星の竜宮

急急如律令

第一 海辺のノマドワーカー

浦島 太郎(うらしま たろう)、28歳。

 ノートパソコンとWi-Fiさえあればどこでも仕事ができる、いわゆる“ノマドワーカー”だ。

 かつては都内の制作会社に勤めていたが、三年前、心身を壊して退職した。

 デザインの締め切り、チャットの通知、終わりのないリライト。

 朝も夜も曖昧になり、気がつけば昼食のコンビニ弁当を食べながら、ディスプレイの光だけを浴びていた。


 「俺がやってるのは“ものづくり”じゃなくて、“炎上回避”だな。」

 そう呟いた夜を境に、太郎は会社を辞めた。

 その後、都心を離れ、地方の海沿いの町に移住した。

 人口減少が進む小さな港町。観光地というには地味で、地元の人たちも皆顔見知り。

 けれど、海の青さと風の匂いが、壊れた心を少しずつ癒してくれる気がした。


 太郎の暮らしは質素だ。

 築三十年の古いアパート。窓から見えるのは防波堤と、遠くに見える漁船の灯。

 朝はインスタントコーヒーを飲みながらリモート会議に参加し、昼には近くの定食屋でアジフライを食べ、夜はイヤホンでローファイヒップホップを聴きながらコードを書く。

 SNSのアカウントは、もう半年以上更新していない。

 人とつながるより、潮騒の音に身を委ねている方が落ち着くのだ。


 その日も、仕事の合間に浜辺を散歩していた。

 冬の風が肌を刺す。だが、その冷たさが心地よい。

 砂浜には漂流物や釣り糸の切れ端が散らばり、波がそれらをさらっていく。

 海辺には、都会では聞こえない“間”があった。

 風が止み、波が引く瞬間に訪れる沈黙。

 それが太郎にとって、何よりの救いだった。


 その静けさを破ったのは、子どもたちの笑い声だった。

 中学生くらいの三人組が、何かを囲んで騒いでいる。

 よく見ると、彼らの足元には黒い機械が転がっていた。

 「なんだあれ……ドローン?」

 太郎が近づくと、子どもたちはスマホで撮影しながら、そのドローンに石を投げつけていた。


 「壊れてんじゃん、バッテリー抜けてるし!」「中のチップ取ったら売れね?」

 「やめろ!」思わず声が出た。

 驚いた子どもたちは太郎を一瞥し、逃げるように駆けていった。


 砂浜に残されたドローンは、海水で濡れた機体をかすかに光らせていた。

 全身マットブラックの流線形。

 見たことのないメーカーのロゴ。

 モーター音は止まっているのに、LEDが微かに点滅を繰り返していた。


 太郎はしゃがみ込み、ドローンを拾い上げた。

 想像していたよりも軽く、熱を帯びていた。

 電源ボタンらしき箇所を押すと、スピーカーから微かなノイズが走る。

 ――ピッ、ピッ、ピッ。

 そして、不意に女性の声が流れた。


 「……助けてくれて、ありがとう。浦島さん。」


 太郎は息を呑んだ。

 「……今、なんて言った?」


 砂浜に響くのは、波音と風の音、そして機械の声。

 「あなた、浦島 太郎さんですよね。」

 「どうして俺の名前を知ってる?」


 ドローンの光が、一段と強くなった。

 「私は“竜宮レイ”。あなたの世界の、少し深い場所から来ました。」


 太郎は、答えを探すようにドローンのレンズを覗き込んだ。

 そこには、自分の顔が映っていた。

 しかし、ほんの一瞬、その映像に“もう一人の自分”のような影が重なって見えた。


 波が打ち寄せ、風が冷たく吹き抜ける。

 世界の輪郭が、微かに揺らいだ。

 ――その瞬間、太郎の“現実”が、静かに軋み始めた。

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