第35話 冬休みに“勉強会(仮)”を開くな
冬休みも真ん中あたりに差しかかった頃、グループラインがちょっとだけざわついた。テレビ特番とゲームと寝正月のあいだを、暇そうなメッセージが浮いている。
【春川】
『なあそろそろさ、宿題とか学年末テストとかいうワードを思い出さない?』
【misaki_s】
『そのワードは冬眠させておきたい』
【adachi】
『思い出したほうがいいワードです』
【春川】
『ほら出た。現実係』
【春川】
『というわけで“1-B冬の勉強会(仮)”を開催したいと思いまーす』
【俺】
『いきなり名前だけ立派だな』
【misaki_s】
『“(仮)”が付いてるからセーフ』
【adachi】
『何がセーフなのかはさておき、やるなら早めがいいと思う』
春川が、すかさず続ける。
【春川】
『場所どうする? ファミレスだと長居しづらいし、誰かんち集合だと、お菓子会で終わる未来が見える』
【misaki_s】
『今、“誰かんち=こたつ=ゲーム”が見えた』
【春川】
『そこでだ、うちの母、町内の子ども会の役員やっててね』
嫌な予感がしたところに、決定打が飛んでくる。
【春川】
『公民館の会議室、午後だけならタダで取れる』
【俺】
『出たな公民館』
【adachi】
『静かで机が広いのは正義だと思う』
【misaki_s】
『会議室で勉強会って、なんか大人っぽくない?』
【春川】
『ということで“1-B冬の勉強会(仮)in公民館”開催決定』
タイトルだけ、妙にしっかりしていく。
当日、指定された時間に公民館に行くと、貼り紙だらけの掲示板と、ちょっと古い自動ドアが出迎えてきた。地域の合唱団とか健康体操とかの案内のあいだに、小さく「中学生・高校生自習利用可」という紙が挟まっている。
受付のところで名簿に名前を書かされて、会議室へ向かう。ドアには「第2会議室」と書かれたプレートと、その下に手書きの紙。
1-B冬の勉強会(仮)
「……ほんとに書いたのかよ」
紙の端っこには、見覚えのある丸っこい字で「作:春川」と小さく入っていた。
中に入ると、四角い会議机がコの字型に組まれていて、白いホワイトボードが一枚。窓の外には、冬の薄い光。殺風景と言えば殺風景だけど、確かに勉強向きではある。
「お、真ん中係来た」
ホワイトボードの前でマーカーを振っていた春川が、こちらを見た。
「真ん中係じゃない」
「今日は“進行役(仮)”だから」
「どこ行っても何かしら係付けてくるな」
反対側の机では、安達がノートと問題集をきれいに並べている。筆箱の中身も、定規やマーカーがぴったり揃っていて、見てるだけで背筋が伸びそうだった。
「来たね」
「来た」
「一応、今日のテーマは“数学と英語”って決めてあるから」
「決めたの誰」
「多数決。私と春川くんで二票」
「問答無用じゃん」
その横で、美咲が大きめのトートバッグをどさっと机に置いた。中から教科書とノートと、明らかに容量オーバーな袋菓子が何種類も出てくる。
「はい、差し入れ」
「完全に“会議後の懇親会”の量じゃん」
「糖分は勉強の燃料」
「今、その名目で全部許されそうなのずるいな」
席を決める段になって、春川がさも当然のように提案した。
「じゃ、こんな感じで」
ホワイトボードに、四つの丸と線を描く。
「ここ真ん中が蓮で、左右に美咲と安達。俺は向かいから見てる係」
「真ん中に置く前提で話すのやめろ」
「だって、“教える人”は真ん中のほうが動きやすいでしょ」
安達が、少しだけ申し訳なさそうに言う。
「教えてほしい範囲、けっこう多いから」
「言うよね」
「現実見ないといけないから」
仕方なく、図の通りに座る。黒板側を向く席の真ん中に俺、その左右に美咲と安達、正面に春川。会議室なのに、変なゼミっぽい座り方になった。
「はいそれじゃあ、1-B冬の勉強会(仮)を開会します」
春川が、司会者顔で手を叩いた。
「本日の議題は、“進級できるかどうか”です」
「急に重くするな」
「進行役から一言」
「……よろしくお願いします」
自分でも驚くくらい普通のコメントが口から出て、なんか余計に恥ずかしくなった。
最初の一時間は、意外と真面目に進んだ。
安達は、分からないところに付箋を貼った問題集を出してくる。ページの端っこがカラフルに埋まっていて、その一枚一枚が「ここで詰まった」という証拠だ。
「ここ、公式を忘れがち」
「これは“こういう形に持っていく”って覚えたほうが早い」
しゃべりながら、ホワイトボードに簡単な図を書く。会議室のホワイトボードは、教室の黒板と違って妙に書きやすい。
「じゃあこのパターンの問題、自分で一問やってみて」
「うん」
安達のペン先が、迷いながらも丁寧に動いていく。途中で止まりそうになるところを、ちょっとだけヒントを挟みながら進める。
「こう?」
「そう。それで、最後にここを約分して」
「……できた」
「はい、LV上昇」
「“真ん中の人から見てLV上がった”って言われると、なんか変なゲーム感ある」
「ゲームみたいにやらないと、冬休みの勉強やってられないだろ」
横から美咲が覗き込んでくる。
「ねえねえ、こっちも“LV上昇”欲しい」
「お前さっきから問題よりお菓子の袋開けてる時間のほうが長いぞ」
「手は動かしてるもん。“袋を開ける”っていう行動で」
「それは筋トレだよな」
「数学の筋肉も鍛えたいです」
しぶしぶ美咲のノートを見る。例題のあとにある“練習問題”のところに、大きな丸と、謎のハートマークが一個描いてあった。
「なんでハート描いてるんだよ」
「“ここまで分かった♡”って印」
「自分への甘やかし方が独特だな」
「でも、その下から分かんなくなってるから、“ここから助けてください”って印でもある」
「つまり、そこからが本題だな」
問題を見てみると、途中までは合っている。一歩手前まではちゃんと来ているけど、最後の変形で道を踏み外していた。
「ここまでは合ってる。そのあと、こっちの形にしてから考える」
「へえー」
「“へえー”で終わらせるな。自分でもやれ」
「あい」
言葉だけは元気だが、ペン先はちょっと怪しい。それでも、一問ずつ潰しているうちに、美咲のノートにも少しずつまともな式が増えていった。
英語は、単語の穴を埋めながら文法の確認をする形になった。
「これ、“過去完了”と“過去完了進行形”の違いが分かんなくなる」
「“どれくらい続いてたか”を言いたいかどうかの話」
「日本語で言われると、ちょっと分かる」
「“ずっと宿題やってた”と“宿題終わらせた”は違うだろ」
「“ずっとやってた”のほうは、終わってない未来が見える」
「そういう意味でも過去完了進行形だな」
「受験英語かよ」
春川が笑いながら、自分のワークブックにチェックを入れる。
「やっぱ真ん中に教師役いるの、便利だな」
「便利って言うな」
「でも、“真ん中先生”としては、どうなの」
美咲が肘をついてこっちを見る。
「こうやって教える側になるの、楽しい?」
少し考えてから、正直に答える。
「自分でやるだけよりは、ちゃんと理解しないといけないから、勉強にはなる」
「じゃあ“真ん中先生LV.1.7”くらい?」
「細かい数字付けてくるな」
「私は“生徒LV.0.8”からスタートだから、ちょうどいいかな」
「せめて1に乗せろ」
「今日で乗せる予定」
安達が、真面目な顔で頷いた。
「私も、数学と英語は“1に乗せる”目標で」
「それなりに真剣に言うな」
二時間くらいが経った頃、さすがに集中力が切れかけてきた。春川が「休憩」と宣言して、ペットボトルのお茶と机に散らばったお菓子を真ん中に集める。
「はい、ここから“懇親会(仮)”ターン」
「名前に(仮)付けとけば何でも許されると思ってるだろ」
「それは真ん中係にも言えるんじゃないの」
「俺は仮じゃねえよ。勝手に付けられてるだけだ」
「そこが面白いんじゃん」
美咲が、チョコの袋を破りながら話を振ってくる。
「そういえばさ。二年になったら、文理選択あるじゃん」
「急に将来の話」
「どうするのかなって」
「まだちゃんとは決めてないけど、たぶん理系寄り」
そう答えると、安達が少しだけ首をかしげた。
「経済とか会計とか、文系っぽい世界も向いてると思うけど」
「数字は好きなんだけど、理科も嫌いじゃないんだよな」
「“真ん中っぽい”」
春川が笑う。
「文系と理系の真ん中」
「そこ真ん中取れないからな。どっちか選べって言われるやつだからな」
「私は文系寄りかなあ」
美咲が、チョコをかじりながら言う。
「国語と英語のほうがまだマシだし。“真ん中の近くにいられればそれでいい”っていう、ざっくりした将来設計」
「将来設計がこわい」
「安達は」
「私は、たぶん文系。でも数学は捨てないでおきたい」
安達は、お茶を一口飲んでから続ける。
「数字が読めないと、どの世界行っても困るから」
「“真ん中先生”としては、いろんなところで調整役できそうだよね」
美咲が、当たり前みたいな顔で言う。
「クラスの真ん中とか、グループの真ん中とか、会議の真ん中とか」
「そのポジション、一生続ける前提で話すな」
「二年になっても、三年になっても」
安達が、少しだけ真面目な目でこちらを見る。
「“真ん中LV”は上がっていくんだと思う」
「上がってほしいかどうかは別としてな」
そう言いながらも、どこかで「そうなるんだろうな」と思っている自分がいるのも、否定できなかった。
休憩を終えて、もう一回だけ集中タイムに入る。最後の三十分は、それぞれが自分のペースで問題を解き、分からないところだけ質問するスタイルになった。
ホワイトボードの上には、数学の式と英語の例文と、誰かがふざけて書いた「真ん中先生出勤中」という一行。消そうかと思ったけど、そのままにしておいた。
「よし、今日はこのへんかな」
春川が時計を見て、終了を宣言する。
「“1-B冬の勉強会(仮)”閉会」
「“(仮)”のまま終わらせるなよ」
「いや、“勉強会だったかどうか”の判定は、テスト返ってきてからでしょ」
それは確かにそうかもしれない。
帰り支度をしながら、机の上をふと見る。散らかったプリント、半分開いたお菓子の袋、キャップの外れたペン。それなりに“戦場跡”っぽい。
「はい最後に一枚」
美咲がスマホを取り出して、ホワイトボードの前に立つ。
「“真ん中先生と、その周辺(仮)”の記念撮影」
「そのタイトルはやめろ」
「撮るよー。真ん中もうちょい前」
言われるままにホワイトボードの前に立つと、左右からいつものように美咲と安達が配置についた。
「なんで自然にその位置なんだよ」
「“真ん中係”の定位置だから」
「“係”じゃない」
「はい、笑ってー」
シャッター音が、小さな会議室に響く。画面の中には、ホワイトボードの「真ん中先生出勤中」の文字と、その前に立つ三人と、後ろでピースしてる春川が写っていた。
思ったよりも、ちゃんと“勉強会の記録”っぽい写真になっている。
「アルバム入れとくね。“1-Bの冬”フォルダに」
美咲がそう言って、画像をクラスの共有アルバムに上げた。
(レイ先輩あたりが、また何かに使うんだろうな)
そう思いながら、会議室の電気を最後に消す。
家に帰ってから、机のノートを開く。例の「真ん中LV」ページの端っこに、おみくじの紙をテープで貼った。
・冬休み勉強会(仮)
数学と英語を“真ん中先生”として教える
左右の人たちのLV、ちょっとだけ上がった気がする
その下に、小さく書き足す。
真ん中LV.1.5 → 1.7
2に上げるには、まだ何か足りない気がする。でも、今日みたいに「真ん中の席」が用意されるのが当たり前になってきているのを、自分でも少しだけ認めてしまっているあたり、もう半分くらいは覚悟ができているのかもしれない。
スマホを見ると、美咲からのメッセージが一つ。
【misaki_s】
『今日ありがとう、真ん中先生、“生徒LV.0.8→1.0”いたよ』
『誰だよ』
『ここ♡』
ハートのスタンプと一緒に送られてくる。
『テストでそれ証明しろ』
返すと、「はい」というスタンプがすぐに飛んできた。
冬休みの真ん中あたりで、自分の位置も、少しずつ真ん中に固定されていく。
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