第6話

第6話 「崩壊の鐘」


 空が、鳴った。


 それはサイレンでも爆発音でもない。

 もっと嫌な音。鼓膜じゃなく、骨の内側を直接震わせる音。

 金属を巨大な指でこすり上げながら、世界そのものを曲げていくみたいな——不快な共鳴。


 訓練フロアの天井に埋め込まれたクリスタルセンサーが、一斉に赤く灼ける。


 〈神域干渉反応:レベル5〉

 〈地点:桐生東 高等部 上層区〉

 〈推定規模:校舎範囲〉

 〈推定危険:都市壊滅級〉


 槙村が青ざめた。「……都市壊滅級って言った今?」


 黒瀬が肩を回しながら、笑うでもなく呟く。「いいねぇ。いよいよ本番って感じになってきた」


「どこが“いい”のよ迅(じん)!」槙村が怒鳴る。


「え? だって“生還”が俺の趣味だぜ? 趣味の時間きたらテンション上がるだろ」


「お前その趣味やめろ!!」


 黛は一瞬だけだけ目を閉じ、深く息を吐いた。


 それだけ。


 それだけで、全員の喉が同時に静まる。


「特防課、第一種出動。全員、装備。——神谷」


「は、はい!」


「お前も来い」


「……マジかよ俺もう現場デビューなんですか!?」


「今さら何を言ってる。お前はもう戦力だと言ったはずだ」


「いやそれは嬉しいんだけど初陣が“都市壊滅級”は配属ガチャ渋すぎんだろ!?」


「文句はあとで聞く。生き残ったらな」


「縁起でもねぇことサラッと言うのやめろ黛先輩!?」


 でも、否定はしない。できない。


 これは“避けていい戦い”じゃない。

 この学校を狙ってレベル5が来る=俺を殺す/連れ去るルートに入ったってことだ。


 つまり、これは俺の戦いでもある。


 覚悟とか、そんな綺麗な言葉じゃない。

 ただ、わかる。

 ここで逃げたら、この場所は本当に全部奪われる。


 そして、それは嫌だ。


 ◇


 装備庫は教室の裏に隠された金属扉の先にある小部屋だった。

 壁一面に並ぶのは、銃器っぽいもの、盾っぽいもの、鈍器っぽいもの、そして「本当に持ち出していいのか?」ってレベルの光る筒状デバイス。


 普通の学校で「ジャージと体育館シューズ揃えてね」みたいなノリで、ここでは「対神域携行装備は自己管理」が貼ってある。感覚おかしくなるなマジで。


 黒瀬は黒いナックル型デバイスを両手に装着し、笑う。


「これが基本装備な。神域系には素手よりこっちのが通る。人間相手には逆に出力落とす。便利でしょ?」


「便利っていうか殺意がオプション化してるよなそれ」


「お前も何か持つか?」


「いや俺、多分直接殴る係じゃない」


「だよな。じゃ、これ」


 黒瀬は俺に、小さな金属プレートを三枚渡してきた。手のひらサイズの、ICタグの入ったカードみたいなやつ。


「なにこれ」


「インパクト・タグ。簡単に言うと“現場用の付箋”。敵に貼った瞬間そいつの堅さ・反応・再生を一瞬スキャンして、そのデータをお前の《編集》に送り込む。お前、触る前から『どこを壊せばいいか』わかるようになる」


「そんなチートアイテムがあるなら先に言ってよ!」


「いや今まで使いこなせるやついなかったから」


「そういうことサラッと言ってくんのやめろ怖いから!」


 槙村はメディカルバッグを背負い、ヘッドセットを耳にかける。

 バッグには赤いラインで「即応救護」。その下に小さく「生徒用」。生徒用ってなんだよ。逆に怖いわ。


「神谷くん。あなたのバイタルもリアルタイムで見るから、限界超えそうなら叫ぶ前に止めるからね。あと倒れたら絶対動かないこと。よくあるんだよね“仲間のために立とうとして二回目で死ぬやつ”」


「普通そんな教訓身近にないからね!?」


「うん、あるんだよねうち」


「うちって言うなよ学校で!!」


 アイは制服の上に簡易アーマーを重ねている。

 胸と脇腹だけをカバーする薄い防護プレート、腕にはショック吸収のガントレット。髪は後ろで留めて、動きを邪魔しないようにしていた。


 表情は真剣。でもその目は、いつもより静かだった。

 あの視界補正のせいかもしれない。もう“反射で飛び出すだけの子”じゃない。今のアイは、戦場を読む兵士だ。


「蓮」


 呼ばれて、俺も頷く。


「……まだ本気で怖い?」


「当たり前だろ。足ガクガクだわ」


「うん。いいよ。怖くていいから」


「励ましとしては弱いな?」


「逆。怖くない顔して死ぬやつ、いっぱいいたから」


 一瞬、息が止まった。


 ああそうか。

 アイの「怖くていい」というのは、慰めじゃない。経験から出た事実だ。

 こいつは、もうそういう場面を何度も見てる。


 俺は、拳を握る。


「わかった。じゃあ怖いまま行く」


 アイが小さく笑う。「それでいい」


 黛が通信機に口を寄せた。「全員、行くぞ」


 ◇


 屋上に出た瞬間、空の色が壊れていることに気づいた。


 夕方のはずなのに、空は夜みたいに暗い。

 でも星はない。代わりに、黒い蜘蛛の巣みたいな亀裂が広がっている。そこから、じわじわと“何か”が降りてきている。


 最初は霞に見えた。

 でも違った。


 それらは、形を持っていた。


 人に似ている。

 でも、明らかに人ではない。


 腕が四本あるもの。

 足がないのに宙にぶら下がっているもの。

 上半身だけ人間で、下半身がノイズみたいに崩れているもの。


 どれも、白い仮面みたいなものをつけている。

 仮面には、赤い印字が刻まれていた。


 【修正対象】

 【逸脱因子:削除】

 【神谷 蓮】


 ——俺の名前。


 背中が氷みたいに冷たくなった。


「ちょ……待て。あいつら全員、ターゲット俺!?」


「だいたいそうだねー」と黒瀬。「派手でいいじゃん。モテ期到来」


「こんなモテ期いらねぇよ!!!」


 黛が短く命じる。「編成・第一隊形。黒瀬前、アイも前。槙村やや後ろ。神谷は中央、俺の左横に固定」


「了解!」


「了解!」


「了解です!」


 全員が即座に動く。

 揃ってる。迷いがない。

 これが“日常的に戦ってる側の動き”ってやつか。


 俺は震える足を自分で止めて、黛の横に立った。


 今さらだけど、黛って細身に見えるのに、近くで見ると存在感が異常だ。

 落ち着きというより、揺れない。ここに立ってるだけで「まだ終わらない」と思える種類の強さ。


「神谷」


「うん」


「お前の役目は3つ。いいか。忘れるな」


「3つ。わかった」


「一つ、誰よりも先に死ぬな」


「了解」

 最優先。それはずっと言われてるやつだ。なんとかなる。


「二つ、味方の“致命傷コース”を編集でへし折れ。お前にはそれができる」


「できる」


「三つ」


 黛はほんの少しだけ笑った。

 その笑い方は、昨日から見てきたどの笑みより、人間くさかった。


「——カッコつけるな。調子乗って前に出るな」


「えっあっはいすいませんほんと気をつけます!!」


「よろしい」


 そう言った瞬間。


 空から、最初の一体が落ちてきた。


 ズドン、と屋上のコンクリがえぐれる。

 四本腕。節ごとに金属質の骨がむき出しになっている。顔は白い仮面。赤い文字が俺の名前を連呼して明滅している。動きは速いというより“瞬間移動みたいに位置を飛ばす”タイプ。いやな予感しかしない。


 そして、それは迷いなく俺に向かってきた。


「来るなり俺かよ!!??」


「下がれ、神谷!」


 アイの体が、矢みたいに飛んだ。

 視界補正済みのアイは、さっきよりさらに速い。神域体の腕が一斉に伸びてくるのを、彼女はスライドするみたいにかわし、間合いに踏み込み、拳を叩き込む——が。


 ギィィィンッッ!


 硬え!


 アイの拳が甲(こう)に当たった瞬間、火花みたいなノイズが弾ける。神域体はほぼノーダメージ、逆にアイの衝撃吸収ガントレットのほうがズレる。


「っ……! 硬い!」


 アイが小さく呻く。

 その一瞬、神域体の別の腕がアイの脇腹を狙って伸びた。


 これは——まずい。


 俺は走った。

 足が勝手に動いていた。


「《リンク共有》——対象、月城アイ!」


 白いウィンドウが、目の前にはじける。


 ────────────────

 対象:月城アイ

 部位:上半身(脇腹〜胸部)

 付与可能タグ:

 [局所防御強化(上半身)] コスト:SP1 効果10秒 副作用:打撲痛移転(※痛みの一部が付与者に来ます)

 ────────────────


「いいから持ってけ!!」


 俺はSP1を叩きつけるように消費した。


「《局所防御強化》!」


 アイの脇腹に、薄い光の膜が走る。

 その瞬間、神域体の腕が直撃。


 ドンッ!!!


 空気が歪んだみたいな衝撃音。

 アイが床に叩きつけられそうになる——けど、耐えた。


 代わりに。


「っ——っっっっっつぁああああああああああああああああ!!!!??」


 俺の脇腹が、焼けた鉄骨で横から突き刺されたみたいな激痛に襲われた。


 地面が波打つ。息が止まる。目の前が真っ白になる。


 槙村が悲鳴を上げた。「痛み移転きた!? 大丈夫なのそれ!?」


「大丈夫じゃねぇよ!!!?? 今普通に死んだと思ったわ!!!!」


「生きてるなら大丈夫!!」


「医療班の基準こわっ!!?」


 でも——アイは無傷だ。

 俺のSP1が、アイの致命傷コースを完全に別の結果に書き換えた。


 これでいい。

 これでいいんだよ。

 俺が痛いくらいで済むなら、それでいい。


「神谷っ!」


 アイが叫ぶ。「大丈夫!? 無茶しないでって言ったじゃん!」


「痛いけどまだ死んでねぇよ! 動けるし! ……多分!」


 しゃがみ込みながら立ち上がると、視界の端にもう一体、神域体が降りてくるのが見えた。そっちは黒瀬のほうへ。


 黒瀬は笑いながら、突っ込んでいく。


「はーいこっちもこっちも並んで並んでぇ、順番にボコるからケンカすんなよ神様の手下さーん!」


 その動きは、正直ひどかった。


 いや、ひどいってのは悪口じゃない。

 本能が拒否する動きって意味だ。


 黒瀬は真正面から殴り合ってるのに、まったく同じ場所に留まらない。

 一撃ごとに体重のかけ方を変え、相手の打撃をいなしては、逆にわざと軽い打撃を何度も当てる。ダメージを一箇所に集中させず、じわじわと動きを殺す。


 そのくせ、避けるときは紙一重。あと数センチずれたら普通に死ぬ距離を平然と通る。

 あれは多分、普通の人間にはできない。

 “生きて帰ることだけに特化した戦闘”。狂気と計算が同居した戦い方。


「迅は大丈夫?」俺は息を荒げながら叫ぶ。


「大丈夫じゃないよ、常に大丈夫じゃないよ」と槙村。「あいつは毎回『あと少しで死ぬ』をやり続けて帰ってくる生き物だから」


「怖すぎんだろあいつの生き方!!?」


 そんなやり取りをしているあいだにも、空からはさらに影が降ってくる。


 三体、五体、七体……おい増えるペースおかしくないか!?

 屋上だけじゃ足りず、校舎の外壁にも張りつき始める。窓の中に向かって腕を伸ばす個体もいる。これ、もし普通科の連中が残ってたらどうなってた?


 想像した瞬間、背筋が冷たくなった。


 黛が通信に指を当てる。「下層避難ルートは?」


『生徒避難、地下第2シェルター完了。一般科は全員保護中。特防課未所属は近接領域から排除済み』と機械的な返答が返ってくる。教師の誰かだ。この学校、先生もこのモードで動けるのかよ。


 黛は短く「よし」と言っただけで、すぐ戦況に目を戻した。


「——神谷」


 呼ばれる。

 俺はもう走りながら「はい!」と返してた。


「インパクト・タグは使えるな?」


「やってみる!」


 俺はさっき黒瀬からもらった小さな金属プレートを握る。

 ちょうど目の前、アイを殴ろうとしてる別個体の爪の束に飛びつく勢いで、タグを叩きつけた。


 カチッ。


 次の瞬間、俺の視界に白いウィンドウが炸裂する。


 ────────────────

 対象:神域干渉体(ランク?/識別不能)

 構造スキャン:

  外殻:高再生・高硬度

  関節:異常増幅駆動(過負荷時に機能低下)

  中核:仮面内部・赤色エネルギー核(露出時 致命)


 推奨編集:

 [対象部位:右肩回転軸]

  変更タグ:「過負荷状態」付与

 コスト:SP1

 効果:対象部位の動作効率 60%低下

 副作用:対象部位のランダム痙攣

 ────────────────


「……わかったわ」


 いや違う俺男。

 思わず口調がズレるくらいにはアドレナリン出てた。


「《編集:右肩 回転軸 過負荷状態》ッ!!」


 指を突き出すだけで、ウィンドウが食い込むみたいに相手の肩に吸い込まれた。


 神域体の右上腕が、ビキッとありえない方向に痙攣する。

 その瞬間、動きが一瞬止まった。


「今ァ!!」


 俺が叫んだ瞬間、アイがその隙を逃さず飛び込む。

 さっきより滑らかな、無駄のない踏み込み。

 拳でなく、掌底で仮面の下部を叩き上げる。


 パキンッ——。


 白い仮面にヒビが入った。


 中から、赤い光が漏れる。


 ウィンドウが跳ねて警告する。


 ────────────────

 中核露出:致命範囲

 推奨:破壊

 ────────────────


 これは、いける。


「アイ!!!」


「わかってる!!」


 アイは反転し、片足で床を蹴り、全身をひねった勢いのまま仮面のヒビにエルボーを叩き込んだ。


 バシュッ!!


 赤い光が、霧みたいに砕けて空中に散った。

 神域体の身体が、一瞬でノイズ化する。

 細かい黒い砂みたいに分解され、風に混じって消えていった。


 ……倒した。


 俺とアイは、同時に肩で息をした。


「やった……!」


「やったね蓮!!」


「いけんじゃん俺たち!!」


「いける!!!」


 言葉より早く、拳と拳がぶつかった。

 パン、と音が鳴る。

 俺の手首はまだ少し震えてたけど、震えててもいい。これは誇っていい。


 だって俺たちは今、神の“兵隊”を一本落としたんだ。


 黛が短く言う。「いい連携だ。続けろ。そのパターンは使える」


「了解!!」


「了解!!」


 そう叫んだ瞬間——空がもう一段階、低く唸った。


 蜘蛛の巣じみた裂け目が、ぐしゃり、とひとつにまとまっていく。

 まるで世界の天井に“手”を押し当てられ、その指がぎゅっと握りしめるみたいに、空間が押し潰される。


 黒い、巨大な“何か”がそこから降りてくる。


 ……デカい。


 さっきまでの個体が人間サイズ〜2m程度だったとしたら、今のやつは桁違いだ。

 体育館どころか、校舎の3階ぶんまとめて潰せるサイズ。

 下半身は黒い靄で形がない。上半身は異様なほどヒトに近い。腕は二本だけど、一本一本がビルの支柱みたいに太い。顔にはやっぱり白い仮面。そして仮面の中央に、大きく赤い文字。


 【修正課題:神谷 蓮】


 うわもう名前大きく書くなよ!!ターゲットって貼り紙すんな!!


 槙村が青ざめながら言った。「レベル5……コア級……っ、なんで学校に直接……!」


「問答無用で消しにきてんな」と黒瀬が笑う。「わぁ俺の命めっちゃ安い〜」


「迅黙れ!!」


 巨大な神域体は、一言も発しない。

 ただ、仮面の赤い文字の下で、何か蠢いている。

 “眼”みたいなものがある。

 俺一人だけを、正確にロックオンしている。


 黛が即座に叫んだ。


「陣形変更! 第一優先は神谷の遮断! 黒瀬、足止めだ!」


「はぁ!? あれ相手に足止めとか無理ゲ——いや、やるわ」


 一瞬で切り替える黒瀬。マジでこいつは頭おかしい方向にすごい。

 アイはすでに俺の前に立っていた。

 さっき付与した視界補正の効果はまだ残ってるはずだが、レベル5相手にどこまで読めるのかは不明。


 俺はウィンドウを開く。

 タグを探す。

 でも、デカすぎる。情報が流れ込みすぎて、文字が多すぎて、目がチカチカする。


「……っ、読めねぇ……!」


 脳が処理落ちする。

 このレベルは、スキャンにすらSPが要る。

 表示の端に赤い警告が浮かぶ。


 ────────────────

 対象:神域干渉体(ランク不明/コア級)

 解析要求:SP3

 警告:編集介入は敵対宣言とみなされる可能性があります

 ────────────────


「黛! ヤバい! これいじったら完全に向こうが本気になるやつだ!」


「もう本気だろうが!!」と黒瀬が叫んだ。


 ……それはそう。


 巨大な神域体が腕をゆっくり持ち上げる。

 その動きに合わせて、屋上全体の空気が重くなる。

 押しつぶされる——。


 やばい。

 これ当たったら、学校ごと半分なくなる。


 俺は叫んだ。


「《自己編集:防御姿勢最適化》……全身拡張!!」


 白いウィンドウが俺の目の前で弾ける。


 ────────────────

 自己編集(20%)拡張適用

 対象:自分

 タグ:全身防御姿勢自動化+衝撃拡散(範囲:上半身周囲2m)

 コスト:SP3

 副作用:筋繊維損傷(広範囲)/全身打撲相当ダメージ

 警告:意識喪失リスク:中

 ────────────────


「っはぁあああああああああああああ!!!」


 俺はSP3を、まとめて叩きつけるように使った。


 次の瞬間。


 何かが俺の周囲に「張られた」。


 目には見えない。でも感覚だけはわかる。

 空気が粘性を帯びて、俺を中心にぐっと固まる。

 アイの肩と、黛の腕と、槙村の身体まで、ぎりぎり含む円の中に、圧縮された“層”が展開される。


 来いよ。

 来るなら全部、ここで止めてやる。


 巨大な神域体の腕が振り下ろされた。


 ——落ちた。


 屋上を割って、校舎ごと押し潰すはずの一撃が、その層にぶつかった瞬間、世界がスローモーションになったみたいに減速する。


 ギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギ!!!


 悲鳴みたいな摩擦音。

 空気が火花を散らす。

 ひび割れるのは俺の歯か、ここにある物理法則かのどっちかってくらい、全身に圧力がのしかかる。


「ぐ、ぅ、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


「蓮っ!?」「神谷!?」「バイタルやばい上がってる!!」


 熱い。

 全身が焼ける。

 皮膚の内側から叩かれてる。

 骨に直接ハンマーが打ち込まれてるみたいな痛みが同時に襲ってきて、目の奥が白くはじけそうになる。


 でも——


 でもまだ、折れねぇ。


 ふざけんな。

 ここは俺の教室で、こいつらは俺の仲間で、俺はもう逃げないって言ったんだ。


 「止まれえええええええええええええええええええ!!!!!」


 バチンッ!!


 世界が跳ねた。


 巨大な神域体の腕が、押し返された。


 ほんの数十センチ。

 でも、それで十分だった。


「今だァァァァァァァァァァァァ!!!」


 黒瀬が叫び、地面を蹴った。

 体全体がバネになったみたいな動き。

 あのクレイジーな足さばきで神域体の腕の付け根に乗り、肩の継ぎ目にナックルを叩き込む。


 ガンッッ!!!


 亀裂が走る。

 同時に、俺の視界へ白いウィンドウが一気に展開された。


 ────────────────

 対象部位:上腕基部(コア級)

 現在タグ:装甲安定化/負荷分散

 変更可能:[負荷集中]

 コスト:SP1

 効果:一点にダメージを集中させ、分散を無効化

 ────────────────


「——《編集:負荷集中》!!!」


 俺は最後の余力でタグを叩いた。


 黒瀬の拳が、再び同じ一点を打ち抜く。


 メリッッッッッ!!!


 巨大な神域体の腕が、ありえない方向に折れた。


 のしかかる圧力が一気に消える。

 防御の層がバリバリと割れるように消えて、同時に俺の膝も崩れる。


 視界が揺れる。

 呼吸が荒い。

 脳がぐらぐらする。


 ……あ、これ、やばいやつだ。

 意識、飛ぶかもしんない。


 でも、その瞬間、腕に何かが巻きついた。


「蓮!!」


 アイが俺の身体を抱きとめる。

 その声は、泣きそうで、怒ってて、でも必死に落ち着こうとしていた。


「バカ! バカ!! 死ぬなって言ったでしょ!!」


「死んでねぇよ……まだな……」


「“まだ”とか言うな!!」


「ごめん……」


 槙村がすでに俺の首筋に手を当てて、何かを注入している。冷たい液体が血管を流れて、全身の焼けるみたいな痛みがほんの少しだけ薄まる。


「脈圧不安定、でもまだ戻せる。呼吸浅いけど維持できてる。——大丈夫、死なせない」


「マジで頼む……」


 俺はかろうじて笑って言った。


「俺、死んだらアイにすげぇ怒られそうだし」


「当たり前でしょ!!!!」


 アイの顔が近い。

 涙で目が光ってる。

 あぁやべぇこれ近い。心臓に悪い。いろんな意味で。


 その間にも、黛と黒瀬はまだ動いていた。


 黛は一歩も乱れない足取りで、巨大な神域体のコアの死角をとる。そして静かに両手のデバイスを展開して、何かを入力する。


 低い声が屋上に響いた。


「桐生東高校 特防課2-B、現場指揮・黛 凌央。——宣言する」


 黛の目は、氷みたいに冷たかった。


「本件は“防衛戦争”だ」


 瞬間、空気が揺れた。


 その言葉に、世界そのものが反応したみたいに、空の裂け目が一瞬だけ波打つ。


 黛は続ける。


「よって、特防課2-Bは本件における正当防衛の継続を宣言する。管理局の介入なしで、ここを守り抜く権利がある」


 ……これ。


 こいつ、世界に向けて“法的宣言”投げてるんだ。


 たぶんこれ、こっちの世界のルールに対してのハッキングだ。

 “神”が作った監視ルールを、人間の側から上書きする宣言。


 エリシアが言ったことと、真っ向からぶつかるやつ。


 俺が半分意識を飛ばしながらそう思っていると、屋上にアラートが走る。


 〈管理局通信割込み:無効化〉

 〈監査班 介入申請:拒否されました〉

 〈正当防衛区画が一時的に承認されます〉


 ……やった。


 黛が、世界に“ここは俺たちの戦場だ”と認めさせた。


 俺は笑いそうになって、でもちょっと咳き込んだ。


「……すげぇな、黛」


「当然だろ」と黛は淡々と言った。「お前は俺たちの戦力だ。勝手に持っていかせるか」


 黒瀬が肩で息をしながら、折れた巨大な腕の上に着地する。


「リーダー、こっからどうすんの?」


「決まってる」


 黛の目が、折れた巨大体のコアへ向いた。

 そこには、まだ白い仮面が残っている。

 赤い文字が、今も——俺の名前を点滅させている。


 うざい。すごくうざい。


「落とす。ここで終わらせる」


「マジ? やっちゃう?」


「やる」


 その言葉を聞きながら、俺はあえて、アイの腕の中で目を閉じた。


 痛い。全身が熱を持ってる。

 でも、不思議と怖くはなかった。


 だって。


 俺はひとりじゃない。


 特防課2-Bは、俺を真ん中に入れる形で陣を組んでいる。

 それは盾じゃなく、輪だ。

 守られてるって感覚より、「一緒にいる」って感覚のほうが強い。


 ああ。これが、俺の居場所だ。


 その事実だけで、まだ立てる。

 まだ戦える。


 だから、俺は宣言する。


 たとえ神だろうが世界だろうが——


 「ここは渡さねぇからな」


 そう呟いた瞬間、俺の視界に新たなウィンドウが浮かんだ。


 ────────────────

 【権限進行】

 特防課2-Bとの共同防衛宣言が確認されました

 《ステータス編集》開放率が上昇します


 自己編集 開放率:20% → 30%

 リンク共有 範囲:30m → 50m

 新機能:《集団防壁(プロト)》

 効果:同一リンク内の仲間を対象に、一時的な共有防御層を展開可能

 ※精神負荷:極高

 ※使用者の意識喪失リスク:高

 ────────────────


 ……やべぇ。


 俺、もう一段階、開いた。


 世界を“編集する”側に、また一歩。


 これが“神殺し候補”ってやつかよ。


 笑えてきた。


 いや、笑えるのは今だけかもしれないけど、それでも笑える。


 俺は片目だけ開けて、アイを見た。


「なぁ、アイ」


「なに」


「俺、マジでやべぇことになってきたっぽい」


「うん。見ててわかる」


「それでも、そばいろよ」


 アイの目が一瞬だけ見開かれる。


 そしてすぐに、いつもの、ちょっと拗ねたみたいな目に戻る。


「当たり前でしょ、幼なじみなんだから」


「いやその設定まだ引っ張んの???」


「引っ張るよ。死ぬまで引っ張るよ」


 ……それはちょっと。

 それは、すごくずるい。


 俺はもう一度息を吸って、血の味のする口の中で笑った。


「——じゃあ、死なねぇわ」


 屋上に、再び轟音が走る。

 戦いはまだ終わらない。


 でも、もうはっきりした。


 俺たちは、ただの高校生じゃない。

 ここは、ただの学校じゃない。


 これは、宣戦布告だ。

 神に対して。世界に対して。


 そして俺は、もう選んだ。


 敵にされるなら、全部まとめて敵にしてやる。


(第6話 終)


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