第一章 ジハンキ

 二○六一年四月現在。

 生き甲斐がいもなければ、生きている価値もない。

 夢もなければ、未練みれんもない。

 意志も弱く、こらえ情もない。

 そして、生きることも死ぬことも自由。

 生きることにきたら、自殺する。


 人類は死ぬことすら、億劫おっくうになっていた。

 刹那的快楽せつなてきかいらくに身をゆだね、意味もなくダラダラと生き続けていた。


 医療の発達によって、かつては死ぬ病気であった者が生きながらえ、超超超高齢化が進んだ。

 さらに人口増加に拍車はくしゃをかけたのが、二〇二五年の後半から大流行した『ベビーブーム』であった。

 遅れてやってきた『第三次ベビーブーム』により、人間は繁殖はんしょくし続けた。


 近年において親の低脳化ていのうかが進み、性的快楽による望まぬ妊娠、生まれたばかりの赤ん坊を置き去り、育児放棄いくじほうきなどの事件が急増。

 身寄りのない子を育てる児童養護施設じどうようごしせつ乱立らんりつし、人口は増大ぞうだいした。


 人口増加の打開案だかいあんとして、『世界環境保護計画』の政策せいさくが出された。




 今から二〇年前の二○四一年。

 当時二四歳だった大野おおのれんには、十四も年が離れた兄と三つ年下の弟がいた。

 両親は弟が生まれた翌年に事故死したのだと、兄から聞かされた。

 それが本当かどうかは、さだかではない。


 忘れもしない、二○四一年十一月十三日。

 兄に、アオガミが届いた。

 このアオガミは、大日本帝国陸海軍の召集令状しょうしゅうれいじょうとして、個人あて送付そうふされた『赤紙アカガミ』を真似たものだ。


 その内容は、以下の通り。


 ――この度、貴殿きでんは『世界環境保護計画』の対象に選ばれました。

 ――期日きじつの朝十時までに、身の回りの整理をしておいて下さい。


 当時実施じっしされていた『世界環境保護計画』には、恐ろしい項目があった。

『増え過ぎた人口を、いかにして減らすか』という問題の打開策だかいさくとして政府が出したのは、『コンピュータが、ランダムに弾き出した人間を定期的に殺す』ことだった。

 ランダムとはいえ、社会に必要とされる人間は候補から外される。

 要は『いてもいなくても、社会に影響のない人間』が、対象とされた。


 連と弟は、兄にすがり付いて泣いた。

 兄は苦笑しながら、二人の頭をでた。


「いい歳して泣くんじゃない」


 兄はいさめるように言った後、通帳を手渡した。

 兄弟三人でも、ゆうに数年は遊び暮らせそうな貯蓄ちょちくがあった。


「こんな大金、どうしたのか?」


 蓮が問いただしても、兄ははぐらかすように笑って何も答えなかった。

 後になって知った話だが、兄は極左翼きょくさよく暴力集団に所属していたらしい。

 兄はランダムではなく、要注意人物として選ばれたのだ。


 期日前夜に、兄の送別会をやった。

 思い出話で泣いたり笑ったりしながら、一晩中語り明かした。


 そして期日の朝十時きっかりに、政府から派遣はけんされて来たマネキン人形のような人型機械ヒューマノイドロボットが兄を迎えにやって来た。


 人型機械の後をついて行く途中、兄はこちらを振り返ると、弟達に笑いかけたつもりだったのだろう。

 だが、その笑顔は明らかに引きっていて、余計に悲しかった。

 無様ぶざまに泣いてくれた方が、よっぽど良かった。


 連は、兄は強い人間だと思っていた。

 しかしそれは連と弟を不安にさせない為に、ずっと気丈きじょう振舞ふるまっていたのだと、この時初めて知った。


 ふいに兄が、何かをつぶやいた。

 だが連自身の嗚咽おえつで、聞こえなかった。

 慌てて聞き返したが、兄は首を横に振った。


「聞こえなかったのならいい」


 それだけ言うと、政府が用意したバスへ乗りこんだ。

 それが兄を見た、最後だった。

 もしかしたら、最後に何かを伝えたかったのかもしれない。

 聞き逃してしまったことが、やまれてならない。


 翌日、封筒が郵送されてきた。

 中には兄の死亡証明書と、遺言ゆいごんが録音された安物のボイスレコーダが入っていた。

 それを目にすると同時に、連は泣き崩れた。


 ボイスレコーダは、聞けなかった。

 弟が聞くことを、かたくなにこばんだからだ。

 連自身も兄の死を認めてしまうような気がして、聞く気になれなかった。


 その日から、弟と二人で生きていくことになった。

 幸い兄が残してくれた金があったから、当面とうめんの暮らしに支障ししょうはなかった。

 だが時折ときおり、どうしようもなく不安になる時があった。

 いっそのこと、自殺しようとも考えた。

 しかし、弟がいる手前てまえ、連は生きていかなくてはならなかった。



 それから四年後の、二○四五年三月。

 弟に、アオガミが届いた。


「オレは絶対に行かない。政府の機械なんて、ぶっ壊してやる!」


 なげく連に対し、弟は力強く言った。

 連も、その言葉に頷いた。

 だが、ふたりは知らなかった。

 まさかそれが、取り返しのつかない事態じたいまねくことになろうとは。


 兄の時と同様に、政府の人型機械が迎えにやってきた。

 金属バットを振り被った弟は、機械の頭部を渾身こんしんの力を込めて殴った。

 その衝撃で作り物の綺麗な顔が砕け、下の機械がむき出しになった。

 いくつものコードが切れ、小さな火花を散らしながら機械は動きを止めた。


「やった!」


 喜んだのもつかの間。

 モータ音と共に再起動した機械が、弟に襲い掛かった。


「ぎゃあああぁっ! 痛い! 痛いっ!」


 すさまじい弟の悲鳴が、連の耳をつんざく。

 無感情の機械が、血にまみれて不気味だった。

 飛び散った血飛沫ちしぶきが、連の顔にも飛んだ。

 恐ろしい光景に、喉がひくついて情けない悲鳴が出た。


「たす……けて、にぃさ……」


 連に向かって助けを求める弟の悲鳴が、徐々に小さく弱くなっていく。

 連は止めさせようと機械に飛び掛かったが、横っつらられてあっけなく気を失った。


 気が付くと、部屋は真っ赤に染まっていた。

 吐き気をもよおすほどの、強烈な血の臭い。

 弟だったものが、床に散らばっていた。

 連もまた、血に塗れていた。

 自身の血ではない、全て弟の血だ。


「うっ、ううっあ……。あああっ、ああああぁぁぁぁぁぁっ!」



 次に目覚めた時、連は病院のベッドの上にいた。

 あれから一体、どれくらいの月日がったのだろう。

 季節は、すっかり様変さまがわりしていた。

 驚くほど心が落ち着いていて、あれは夢だったのではないかと思った。


 だが家に帰ると、おびただしい血痕けっこんが残っていた。

 むせ返るような死臭の中で、連は激しい憎悪ぞうおをたぎらせた。


「何故、こんな残忍なことをするんだ。何故、兄と弟が殺されなければならなかったんだ……? 何故だ何故だ何故だ何故だっ?」


 その時、天啓てんけいのように『自動繁殖阻止機』の構想こうそうひらめいた。


「そんなに人を減少させたければ、死にたい奴らをみんな自殺させればいい。みんな死んでしまえ! 死ね死ね死ね死ね死ねっ!」


 狂気じみた考えが、連を駆り立てた。



 それから約一年後の、二〇四六年四月。

 連は、『自動繁殖阻止機じどうはんしょくそしき』の試作品を完成させて公表こうひょうした。

 のちに、俗称ぞくしょう『ジハンキ』と呼ばれる自殺専用機。

 初めのうちは「非人道的ひじんどうてき」だの「倫理りんりはんする」なんだのと非難ひなんされたものの、のちに認められ、実用化される。


『ジハンキ』の成果は、めざましいものだった。

 ボタンを押すだけという手軽さから、自殺ブームの火付け役となった。

 一時は『世界環境保護計画』を、はるかにしのぐ自殺志願者が出た。

 やがて世界中に普及ふきゅうし、現在では至る所に設置されている。


『ジハンキ』の普及により、『世界環境保護計画』は廃止はいし

 二○四六年十一月一日、改訂案かいていあんげん『地球環境保護計画』が執行しっこうされることに政府議会で決議けつぎ


『世界環境保護計画』には、あらゆる方面から多くの非難の声があった。

 しかし、代替案だいたいあんもなかった為、非難の声を無視し続けてきた。


 そこに降って沸いた、『ジハンキ』による自殺ブーム。

 これ幸いとばかりに、政府は改変を打ち立てた。


『自由に生きる権利』が尊重されているのであれば、『自由に死ねる権利』があっても良いのではないか。

 それが、新法案『地球環境保護計画』の着眼点ちゃくがんてんだった。


 そして今日もまた、『ジハンキ』に並ぶ長い列が出来る。

 理由もなくく者。

 衝動的に逝く者。

 絶望の果てに逝く者。

 足掻あがきながら逝く者。


 人の数だけ、死に逝く理由がある。

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