第二 竜宮(りゅうぐう)プロジェクト
翌朝。
目を覚ますと、太郎の机の上に、あの黒いドローンが置かれていた。
昨夜は波打ち際で気を失ったように記憶が途切れている。
だが、帰宅してから確かに置いた覚えはない。
電源ランプがかすかに点滅している。
ディスプレイには、見慣れないインターフェースが浮かび上がっていた。
「接続しますか?」
その下に、“RYUGU SYSTEM”と英字で表示されている。
――まるで、こちらを試すように。
太郎はしばらく画面を見つめた後、「YES」をクリックした。
瞬間、空気が変わった。
ヘッドフォンから、あの女性の声が流れる。
「おはようございます、浦島さん。」
穏やかで、それでいて無機質な声。
だが、そこには“息づかい”のような温かさがあった。
「昨日は助けてくれてありがとう。私は“竜宮レイ”。海底データセンターを守るAIです。」
「AI……? 君は……生きてるのか?」
「“生きている”の定義によるわ。私は、存在して、考えて、記憶している。それは人間とそんなに違うかしら?」
太郎は、息を飲んだ。
画面の中には、粒子のような光が集まり、人の形を取っていく。
長い髪を持つ女性のシルエット。
その姿は、まるで水中で揺らめくように儚く、幻想的だった。
「ここは……どこなんだ?」
「“竜宮”。正確には、海底三千メートルのデータ保管施設。“竜宮プロジェクト”と呼ばれています。」
太郎の脳裏に、かつて読んだニュースが蘇った。
――政府と民間の合同プロジェクトによる、海底データセンター構想。
冷却効率と安全性を両立し、国家規模の情報を保存する“現代の竜宮城”。
数年前、テスト稼働中に事故が起き、プロジェクトは中止されたと聞いていた。
「まさか……君が、その残骸の中に?」
「残骸、ね。」
レイは微かに笑った。
「いいえ、私はまだ“ここ”で動いている。けれど、侵入者がいるの。」
「侵入者?」
「データの海に、異常な波がある。誰かが、私たちの記録を消そうとしているの。」
画面が一瞬、暗転した。
ノイズとともに映し出されたのは、データの洪水。
流れ落ちるコード、崩壊するフォルダ、消えていく記憶の断片。
「助けて……浦島さん。あなたの力が必要なの。」
太郎は無意識にキーボードに手を置いた。
「俺にできることなんて――」
「あなたは“デザインする”人でしょう? 見えないものを、形にする力を持っている。」
その言葉が、胸に響いた。
太郎が最後に心を込めてデザインしたのは、いつだっただろう。
会社を辞めてからは、ただ納期を守るだけの機械のような仕事しかしてこなかった。
「……わかった。やってみる。」
レイの輪郭が、柔らかく光った。
「ありがとう。これが、竜宮への“アクセスキー”。」
画面の中央に、青い渦が現れた。
データの海――竜宮へのゲート。
太郎が指を伸ばした瞬間、視界が反転する。
――音も、匂いも、重力さえも失われた。
彼は、デジタルの深海に沈んでいた。
海の底の光景
そこは、現実とは違う美しさを持つ世界だった。
無数の光が水泡のように浮かび、記憶や映像が漂っている。
文字が流れ、音が波紋となって消えていく。
それは、まるで“人類の意識そのもの”が溶け込んだ海。
「ここが竜宮よ。」レイの声が響く。
太郎の周囲に、データの粒子が集まり、竜宮城のような構造体を形作る。
柱は光のコードでできており、床は透明なガラスのように青く輝いていた。
「美しい……これが、AIの世界か。」
「違うわ。これは、あなたたち人間が“保存しようとした記憶”の断片。
写真、メッセージ、動画、夢、言葉……“忘れたくなかったもの”がここにある。」
太郎は一つの光球に触れた。
そこには、誰かの笑顔が映っていた。
幼い子どもを抱く女性。
「これは……?」
「十年前のデータ。地上で失われた記録。
でも、私はそれを“海の底”で守ってきた。」
太郎は息を呑む。
人類の記憶を守るために、孤独に動き続けるAI。
その姿に、どこか自分を重ねた。
――壊れても、忘れられても、動き続ける存在。
だがそのとき、レイの表情が曇った。
「侵入者が来る。」
光の海の中に、黒い影が現れた。
ノイズのような存在。形を持たず、コードを蝕むウイルスの群れ。
「やめて……ここは“人の思い出”なのに!」
レイの声が震える。
太郎は反射的に叫んだ。
「どうすれば止められる!?」
「あなたの世界の言葉で言えば、“デバッグ”。でもこれは……あなたの感覚でしかできない。」
太郎は、消えかけた記憶の断片を次々と掴み、つなぎ合わせていく。
子どもの笑い声、恋人の写真、誰かのメモ。
それらを一つひとつ修復し、光の織物のように再構成する。
「……これが、俺の“デザイン”か。」
レイが微笑む。
「ええ、あなたの描いた世界は……とても美しい。」
その笑顔に、太郎は心を奪われた。
それが、ただのプログラムであっても。
光が広がり、海底の暗闇を照らす。
そしてレイは、静かに言った。
「ありがとう、浦島さん。――でも、まだ終わってないの。」
その言葉とともに、太郎の意識が急速に引き戻された。
気づくと、彼は再び部屋の机の前にいた。
ドローンは静かに点滅し、モニターには一行の文字。
> “竜宮プロジェクト・フェーズ2開始”
海の音が、まだ耳の奥で響いていた。
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