欲しいものだが、わたしは応援することしかできない。
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