第1章

第1章 [A面]『嵐のような相棒』

 この島は2156年に海底火山によって生まれた。

 島を巡り、各国の度重なる兵器戦争、核爆弾によって汚染されて荒廃と化す。


 時は流れて……人が住み始めたのは192年後。ラッガム教の教祖と信者達だった。

 この島の山頂に黄金のレンズ雲がかかったその姿が予言に似ていたことが移住のきっかけだ。

 余程美しかったのか、アドライツの有名な絵画も残されている。

 ようやく島に賑わいが溢れたもののーーー、

 悲劇は繰り返された。

 2349年 再びステアリーン島を巡る争い。

 それをきっかけに、現在の神人平等条約の基礎が生まれることとなる。


 ◇◇◇


 2948年現在、4月5日。

 理玖が浦辺と出会った東部スビアから見て、山を越えた真向かい西部カチョウの南隣に位置する小さな街

 赤と緑で鮮やかな波状のアーケードが特徴的な商店街で有名だ。

 ブル街、1番の大通りに面した商店街の奥には、1軒だけ行列が目立つ賑やかなラーメン屋があった。


 ラーメン屋は築35年の2階建て鉄筋コンクリート。

 1階のラーメン屋部分だけ赤い外装をしている。

 一部、外装が剥がれ落ち、随分と年季の入った建物だ。


 2階建ての同じような形をした建物が2つで1つアパートのように繋がっていて、間のデッキには階段が付いている。

 隣同士玄関ドアを開ければぶつかってしまいそうな狭い間隔だ。

 その左ドア"Saver事務所"と書かれた前に20代前半の赤いエプロンを着た女性がおにぎりとラーメンをおぼんに乗せて運んできた。

 エプロンにはダイハチ軒と書かれている。


 ダイハチ軒といえば、ラーメン屋らしからぬハンバーグ定食が有名。

 今日のように平日の昼はラーメンがサラリーマンに人気で、餃子炒飯セットが平日昼限定ワンコインで食べられるのも魅力的だ。

 看板娘もいて、ロミアの明るい性格から老若男女問わずファンが多くいる。


 赤いエプロンを着た女性ロミアはSaver事務所の玄関ドアをノックしようとするも、すぐ手を引っ込めた。

 勇気が出ないようで深呼吸をして、しばらく立ち尽くしている。

 事務所内からは騒がしい声が聞こえてきて、入るタイミングをどうするか考えているようにも見えた。

 その気になる中の様子はというとーーー、


◇◇◇


 ロミアが来る30分前。

 理玖は窓枠に腰掛け、雲ひとつない爽やかな青空、心地よい風に当たっている。

 デスクの一角を占領するスティック系のお菓子の1つ、クッキーチョコサンドをつまみながら物思いにふけっていた。

 思い出すのは先生のこと。

 理玖が10代の頃だ。


 南常門ジンに連れられて、人助けの手伝いをしていた。

 手伝いとは名ばかりで、見ていることしか出来ない。内気だった理玖はいつもジン先生の後ろに隠れていた。

 それでもわかる。

 先生の前では魔法みたいにみんな笑顔になった。

 この島で目に見えて感謝される仕事はそう多くはない。

 その後ろ姿がかっこ良くて憧れた。

 こう在りたいと思った。

 理玖はジン先生にこの仕事を継ぎたいと伝えたとき、認めてくれるか不安で先生の顔が見れなかった。

 それでも優しい声が背中を押してくれたのは覚えている。

 

 ジン先生は『冷酷な世界にはいつの時代も俺らのような人間が1人くらいは必要だ。お前なら立派なSaverになれる! なんてったって俺が保証してんだぜ?』と言ってくれた。


 Saverとは救済者、救助者という意味がある。

 そんな大層な者になろうと思わない。

 ただ先生の背中を追いかけているだけに過ぎないのだ。

 そして……今日まで来てしまったわけだが、3日前のあれはだけは関わるべきではなかった。

 この島での息がかかった連中に関わるとロクなことがない。

 追われるような人間もまた……。


「ナジョーさん、もう3日も経つのにまだ心開いてくれないっすか?」

「いや、まだ3日だが!?」


 無邪気な笑みの金髪青年 浦辺桜片に、理玖は冷静にツッコミを入れる。


「……オレだけ一方的にってなんか虚しいっすねー」


 浦辺がシュンと悲しそうな表情をする。

 ゴールデンレトリバーだったら、すぐにでも撫でてやりたいくらいに理玖の良心をえぐってくる。

 揺らぎかけるも、自分なりに最大の譲歩を考えた。


「最低でもあと半年はくれ……」

「えー! 長すぎますってー!」


 駄々をこねる子供みたいな浦辺だったが、なにか思い出したようで笑顔に戻り、ショルダーバッグを開く。

 理玖と違ってコロコロと表情が変わる。


「それじゃあナジョーさん! オレが仕事の相棒として使えることを証明するっす!」


 浦辺はショルダーバッグからお目当てのものが見つかったようで、なにやら自信ありげにファイルを取り出した。

 そして、会心の笑みを浮かべ、ファイルを差し出す。


「いや……」


 理玖はファイルを受け取るのを拒否した。

 嫌な予感がするからだ。

 浦辺が不満げに口を尖らせる。

 仕切り直し、また会心の笑みを浮かべてこう言った。


「じゃーん! オレの営業の成果みてください!」

「…………どれ?」


 理玖はこのやりとりが受け取るまで永遠にループするであろうことはなんとなく見えてきた。

 そして、自らが冗談交じりに営業に行って来いと言ったことも思い出す。

 過去の自分が何気なく発した言葉に後悔することになるとはこの時、まだ知らない。


 浦辺へ疑いの視線を向けつつ、しぶしぶ理玖はファイルを手に取り、広げる。

 お菓子をつまみながら、そのアテに見る程度の軽い気持ちで。

 何気なく口に入れたクッキーチョコを落とし、目を見張った。


 まず無期限で簡単に終わりそうな人助けの仕事が所要時間別に並んでいて、全てを最短ルートで回ることが出来る地図付き。内容は植木の手入れや荷物運びなど。10ページにもわたる。

 もうひとつ探偵の仕事が5件。

 犬猫、ペット探しばかりだが、開いただけでえげつない密度の文字がひしめいていた。

 こんなもの見ていたら気が狂う。

 頭を抱え、浦辺に訊ねた。


「まさか! 1人でこの情報を集めたのか! 君は!?」

「えーっとこの島のことが知りたくて散歩がてら……オレなにかマズいことしたっすか?」


 浦辺は首を触り、ヘラヘラと笑う。

 大したことなどしていないとでも言うように。


「大アリさ!!」


 理玖はため息を吐く。

 事の重大さが分かっていないようだ。

 ただの一般市民が3日間営業をかけて集めたにしては違和感がある。

 見やすくまとめられた資料……人は見かけによらないとよく言ったものだが、浦辺は意外と丁寧な人間なのか?

 首を振る。


「いいや、クレイジーだ……君はよそに就職してくれ!」

「え! たくさん回って仕事をとってきたのにまだ相棒として信用できないっすか? それとも仕事がまだ足りないっすか? ナジョーさんってば、強欲っすねー!」


 浦辺は言葉を前向きに捉えていた。

 理玖はムキになるのをやめて、椅子にもたれかかる。

 なんて話の通じない相手なのか……皮肉も通じないだろう。


「君は仕事の取り過ぎだ。やめてくれ、俺を過労死させるつもりか?」

「おおげさっすねー! たった5件、デカめの仕事が増えただけっすよ?」

「たったの5件もなにも……今まで仕事ゼロだった俺にはその数をさばききれないに決まってるだろ?」


 コミュ力の高い浦辺に引いていた。

 そして、自ら情け無さを吐露したことを後悔した。

 半ば冗談で営業に行くよう指示したものの、想像以上の成果で、大量の仕事を引き寄せる招き猫であることが判明した。厄介だ。

 全く予測がつかなかったというのは嘘になる。

 出会ってからやけに依頼人を連れてくるとは思っていた。


 それに昨日のあれは散々だった。

 ニュースになるほどの自警団絡みの大騒動テロ、一気に事務所の認知度が上がってしまった。

 もう二度とマイペースな時間は取り戻せないかもしれない。

 ……おかげでペースが崩れた。はっきり言って最悪だ。

 1人の時間がほしくて営業に行かせたのだが、事態は悪化した。

 あの路地暴行事件以降、ここに入り浸るようになった自称相棒 浦辺桜片。

 全てにおいて、騒がしい嵐みたいなヤツだ。


「今から1件行きましょっす!」

「いまか!?」


 飲み屋に誘うくらいにフランクな誘いだ。

 不意のことで大声が出た。


「すぐ行くって約束してたの忘れてたんすよ〜」

「あぁ……ん?」


 疑問に思いながらも流されるがまま、依頼人の元に辿り着いていた。

 平和記念公園。

 商店街に近い徒歩3分ほどに位置する。

 ここには兵器戦争の爪痕が残るコンクリートの破片モニュメントに戦死者の名前が彫られている。


「浦辺、オメェ遅いよ! 年寄りをいつまで待たせる気だい! ぼちぼちしてたら死んじまうよ!」


 大きな木下で待っていたのは1階ダイハチ軒によく来るラーシャさんだ。御歳おんとし83歳。

 腰が曲がってはいるものの、それを感じさせないほど早歩きで勝ち気な性格だ。

 言葉遣いは荒いが、面倒見が良く、理玖も何度か世話になったことがある。


「あっ! おば……っ!?」

「ラーシャ姉さんと呼べ。死にてェかァ??」

「いえいえいいえっ!!!」

「呼べねェったー、どういう了見だコラ!」

「死にたくないって意味っすよ!!!」


 ラーシャの睨みに浦辺が両手を上げてどうどうと落ち着かせる。

 猛獣と飼育員のようだ。

 理玖には面白く見えた。

 浦辺が押されているなんて、なかなか見れない状況だ。


「久しぶりラーシャ姉さん」

「理玖じゃあねェか? オメェの後輩かァ?」

「まぁな」


 理玖は適当に返事をした。

 後輩とは少し違うものの、説明すると長くなる。


「ならよォ! ちゃんとしつけとけ!」

「……はいはい。まただろ?」

「分かってんならよォ……さっさとこっち来い!」


 ラーシャが手招きするので近づく。

 5メートルほどの高さの木を見上げると、猫が枝の上で震えている。

 この光景は9回ほどは見た。

 もはや、恒例行事に思えるほどである。


「うちの馬鹿ねこが、また木から落ちられなくなっちまって、震えてやがんだわ。なんとかしてやってくれねェかァ!」


 猫がいるのは3メートルほどの高さの枝。

 これより低い枝はなく、自力で降りられないようだ。

 理玖は木に梯子はしごをかけてのぼった。


「今回はまた随分と……」

「ナァーー?」


 過去最高記録にでも挑みたくなったのか。このメダリスト猫は。

 手を伸ばしても、猫は微動だにしない。

 難しいところだ。

 このまま近づいてくれるのを待つか……それとも多少強引に掴むか。


「おーい、降りてこい。ばぁさんが心配して……」

「オメェ、今、ババア扱いしただろォォ!!!」

「地獄耳め」

「聞こえてんだ、クソがァァ!!!」


 ラーシャの怒号に猫は怯えている。

 理玖は猫に手を伸ばし、撫でようとするもひとつ上の枝に逃げられた。


「ナジョーさん! オレに任せてほしっす!」

「おう……」


 理玖は梯子を降りて、浦辺にバトンタッチする。


「オメェに勤まんのかよォ!」

「まー、見ててください! オレ、木登り得意っすよ!」


 浦辺は梯子にのぼり、枝に手を伸ばすと腕の力だけで枝の上に乗った。

 あとは猿のように、猫がいる枝に飛び移る。

 躊躇なく猫の首根っこを掴み、優しく腕に抱き寄せた。


「おぉ!!」


 理玖はとても感心する。

 ゴールデンレトリバーではなく、チーターだったなんて。


「ゲットだぜ! っす!」


 浦辺のVサインと子供のような笑みに、ラーシャも釣られて笑った。


「オメェ、ちったァやるじゃねェカァ!」


 梯子を駆け下り、浦辺が腕の中の猫を撫でる。


「かわいいミケ猫ちゃんっすね!」

「はっ! ちっとも可愛かねェェ! エサばっか食いやがって、ぶくぶく肥えやがる畜生めだ!」

「……そこまで言わなくてもよくないっすか」


 浦辺が口を尖らせて不満そうだ。

 懸命に空気を変えるべく、別の質問をする。


「猫ちゃんの名前を聞いていっすか?」

「猫はねこに決まってんだろ! 他になにがあんだオメェ!」

「なるほど……いい名前っすね!」

「いい名前なわけがねェ! ただの名前だオメェ!」

「……確かに」


 浦辺の表情が固まった。

 分かりやすい作り笑いが今にも崩れそうで眉をぴくりとさせる。

 空気を変えるのを諦めたようだ。


「……それでもラーシャ姉さんにとっては大切なんだろう?」


 見かねた理玖は助け船を出す。

 ラーシャは素直に大好きだと言えないタチなのだ。


「はっ! そうさ! バカで手がかかるがよォ、可愛くて仕方がねェ!」

「猫好きなんすね」

「好きじゃなきゃよォ……エサなんてやらないだろォ」

「それもそっすね! 猫ってかわいいっすよね!」


 浦辺に笑顔が戻った。

 満面の笑みで、ラーシャに猫を手渡す。


「……オメェら……ありがとうよォ!」


 ラーシャは浦辺に背を向けたまま照れくさそうに小さな声で言った。


「どういたしまして! いつでも呼んでくださいっす!」


◇◇◇


 仕事を終えて事務所に戻って、すぐインターホンが来客を伝える。

 理玖は部屋の時計を見ると、針は昼の12時を指し示していた。

 この時間帯に来る人間は1人しかいない。

 デスク上のパソコン画面には赤いエプロンを着た女性が写っている。

 浦辺がすぐさま2人掛けソファーから立ち上がり、忠犬のように出迎えた。


「はいはーい!」


 そこには1階ダイハチ軒のおにぎりとラーメンをおぼんに乗せて運んできたロミアがいた。

 忠犬はロミアを見た途端、パァッと笑顔になる。


「こんにちは浦辺くん。今日も来てくれてありがとうね!」


 ロミア・ラーナスフィスは20代前半で黒髪ショートカットの女の子。

 優しく人当たりが良くハキハキとした明るい声で、ラーメン屋では看板娘として人気だ。


「オレのほうこそ、おいしいご飯をありがとうっす! 昨日の炒飯ヤバうまっした!」

「そう言ってもらえて嬉しいなー!」


 理玖はロミアからちらっと意味ありげな視線を受けて少し考える。


「今日はおにラーセットっすか!」

「うん! おにぎりの具は浦辺くんの好きなそぼろたまごよ!」

「マっ!? 流石ロミアさん! 気遣いの神っすねー!!!」


 理玖は首を傾げる。

 2人がいつの間に仲良くなったのかと。

 妙に距離感が近いし、好きなものを把握しているとは……なるほど、コミュ力がある者同士だとここまで早いのか。

 3日で心を開き合っているのか……いや、そんなことよりも1つ気になることがあった。


「浦辺、それ受け取ってやれよ」

「……なんすか???」


 理玖は立ち話を続ける浦辺に言っても伝わらないので、デスクチェアから立ち上がる。

 ロミアが持つおぼんを受け取り、来客用のコーヒーテーブルに置いた。


「……ありがと」


 ロミアは顔を赤らめ、照れくさそうに小さくお礼した。

 理玖は1人掛けソファー席を引いて「座ったらどう?」と続ける。


「ん? むむむ?」


 浦辺は理玖とロミアのやりとりを見て、眉間にしわを寄せる。

 顎に手を当て考えている様子だ。

 なにか思いついたのか、過去1番の笑顔を浮かべてこう言った。


「もしかして、ナジョーさんの彼女さんっすか!」

「……なわけあるか!!!」

「お、お邪魔しまーす!!!」


 呆れてツッコむ理玖と動揺してソファーに座ったロミア。

 その様子をニヤニヤ見つめる浦辺。


「怪しっすねぇ?」

「なにがさ!」

「タダナラヌ関係ってことにしとくっす〜」

「はぁ……もう、どうとでも思えばいいさ」


 理玖は諦める。

 浦辺になにを言っても意味がないことを悟った。

 そわそわしているロミアが、部屋中を見渡して、デスクの上に乱雑に積まれた書類の山を見つけたようだ。

 そして、床に散らばった紙を拾い集める。


「あーっ! もう理玖ってば! ちゃんと片付けしてよ!」

「あぁ、後で」

「後でって……お客さんが来るかもしれないでしょう?」

「あぁ分かった、分かったから」


 理玖は軽く返事をした。

 ロミアがその態度に顔を顰める。

 重い空気の中、浦辺は気にもとめずに2人掛けソファーに座る。

 そして、ラーメンのどんぶりを手繰り寄せ、熱々の麺をすすってスープを飲んだ。

 浦辺の一言で空気が変わる。


「ダシが濃ゆくて、スープうまいっす!!! やっぱ、神っす!!!」

「ほんと? ありがとう! 浦辺くんてば、褒め上手なんだからー!」

「ババ…………っ!?」


 近所の井戸端会議で見た主婦が、嬉しい時にやる手で扇ぐような仕草に思わず声が出ていた。

 理玖は慌てて口を塞ぐ。大失言だ。

 ロミアに丸聞こえだったため、身の危険を感じる。

 きっと鬼の形相だ……目に浮かぶ。

 

「……ば……か」


 ロミアは小さく言葉を発して、理玖の脇腹を殴った。


「いッ!? ゴリラか!!! 君は加減というものを知……」

「ナジョーさん、ヒド過ぎっすね」

「ダヨネー、サイアク」

「……失言をしてしまい申し訳ない。本当は微塵も思っていないんだ」


 理玖は頭を下げる。

 脇腹も痛いが、特にロミアのジト目と棒読みが痛い。


「微塵も思ってなかったら、そんな言葉なんて出てこないっすよね?」

「ソウオモウネ」

「ロミアではなく、頭に出てきた近所の主婦に向けてであって!」


 理玖は必死に弁解した。

 自分自身でも、なにを言っているか分からない。


「えー! ひどいっす!」

「主婦に謝った方がいいねー!」

「……主婦の皆様に、大変申し訳なく思っております」

「ぷっ!」


 浦辺が堪えきれずに吹き出した。

 ロミアもつられて笑った。


「なにがそんなにおかしいのさ??」

「だって、だってっ! ふふっ!」

「ナジョーさんって、つつくと面白いっすね!」

「でしょ!」


 浦辺とロミアがハイタッチして楽しそうだ。

 この様子は作戦通りと見た。


「人をおもちゃみたいに言うな」


 理玖は2人に弄ばれてため息をつく。


「理玖は正直過ぎて、良くも、悪くもあるよね!」

「はい……」

「私は正直なところ良いと思うよー!」


 ロミアはまだニコニコしている。

 テンションの高いまま浦辺はラーメンをすする。


「マジうまっすよ! ナジョーさんも一緒に食べましょうっす!」


 浦辺がソファーから立ち上がり、ラーメンを指さして理玖にキラキラした目を向ける。


「……俺はいいさ」


 今まさに、理玖は冷蔵庫からスパウトパウチに入ったゼリー飲料を食べようとしていた。


「だめ」

「……はい」


 理玖の手を掴んで止めるロミア。

 第三者の目には大型犬をしつけるドッグトレーナーのように映ったことだろう。

 理玖自身もそう思い、さらなる怒りを避けたいがために素直に従った。


「いつもこんなの食べてるの? ちゃんと食べないとだめだからね!」

「はい、はい」


 理玖はロミアの説教に、適当に返事をして、浦辺の隣に座った。


「ちゃんと聞いてる?」

「君は俺の母親かい?」

「違いますーー! いいから早く! 美味しいうちに食べなさい!」

「……食べますから、勘弁してくれ」


 理玖はおにぎりとラーメンという謎の高カロリーセットに戸惑いを隠せない。

 『部活帰りの高校生かよ、こんな量食えるか』とツッコむにも、完食した浦辺がこちらのおにぎりを物欲しそうに見つめているものだから……。


「そんなに食べたいならやるよ、浦辺」

「わー! やった! おかわりーーぃ……い!?」


 浦辺がロミアを見て、申し訳なさそうにおにぎりを受け取った。

 食欲には抗えないようだ。

 浦辺が3つ目のおにぎりを頬張るのを横目に、理玖はラーメンをすすった。

 スープは醤油と豚、ほんの少し味噌の味だ。

 後からピリッと粗挽きこしょうが効いていて、さっぱりする。

 トッピングはねぎとナルトにチャーシューだ。

 チャーシューからほのかに染み込んだ味噌の風味がして、どこか懐かしさを感じる。

 気がつくと、一心不乱に麺を食べ終えていた。

 次いでスープを全て飲み干していく……。


「どう? 美味しい?」

「……うまい。さすが大将。このスープには人を虜にするなにかがある。箸が止まらない美味さ。鉄人の腕がいまだ健在とは恐れ入った」


 理玖はテレビ番組のレポーターのようなリアクションをした。

 それを見てロミアもどこかの番組で見たことがあったのか、朗笑する。


「あははっ! よかったー! 理玖が褒めてくれたこと、お父さんにも教えてあげなきゃ!」


 ロミアは自分のことのように嬉しそうだ。

 つられて、理玖の口角も上がった。


「あぁ、よろしく伝えてくれ」


 ジリリリリッ……事務所の黒電話だ。

 理玖は受話器を取る。

 浦辺とロミアが目を合わせて微笑み、聞き耳を立てに集まった。


「はい、Saver事務所」

『もしもし、明日お伺いしたいのですが、開いておりますか?』


 電話から聞こえてくる声の特徴は、聞き取りやすい品のある大人の女性。

 爽やかなアナウンサーでもやっていそうなイメージが浮かんだ。


「大丈夫ですよ。お名前をお伺いしても?」

『えぇ……スフィーナ・ノギア・ワタリと申します』

「ワタリさんですね? 明日お待ちしてます」


 理玖が受話器を置くと、浦辺とロミアは依頼人の話で盛り上がっていた。


「依頼来たね! 明日が楽しみ!」

「どんな人か楽しみっすね!」

「あぁ」


 ハイタッチしながらくるくると回る浦辺とロミア。

 だが、理玖はいつも通り適当に返事をした。

 そして、ロミアが禁断の言葉を投げかける。


「掃除しなきゃね? 理玖」

「あーあー! 聞こえない!!」

「こらーふざけない! 私も手伝うから!」


 耳を塞いで逃げる理玖をロミアが追いかける。

 そこに浦辺も加わって、鬼ごっこが始まった。


「もーむりーー!!!」


 2分ほど格闘したところで、ロミアのギブアップで幕を閉じた。

 理玖は息を整える。

 浦辺がいると、なんだか童心に返った気になると思いながら。


「ははは! ナジョーさんも苦手なんすね。オレも片付け苦手っす。なんか親近感わくっす!」

「浦辺くんもなの?」

「……実は、そーなんすよ。ロミアさんに手伝ってもらえるなんて、ナジョーさんが羨ましーっすわ!」

「どこがさ?」


 理玖は背後のロミアの圧が増していることに気づいた……が、もう遅い。

 怒りを含んだ笑みを浮かべるロミアに、拳で頭をぐりぐりされる。


「ロミア、痛い!!」


 理玖は苦悶の表情を浮かべた。


「あっ!」


 浦辺が時計を見て、なにかを思い出したようだ。


「オレ、この後用事があるんで先帰るっすね!」

「そうなの?」

「手伝えなくてすみません」

「大丈夫! 今日はありがとね!」

「いえいえ、オレはなんもしてないっすよ! じゃ! ナジョーさん、ロミアさん、また明日っす!」


 浦辺は勢いよく飛び出して階段を駆け降りていった。


「よーし! 今日中に、綺麗にするよ!」

「……スパルタ」


 ロミアは手始めに書類の仕分けを始めた。

 依頼に関するものとお金関係別にファイルに入れる。

 そして、薄っぺらいハガキほどの紙を手に取ると。


「なにこれ!!!」

「あぁ、請求書……」


 異常なものを見たかのように大げさなリアクションのロミアと、慣れ親しんでなんの感情も抱かなくなった理玖。

 2人の反応は、対極に位置している。


「信じられない、こんなに溜めてたの?」

「たかが3枚だろう」

「はぁ? あと5日じゃない!?」

「まだいけるさ、俺の金のなさをなめるなよ?」

「それって、自慢して言えること?」


 もう1枚、もう1枚と請求書が見つかるたびに、ロミアは呆れて口数が減っていく。

 片付け開始から13分を過ぎる頃には、お互いに喋ることはなくなった。

 デスク上の書類は綺麗に分けることができたものの。

 ロミアはお掃除心に火がついたようで、隅々まで拭き始めた。


「……」


 5時間後。

 片付けは夕飯の時間を過ぎてまで続いた。

 理玖は途中、休憩を挟んでおにぎりを食させてもらったが、まだ終わらない。

 ロミアが棚の中にまで手を出し始めたからだ。

 もちろん、力仕事は理玖の担当である。


 さらに1時間後。

 全ての書類を棚に戻し終えた。

 なんとか、客を呼べるような状態にはなったものの……綺麗すぎて落ち着かない。


「やっと、人様に見せられるようにはなったね……」

「ありがとう」

「どういたしまして、このくらい朝飯前よ!」


 ロミアがふふんと自慢げに力こぶを見せる。

 たくましい筋肉と体力だ。

 流石は毎日ラーメン屋でどんぶりを運んでいるだけある。

 理玖は外が真っ暗なことに気づき、時計を見る。

 時刻はすでに19時を回っていた。


「送ろうか?」

「……すぐ隣だし、大丈夫よ!」

「いや、送る」

「え、あっ……うん。ありがと」


 理玖はロミアを家に送り届けた。

 本当に階段を降りてすぐ隣だが、最近、妙な胸騒ぎがする。ただの杞憂であってほしいものだ。

 事務所に戻るついでにポストを確認すると、請求書に昔の依頼人からの感謝の手紙。

 そして、不気味な赤い封筒があった。


 事務所に戻った後、請求書と封筒をデスクに置く。

 流れるようにお菓子に手を伸ばし、タスラと呼ばれるスティックラムネを咥える。

 それは硬いラムネで銀紙に1本ずつ巻かれ、タバコの箱のようなものに20本入っている有名なお菓子だ。


 昔、ジン先生が好んで食べていたのを思い出す。

 相当なヘビースモーカーだったようだから、これを咥えていると寂しくなくなるらしい。

 窓を見れば、満月にあと少しでなりそうなオレンジ色の月が雲間から覗いている。


 そうだ、浦辺。似た色を見て思い出した。

 気になることがある。

 路地暴行事件の主犯の男、ただのチンピラだと思っていたが、ルネドの三下グループに所属しているようだ。

 情報屋に聞いたものの格下過ぎて大した情報は得られなかった。

 直接、狙いについて聞き出すのも手か。


 しかし、なぜ浦辺は狙われたのだろう?

 組織の重要な秘密を掴んだ……あるいは組織が喉から手が出るほどほしい情報を持っている?


 ソファーに席を変え、横になっているうちに理玖は寝落ちしてしまった。

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