或るチ人の死

ペニーワイズ金原

序章

 皇紀2685年12月31日。

 H県警生活安全課の苧ヶ瀬克弥(おがせ かつや)警部補は、瀬戸内海の自然豊かな島である蓼喰島(たでくいしま)の現場に向かっていた。大晦日だというのに、とある一軒家でホトケが三体あがったとの連絡があった。先に捜査一課および鑑識課が向かっているはずだが、なぜ生安の自分が呼ばれるのか——その疑問は現場の住所を聞いて嫌な予感に変わった。

「これは……蓼喰島の、韮崎さんちじゃないか……」

韮崎家は、老夫婦とその一人息子の三人暮らしである。アクセスの悪い蓼喰島の海岸に位置する古びた一軒家であり、訪れる人も郵便配達員くらいのものである。数年前までは引きこもりの息子、韮崎一平がネット上でストーカー行為や性的嫌がらせなどの問題行動を繰り返しており、幾度となく通報され生安課の刑事が対応に出向いていた。中でも苧ヶ瀬は頻回に対応にあたり、“一平くん係”とまで渾名されるほど足繁く通っていた時期もあった。ここ数年は一平の問題行動に係る通報もなく、最後に彼の顔を見たのは三年前だった。問題行動も落ち着き平穏に暮らせているとばかり思っていたのだが——その韮崎家で三人分の遺体が発見されたと聞き、苧ヶ瀬はやるせない気持ちになった。


 現場に到着すると、鑑識課の水嶋巡査部長が声をかけてきた。

「苧ヶ瀬さん、お疲れ様です。わざわざお呼び立てして申し訳ありません。この韮崎家の方々と面識のあった苧ヶ瀬さんには、どうしても見て頂きたいものがありまして……」

申し訳なさそうにいう水嶋に、沈んだ気持ちを見せぬよう苧ヶ瀬は答えた。

「水嶋さん、お気になさらないでください。……最近通報が無くなって安心していたものですから、まさか韮崎さんの一家でこんな事が起こるとは思っていませんでした。それで、俺に見せたい物とは?」

水嶋はメモ帳を見せながら説明した。

「はい、まず状況を簡単に説明させて頂きます。韮崎邸は二階建ての住宅で、一階にキッチン、風呂場、トイレ、およびリビングと居室三つ。二階に居室二つのいわゆる6Kの間取りになります。一階の東奥、リビングや二階への階段から最も遠い部屋ですが、ベッドが二つあり夫婦の寝室と思われます、ここに白骨化した遺体がそれぞれのベッドに横たわるように安置してありました。部屋の窓やドアには入念に目張りがされており、現場の痕跡から相当時間が経っていたと思われます。」

説明を聞きながら、苧ヶ瀬は吐き気を堪えていた。もとは捜査一課の所属でありながら、殺人現場や腐乱死体がどうしても苦手で異動を希望した過去があった。

「……苧ヶ瀬さん、大丈夫ですか?念のため付け加えておきますと、相当時間が経っているためか体液などは乾燥し切って悪臭はありませんでした。リビングのカレンダーが皇紀2683年の5月のままでしたので、死後二年以上は経過しているかと。」

 死後二年以上——通報が無くなった時期と一致するのは偶然ではないだろう。水嶋が続ける。

「そして、リビングと玄関の間に二階へ上がる階段がありまして、階段を上がると左右に一つずつ居室があります。左は二段ベッド一つと学習机二つがあり、家族構成を考えると用途不明です。右が息子の一平さんの部屋と思われまして、窓際にパイプベッドがあり、そこに死後二ヶ月ほどと思われる御遺体がありました。県警の資料と照合したところ、一平さんで間違いなさそうです。部屋からは彼のものと思われる日記が大量に見つかりまして、内容が、その……大変独特でありまして、一平さんと交流のあった苧ヶ瀬さんに見ていただき、意見を伺いたいとのことなんです。現場では伊原刑事もお待ちですので、ご案内致します。」

 先導する水嶋に続いて、苧ヶ瀬も韮崎邸に足を踏み入れる。最後に訪問してから三年、あれから何があったのだろうか。最初の頃はまったく部屋から出てこず、警察への対応も親任せだった一平だが、徐々に顔を見せるようになり、会話もできるようになっていった。最後に会った時は落ち着いた様子で、笑顔さえ見せていた。そんなことを思いながら、一平の亡くなった部屋に到着した。

「伊原警部、苧ヶ瀬さんが到着されました。」

水嶋の声に強面の刑事が振り返る。

「おう、来たかカツ。こんな日に呼び出して悪いな。」

捜査一課の伊原警部——大学では二年先輩であり、警察官になった後も面倒を見てくれた恩人であった——は苧ヶ瀬の肩をポンと叩いた。

「伊原先輩、お疲れ様です。大体の状況は水嶋さんから聞きました。この部屋は……割と綺麗ですね……」

部屋を軽く見渡し、特に荒れた様子も汚染された様子もないことに安堵した。

「電気が止まってたらしい。冬場でエアコンもつけずに寝ていてそのままお陀仏ってところか。死後一か二ヶ月くらいだそうだが、全く腐敗はせず綺麗なもんだったよ。」

伊原が親指で示す先には、すでに遺体が搬送された後のベッドにテープで人型のマーキングがされていた。苧ヶ瀬はありし日の一平を思いながら手を合わせた。

「それで、一平さんの日記が見つかったとのことですが、何がおかしな点でも?」

苧ヶ瀬が問うと、伊原はうーん、と唸って困り顔になった。

「いやな、どこがおかしいっていうか全部変なんだよなぁ……パラパラと見てみたがとても同じ人間が書いたとは思えないくらい変わっていくんだよ。色々と。最初は幼稚園児のガキが書いたのかと思うようなモンだけど、だんだんとまともになっていって……と思ったらまた崩れ始めて、最後はもう支離滅裂。一階のホトケ二人は順当に考えてコイツの両親だとは思うが、コイツが殺ったのかどうかもわからん。ただまぁ、韮崎夫妻の死亡届は出ていなくて今も年金が振り込まれてるのは確認したから、年金の不正受給でコイツがしばらく食ってたのは違いねぇ。殺人であってもそうでなくても、被疑者死亡じゃあな……」

次々と様子が変わっていく日記、と聞いて苧ヶ瀬は三年前の一平の父との会話を思い出した。

「そういえば先輩、韮崎さん……一平君のお父さんですけど、彼が三年前に一平君に何かしらの治験を受けさせると仰っていました。確か認知機能や知的水準を改善させる治療とかで、その経過観察のために日記を書かせ始めたとか。多分それかと思います。」

「何だそりゃ?頭を良くする治療?そんなことが出来るのか。……その結果がこれだとしたら報われねぇな。まぁ、この日記は重要な証拠物資として持ち帰るから、悪いが、水嶋と一緒に解読に当たってくれ。」

 年の瀬にとんだ事件に巻き込まれてしまった。それも幾度となく交流のあった一家の死という悲惨な事件。既に二年以上前に両親が亡くなり、その年金を不正受給して一人生き延びた一平。その一平も孤独死した。果たして彼らに何があったのか。署に戻った苧ヶ瀬は、一平の遺した日記を読み始めることにした。

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