第5話 EXPOに恋して
十月十三日、ついにこの日が来てしまった。
それは大阪万博最終日。
夢洲の空には、華やかな花火が別れを惜しむようにうち上げられている
僕は愛用の一眼レフカメラを肩にかけながら、いつもの銀河家電パビリオンへ向かっていた。
館内は別れを惜しむ人々で溢れている。
ぽっちゃりメーテルこと芽高輝美は人気パビリオンスタッフとしてSNSで話題の人であった。
万博最後の日もぽっちゃりメーテル目当の人々でパビリオンはあふれかえっていた。かくいう僕もその一人だ。
「なんか、あっという間だったな……」
僕がそう呟いたとき、背後から聞き慣れた声がした。
「終わっちゃいましたね、鉄朗さん」
芽高輝美が、アストラカン帽子を手に微笑んでいた。
少し日焼けした頬、汗で額に貼りついた黒髪。それにメーテルとは違う豊満な胸。
一番の魅力であるその笑顔は、最初に出会った小倉駅の雨の日と同じだった。
「輝美さん、いやメーテル。ほんとに、お疲れさまでした」
「ありがとうございます。メーテルも無事に任務完了です。終着駅は惑星メーテルです」
「やっぱりラストはネジにされるんですか?」
「そうですね、鉄朗さんにはネジとして私を大阪に留めてもらいましょうか」
僕たちは笑い合う。
この半年で僕たちはすっかり打ち解けていた。
笑いながら、僕は心のどこかで、この時間が終わるのが惜しいと思っていた。
日が暮れて、万博会場は最後のお別れの空気に包まれていた。
海風が吹き、大屋根リングの上は別れを惜しむ人々で溢れている。
そして空に、無数のドローンが舞い上がった。
「わあ……!」
輝美が思わず声を上げる。
ミャクミャクを象った光の粒が、夜空いっぱいに広がっていく。
青、赤、金、れはまるで地上の銀河鉄道のようだった。
僕は輝美の横顔を見つめた。
光に照らされた輝美の瞳は、子どものように輝いている。
「綺麗ですね、鉄朗さん」
「ええ……でも、僕、今はそれよりも綺麗なの見てます」
「え?」
「輝美さんの笑顔ですよ」
彼女は一瞬きょとんとした後、顔を赤らめてうつむいた。
言っておいてなんだか無茶苦茶恥ずかしいことを口走ってしまった。これも万博のテンションだからか。
「もう、そういうこと急に言うんだから……」
「すみません、言うタイミング、ずっと探してたんです」
花火のようにドローンが弾け、ミャクミャクが空中に浮かぶ。どこかで子供がありがとうミャクミャクと叫んでいた。
僕は深呼吸をして、まっすぐに言った。
「芽高輝美さん、このまま大阪に残ってくれませんか」
風の音も、観客の歓声も、遠のいた気がした。
輝美は驚いたように僕を見つめ、やがて、そっと笑った。
「いいですよ」
案外簡単に輝美は答える。
「ふえっ?」
即答に近い形に僕は戸惑う。これだから四十代独身は困る。
「私も、ここにいたいんです。銀河鉄道999の座席よりも、あなたといるほうがあったかいから」
僕は言葉を失い、次の瞬間、ただ笑った。
輝美は僕の手を握る。輝美の手は温かくて優しい。
頭の中で、銀河鉄道999のエンディングテーマが流れていた。タケカワユキヒデの歌声が脳内にリフレインする。
「じゃあ、決まりですね。新しい旅、ここから始めましょう鉄朗さん」
「はいメーテル。次の停車駅は僕たちの夢洲ですね」
僕たちは並んで空を見上げた。
ドローンの光が、ふたりの輪郭を優しく包む。
遠くで、誰かが「また会おうミャクミャク!!」と叫んでいた。
そして、時は流れる。
数年後の東京。
映画館のレッドカーペットの上に、赤いドレス姿の美しい女性が立っていた。
その名はアニメ監督神宮寺エメ。
手にしたトロフィーには、「日本アカデミー賞 監督賞」と刻まれている。
作品名は『EXPOに恋して』である。
マイクの前で、神宮寺エメは落ち着いた声で語る。
「この作品は、私にとってもう一つの銀河鉄道999です。大阪万博という夢の場所で、人が何かを信じて動き出す、その一瞬を描きたかった。そこは未来の希望に溢れていました。時間はけっして夢を裏切らない。時間もけっして夢を裏切らない」
フラッシュの光の中で、 神宮寺エメはふと遠くを見るように微笑んだ。
「あの頃、同じ空を見上げていた仲間がいました。もし今もどこかで旅を続けているなら……きっと笑っていると思います。ありがとう私の星野鉄郎。あなたと出会えて私はここに立つことができました。あなたは私の青春の幻影です。私を支えてくれた人たちすべてにありがとうと言いたいです」
場内に拍手が響く。その瞬間、神宮寺エメの背後のスクリーンに映し出されたのは万博の夜、ミャクミャクのドローンショーの光景であった。
一方その頃、大阪の小さなカフェ。
僕はアニメ雑誌を見ながら、行き付けのカフェ「千年女王」で輝美とコーヒーを楽しんでいた。
「見ました? 神宮寺エメさん、ついにアカデミー賞ですよ」
ぽっちゃりメーテルは豊満な胸をゆらして我がことのように喜んでいる。
「見たよ!! すごいねえ」
僕も我がことのように誇らしい気持ちになる。神宮寺エメとは万博後も共通の友人として付き合いがある。
「ほんとに夢、叶えちゃいましたねエメさん」
輝美は好物の甘いカフェオレをすする。
「ふふ、神宮寺エメ監督はニュータイプとして覚醒したんだよ」
僕の言葉を聞いた輝美はテーブル越しに笑う。
その笑顔は、あの日のドローンショーの光と同じだった。
「ねえ鉄朗さん。次の旅先、決めてますか?」
輝美は万博のあと旅行系インフルエンサーとして活躍している。僕はその専属カメラマンだ。
「いや、まだ。取材もぼちぼちでだしね」
僕の頭の中にはいくつかの候補がある。
「じゃあ……今度も二人でどこか行きましょうよ」
輝美は可愛い瞳を細める。この輝美の顔が好きなんだよな。
「どこに行く?」
「星の見えるところ。アンドロメダを見に行きましょう」
僕たちは顔を見合わせて笑う。
窓の外、街のネオンが瞬いている。
それはまるで、地上の銀河鉄道のようだった。
空から銀河鉄道999が煙を上げで降りてきそうだ。
「時間は夢を裏切らない。時間も夢を裏切らない」
あの万博パビリオンに刻まれていた言葉が、今も僕たちの心の中で、静かに光っていた。
そして新しい銀河鉄道の列車は、またゆっくりと走り出す。万感の思いを汽笛にのせて。
銀河鉄道999に恋して —完—
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