第30話 通知表に“真ん中”って書くな

クラスのゆるクリスマス会から、数日。

二学期の終業式の日。


五時間目の終わりのチャイムと同時に、教室の空気が「通知表タイム」の匂いを帯び始めた。


田所先生が、透明ファイルの束を教卓に置く。


「はい、じゃあお待ちかね〜の通知表です」

「お待ちかねなの先生だけですよ」と春川。

「先生も別にそんなに待ってないよ。……じゃ、出席番号順に配ります」


「あ」行から順番に名前が呼ばれていく。

前のほうの席で、


「安達〜」

「はい」


という、ごく普通のやり取りが、もうとっくに終わっていた。安達は、通知表を静かに机に置いて、まだ開かずに指で端っこをなぞっている。


(あいつは、こういうの家でじっくり読むタイプだな……)


呼ばれる名前がだんだん後ろのほうに寄っていき、教卓のファイルの束も薄くなっていく。


出席番号の終盤、“佐藤ゾーン”が近づいてきた。


「佐藤〜……」


名簿には、佐藤が二人並んでいる。


「佐藤(蓮)くん。」


呼び方が、ちょっと面白い。


「はい」


前に出て、ファイルを受け取る。

続いて——


「佐藤(美咲)さん。」

「は〜〜い♡」


美咲がわざと元気よく返事する。背後で「夫婦で連番かよ」と誰かがぼそっと言った。


(出席番号だけ見ると、たしかに“佐藤夫婦ゾーン”だよな……)



配り終わって、「内容は家でしっかり見てね〜」のテンプレコメントが終わったあと。


机の上に自分の通知表を出して、周りには見えない角度でそっと開く。


成績の欄。中間と期末の平均。評定。悪くもなく、ものすごく良くもなく。とりあえず安心ライン。


ページをめくる。

一番最後、「担任からの所見」の欄。


そこに書いてあったのは——


『クラス内で真ん中の立場にいることが多く、周囲の様子をよく見て動いている。文化祭では喫茶企画のフロントとして、名前(仮)に流されず段取りを優先する姿勢が印象的でした。今後も、中心で支える力を大切にしてほしい。』


「…………」


(……“真ん中の立場”って書いたな、先生……?)


そっと通知表を閉じる。右隣から、圧みたいな視線。


「ねえねえねえねえねえ〜〜」

「なんだよ」

「“真ん中”って書かれてたでしょ〜〜?♡」

「見てないのになんで分かるんだよ」

「だって、“真ん中力いいですね〜”って顔してたもん、田所先生♡」


(その顔、どの顔だよ……)


前の席では、安達が自分の通知表を開いていた。

ちょっと身を乗り出して覗き込むと、所見欄に、


『数字に強く、会計や集計など“見える形にする仕事”を、丁寧にこなしていました。周囲の不安を減らす言葉選びも良かったです。』


と書いてあった。

「どう?」と安達が振り返る。


「“数字に強くて会計が〜”って書いてあった」

「うん。蓮は?」

「“真ん中の立場”って書いてあった」

「……あー」


安達は、口元だけ笑う。


「それ、ほぼ“真ん中力・公式認定”だね。」

「やめろ、そんな資格みたいに言うな」

「でも、“真ん中力”って単語じゃなくて、“真ん中の立場”って日本語にしてあるの、先生なりのギリギリの線なんだと思う」


(たしかに、“真ん中力”は避けてくれてるな……)


右から、美咲が椅子ごとじりじり寄ってくる。


「私のも聞いて〜♡」

「どうだったんだよ」

「*“明るく周囲の雰囲気を和ませ、文化祭ではフロントとして笑顔でお客さんを迎えていました”だって〜♡」


「まあ、そのままだな」


「“場を盛り上げる力を、今後も良い方向に使っていってほしいです”って書いてある〜♡」


「“良い方向に”って付いてるとこに、全部のニュアンス乗ってるだろそれ」

「“悪ノリ方向にも行きがち”ってことだね」と安達。

「みんなで解読しないでもらえる?」



放課後。通知表はカバンに突っ込んで、家に持って帰る。


玄関で「ただいま」と言うと、台所から「おかえりー」という声。

母さんはエプロン姿で、夕飯の支度中だった。


「どうだった?」

「まあまあ」


カバンからファイルを取り出して渡すと、手を拭いてから開いていく。


まず成績のページをざっと見て、「うん」と一回うなずく。


「このくらいなら、特に心配なさそうね。英語、もうちょっと頑張れそうだけど」

「はい、それは自覚あります」


ページが一番後ろまでめくられる。所見欄で、母さんの目が止まった。


『クラス内で真ん中の立場にいることが多く——』


「……真ん中、ねえ」

「今の“ねえ”の言い方やめて」


母さんは所見を最後まで読んでから、クスっと笑った。


「このあいだの三者面談と、ほぼ同じこと書いてあるわね」

「“真ん中力”のやつ?」

「そう。あの先生ほんとに、“真ん中力”って言ってたから」

「コメント欄に“真ん中力”って直接書かれなかっただけマシだと思ってる」


母さんは、指で一行をなぞる。


『名前(仮)に流されず段取りを優先する姿勢が印象的でした。』


「これ、“佐藤夫婦カフェ(仮)”でしょ?」

「だろうな……」

「“名字で遊びつつ、ちゃんと現実見てた”っていう、すっごい優しい翻訳がここに詰まってる気がする」

「やめて、そう読まれると恥ずかしいから」


母さんはふっと表情を和らげて、所見から顔を上げた。


「でも、ちょっと嬉しいな」

「何が」

「通知表みたいな“公式の日本語”の中に、あの文化祭のことが一行分、ちゃんと残ってるの」

「……」

「“真ん中の立場”って言い方なら、美咲ちゃんの家に見られても困らない文言だしね」

「なんでそこで向こうの家のことまで考えるんだよ」

「だって、向こうも今日、“佐藤(母)”として同じ紙見てるでしょ。あっちの所見もきっと、“明るく周囲を〜”みたいな感じだろうし」


それは、簡単に想像がついた。



夜。自分の部屋で、机の上に通知表を開く。


『クラス内で真ん中の立場にいることが多く——』


“真ん中”って、別にかっこいい肩書きじゃない。


「会長」とか「エース」とかみたいに、分かりやすいものでもない。


でも——


安達の、


「端っこに押し出されてない感じがして、助かってる」


という言葉とか。美咲の、


「どっちもちゃんと見てる感じがするから、好き」


という、さらっとした一言が、頭のどこかでリンクする。


(……通知表の一行にしては、もったいない評価かもしれないな)


ノートを一冊取り出して、所見欄をそのまま書き写す。


「なにやってんだ俺」と思いながら、“真ん中の立場”のところにだけ、ちいさく (LV.1) と書き足した。


(この先もイベントが増えるなら——、LV.2くらいまでは上がる、のかね)



翌日。終業式が終わったあとの、少し浮ついた教室。美咲が、自分の通知表を持ってニコニコしていた。


「ねえねえ聞いて?」

「何」


「お母さんがね、“明るく周囲を〜”って所見読んだあとに、“……でも家では一番うるさい”って言ってた♡」

「正解じゃん」

「“場を盛り上げる力は、もうちょっと静かな方向にも使えないのかしらね”だって〜」

「通知表より辛口コメント出してくるの草」と春川。


前の席から安達が振り向く。


「私は、“数字に強いのはいいけど、もう少し“体力配分”も考えなさいって言われた」


「会計とテストで燃え尽きるタイプだからな」


「“真ん中の佐藤くんがこけたとき、支えられるぐらいの体力は残しときなさい”って」

「なんでそこで俺が出てくるんだよ」

「お父さん、文化祭の入口のことけっこう気に入ってたから」


(どこ見てんだよ安達父……)


美咲が、俺の顔を覗き込んで笑う。


「ねえ、“真ん中LV.1”」

「なんで知ってんだよお前」

「顔が、そういう顔してる〜♡」

「“真ん中LV.1”って何?」と安達。

「知らん。でもなんか、“レベル上げゲーみたいに高校三年間使う”っていうのはアリな気がする」


「ゲームタイトルみたいだね。『真ん中LV.1から始める高校生活』」と春川。


「やめろ、背表紙にそれ書かれるのは嫌だ」


でも——、通知表の最後の一行が、こうやって三人で笑えるネタになってるのは、悪くないと思った。


(真ん中LV.1。この冬休み、何回ぐらい使う場面があるんだろうな)


——そう思ったとき、ふと、スマホのカレンダーの「25日:どこかで集まる(仮)」が頭をよぎった。


(とりあえず、次のイベントは“クリスマス三人編”か)


教室の窓の外には、商店街のイルミネーションが、昼間でもうっすら見えていた。

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