Fallen Luck -護衛人候補者争い-
唯井ノ 龍昴
プロローグ
プロローグ『猫に拾われた命』
2947年 神人平和平等条約は結ばれた。
『ーーー神は人間を平等に扱うこと、干渉してはならない。
それらが守られる限り以下、契約は永続する。
神の島はどの国にも属することなく神の領土として認め、人間達へ争いの一切を禁ずるーーー。』
神人平和平等条約より。
◇◇◇
ーーー2948年4月2日。
ステアリーン島 東部スビア。
かつて神の島と呼ばれたが、今は見る影もなく犯罪組織の温床だ。
「だっ、だれかっ!」
「いたぞ!」
島唯一のビルが密集する大通りで、車と人々が忙しなく行き交う。
歩道に寄せられた車に圧迫されてビジネススーツを身にまとった人々は息苦しそうに歩いて通勤している。
朝方の寒さはどこへやら。人の熱がこの島の温度を上昇させていく。
そんな仏頂面の人々の群れに逆らう者達がいた。
逃げる青年の容姿は10代後半くらい、金髪にオレンジのシャツでミリタリーグリーンのパンツを穿いている。
「助けてっ、助けてください!」
通勤ラッシュ帯に窮状を訴える青年の声が響き渡ったーーー、
悲しいことに誰1人として青年を助けようとする者はいない。
その声に耳を傾け立ち止まる者もいれば、聞こえないフリをして人混みに流されて行く者もいたがそれまで。
この島に法律はない。
大統領や王様も、取り締まる警察も、消防も救急隊も存在しない。
あるのは、宗教と1桁ほどの小規模な自警団、町医者2人、ドラッグに密売組織くらいでロクなものはない。
青年は憤り、走るたびに耳障りな音がするアクセサリーのチェーンを投げ捨てる。
身軽になって、2人組の男に追いつかれないように必死に人混みを逆らい掻き分けていく。
「待ちやがれ!」
「なんでっ! どうして! 誰も助けてくれないっすか!」
涙をにじませ走る青年は追っ手の言葉を背に捕まってやるものかと、ただひたすらに足を動かした。
しかし、この時間帯の人混みは沼の中を歩くように重く、遅い。徐々に体力を奪われ息が切れ始める。
「はぁ、はぁ、はあっ……!」
追っ手の男はその隙を見逃さなかった。
青年の肩を鷲掴み、捕えると路地裏に連れ込んだ。
「……」
暗澹とした路地裏に差し込む光。
目が潰れるほどに眩しいそれを青年、浦辺桜片は無我夢中で目指した。
何度も殴られ腫れた顔面に、蹴り飛ばされてコンクリートで削れた皮膚。逃げだそうと必死に這った指先はボロボロに抉れて、赤く血に染まっていた。
傷だらけの身体で這い進む浦辺を見て、加害者である男2人が腹を抱えて笑う。
「ガハハハ! イモムシじゃんよー!」
「お似合いだ!」
それでも浦辺は諦めなかった。
その手がやっと路地を抜け、大通りに届く。
たまらず声を出した。
「っ……だ、だれか。たすけ……っ!!」
「おいおい、待てよ! お楽しみはこれからじゃんよ?」
ピアスをした若い男が冷笑し、
浦辺は呼吸すら出来ないほどの強い力に抵抗が出来ない。声も出せない。
もう1人、銀髪の若い男が手に持っていたイモムシの写真を握りつぶし口を開く。
「悪く思うな、ようやく俺達もツラナシさんに目をかけてもらえるようになったんだ。こんなもんで済ませてやんねーぜ? たーぷり味合わせてくれ!」
「だっ、誰か、助けて!!!」
浦辺はどうにか絞り出した声も届かない……、
突如、目の前の光が遮られる。
見上げると、黒いコートの男が現れた。
奴らの仲間がもう1人増えたのだと理解する。
覚悟を決めて目を逸らした次の瞬間ーーー、
「何者だ、きさ……グハッ!?」
男の痛々しい声と硬いものにぶつかる鈍い音がして、視線を上げる。
どうやら黒コートの男が銀髪の男を蹴り飛ばしたようだ。
銀髪の男の意識がなくなったのか、微動だにしなくなった。
「おっかしいなー、この辺でネコの鳴き声が聞こえた気がしたんだが……よ?」
「あ? なんだテメェ! ふざけてんじゃねぇぞ!」
黒コートを着た20代前後の男はその声を無視し頭を掻く。
180センチ近い身長に目の下にクマがあるその男は周囲を確認して倒れていた浦辺に目を向ける。
浦辺は睨まれたのかと震えた。
黒コートの男が不吉の象徴であるカラスに見えたからだ。
しかし、想像とは違った。
もう既にその片鱗が見えている……脳みそが処理できていないだけで。
「おぉ、ずいぶんとでかいネコ発見! いやー今日イチの新記録達成かー」
「……?」
黒コートの男が茶化すような、場違いなテンションで言った。
その男は腕の中に猫を抱いている……見間違えでなければだ。
しかも、ネコの扱い慣れたような優しい手つきが意外で目をぱちくりする。
ピアス男もなにが起きたのか理解できていない様子で沈黙する。
「……はは、なんてね。笑ってくれ、冗談のつもりなんだが?」
『にゃぁ?』
「……慣れないことはするものではないようだ。君、この子をよろしく頼むよ」
「へ?」
黒コート男が抱いていたネコをしゃがんで浦辺に手渡してきた。
浦辺はあまりに突拍子もなくて、反射的にネコを受け取る。
自分だけ蚊帳の外になったピアス男が2人を見下して声を荒げた。
「ふざけてんじゃねー!」
「ふざける? あぁ、それは君のことか」
黒コートの男は鼻で笑い、立ち上がるついでに見下す男のアゴを拳で押し上げる。
アッパーカットを受けて尻餅をついたピアス男はギロリと睨んできた。
黒コートの男は動じることなく見下し返す。
「あんまりアゴを出していたら押したくなっちまうだろ?」
「……くそったれが!!!」
「よく吠えるな、君は」
ピアス男は頭を押さえ、立ち上がることが出来ないようだ。
その隙に黒コートの男は浦辺に手を差し出す。
浦辺は差し伸べられた手を迷いなく掴み、立ち上がった。
「よろしく、俺は
「
「大丈夫? 少し歩けるかい?」
「……ギリいけるっす」
「逃げるか」
「はいっ!」
2人は小走りでその場を離れた。
路地裏を出た途端、浦風が潮の匂いを運んでくる。
浦辺はやっと助かったのを実感した。
南常門が走りながら時計を見て、6時50分……笑みを浮かべる。
「お、君はラッキーだ」
「なにがっすか?」
「7時、路地の仕掛けがちょうど俺の事務所に直通で行ける。さっきいたBの四番路地からほど近い、8番路地に今から向かう」
「仕掛け?」
「にゃー?」
浦辺とネコは首をかしげた。
南常門は少し考えこんで話を始める。
「スビアの建物は山を中心に、4列が円状に建ち並ぶ。そして、海側からABCDと並びに呼び名があるのは知っているかい?」
「もちっす! 今いるところがなんちゃらストリートっすよね!!」
「現在地はABの間に位置しているジーネストリート大通りが、隣の街まで繋がっているわけだが……見通しが良く彼らにすぐ追いつかれるだろう」
「じゃあどうすればいいっすか!? オレ達、逃げらんないっすよ!」
「そこで仕掛けを使う」
南常門は焦る浦辺を落ち着かせる。
現在地は浦辺が2人組の男に追われていた大通りのジーネストリート。
南に向かいながら話を続ける。
「ジーネストリートから入れる路地はそれぞれA側に3本、B側に11本。一般人が歩けるのはこの領域だけだ。
実はB側からだけ入れるCの地下迷路、仕掛けがある。
さらに、深部Dには俺にも分からない闇市とルネドと呼ばれる組織のアジトがあってな。
絶対に、Dにだけは足を踏み入れるなよ!」
「……ヤバそうっすね」
「さて、C迷路の仕掛けについてだ。路地が日時によって組み替えられる仕様になっている。土地勘のない人間は必ずといって良いほど帰れなくなるのさ」
「なんか分からないけど、面白そっす!」
浦辺は終始、口をポカンと開いたまま話を聞いていた。
南常門が念を押す。
「本当だ、絶対に1人で入ったりするなよ。最悪の場合、壁に押し潰されて紙1枚分に圧縮される」
「ハハハッ、笑えない冗談はやめてくださいよ。ナジョーさん」
「そうだな、冗談だ。紙になる前に、潰したトマトになっちまうかもな?」
「え……もっと怖さが増してますよ! それ!」
南常門がさらっと恐ろしいことを言う。
浦辺の頭にはミニトマトが口の中で弾けるようなイメージが沸いて吐き気がした。
その吐き気を紛らわせるために視線を上げて深呼吸する。
冷たい空気が肺に到達してあることに気づいた。
3分前まではあんなにも通勤時間で息苦しいほど混雑していたのに、もう人がまばらだ。嫌な予感がする。
南常門は立ち止まって時計を確認すると、時計の短針は58分を指していた。
「ここだな、間に合ったみたいだ」
「はーーっ! 助かった!」
浦辺は安堵して南常門の後に続き8番路地に片足を踏み入れた。その時だ。
「みーっけた! ……逃がすわけないじゃんよ!!!」
ピアス男が迫ってきていた。
人がまばらになった時点で後を付けられやすい状態なっていたことに気づけたはずだ。なのに、どうしてか単純なことに頭が回らなかった。
目前に来るまで、20秒かかるかどうかの距離だ。
ものすごい剣幕でピアス男が迫る。
「にゃー」
「どうしたっ……す」
浦辺はネコが心配そうに鳴くので視線を落とす。
手足が震えていることに気がついた。
「立ち止まるな! 間に合わなくなる!」
「はっ、はい!」
南常門の声にハッとして、止まっていた足を動かす。路地の壁が徐々に狭まっていく。
迷路が組み変わる時間が迫っている。
これが南常門の言っていたトマトの話かと思い出して身の毛がよだつ。
奥に進めば進むほどに暗く、沼のように身体が沈んでいく。
本当に前に進んでいるのか……進んでいる方向が合っているのかさえ分からない。
背後から声が近づいてくるのを感じる。それでも振り返らず、必死に走っていた。
こんな時に視界がぼやけ始めて、手足に力が入らない。
聞こえる音全てがこもったような聞こえ方に変わる。壁がもう肩幅よりも狭く、横向きでないと通れないほど。終わりのない恐怖に心が折れてしまいそうだ。
いっそ、ここで立ち止まれば楽になるのかと思い、足が止まった。
「はっ……ぁ……」
「浦辺!!!」
南常門が浦辺の異変に気づいたようで呼びかける。
「うらべ!!!」
浦辺は自分の名を呼ぶ声に向かって手を伸ばすーーー、限界だった。
その手はしっかりと声の主に届いた。
たぐり寄せられ、狭い路地を抜けている。
まもなく、地鳴りと共に立っていた地面が揺れた。
どうやら、本当に路地に仕掛けがあるようで右に回って動き出す。
入り口が完全に塞がれ、闇が2人を包んだ。
南常門はポケットからオイルライターを取り出し、火を付ける。
「よく頑張った! 浦辺」
「……このくらいヨユーっすよ!」
浦辺はふらふらと立ち上がり、2人は肩を組み合いながら迷路を進んだ。
心もとない小さなオイルライターの火を頼りに。
「つッ!?」
浦辺は目を覚ますと、天井には蛍光灯と4枚羽がついた真っ白のシーリングファンが回っている。
いつの間にか、気を失っていたようだ。
体を起こし、辺りを見渡すが
それに似つかわしくない革張りの高級そうなソファーで寝かされていて窓の外を見れば、向こう隣はコンクリートの2階建ての建物が見えた。
外から微かに南常門の声と子供の声が聞こえくる。
しばらくして南常門が戻ってきた。
「夢見はどうだい?」
「夢は見なかったっす……あれ猫ちゃんは?」
浦辺は慌てて口を塞いだ。
驚くほど、どうでもいい言葉がこぼれていたから。
印象深いものが消えていると違和感に思うみたいだ。
それを聞いてキョトンとしていた南常門が少し間を置いて笑った。
「はははっ……君は面白いね。それが先ず聞くことかい? ほかにあると思うが?」
「くははっ! オレもそう思うっす!」
「あの猫は捜索を依頼されたんだ。ついさっき受け取りに来てくれてね」
「へーじゃオレ! 猫さんにも助けられたんすね!」
「あぁ……?」
ピンと来ていない表情の南常門。
浦辺は少年のように目を輝かせた。
まるで、不思議な国のアリスのような物語が始まるワクワクを感じたから。
「だってナジョーさんが猫探してなかったら、オレ死んでたかもっす! 猫とナジョーさんはオレのヒーローっすね!」
「……大げさだな」
南常門は対照的でテンションが低く、適当に頷いたみたいな反応だ。
思った以上に反応を得られなかった浦辺は前のめりに訴える。
「いや! マジでっ! オレもナジョーさんみたいになりたいっす! 仲間に入れてください!!!」
「…………かまわない……が」
南常門が浦辺の勢いに押されて渋々返事を返す。
「やったーーー!!!」
押し勝った浦辺はそれにガッツポーズで喜び、南常門の周りをはしゃぐ子供のようにジャンプする。
南常門が頭を抱え、早くも後悔し始めているようだがもう遅い。言質だ。
これが運の尽きであることを後々知ることになるだろう。
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