第15話 迷宮



転校初日──。


「雪見、なんかご近所でゲートが見つかったらしいよ」


教室の机で、そんな風に言いながら笑った真梨枝。


そんなに昔の話ではないのに、なんだかとても懐かしく感じた。





雪見は黄色いテープをくぐり抜け、そのまま山道を走り始めると、あっという間に街の灯りも月明かりも木々に遮られる。

昼間は気持ちの良い散歩道も、夜だと何だか不気味に見えた。


「城井さん! 待って!」


後ろから足音と声がしたので、雪見は駆け上る足を一瞬止めて微かに振り返る。


「ごめん、立ち入り禁止だしそこで待ってて!」


「えぇ!?」


雪見はスマホのライトを握りしめ、再び山道を駆け抜ける。

走るたびに砂利が跳ね、滑りそうになりながら上を目指した。


確かニュースでは、山頂のお堂の近くでゲートが見つかったはずだ。


風が木々をザワザワと揺らし、時折強い風が吹いては雪見の髪を揺らす。


「はぁ、はぁ……真梨枝、無事でいて……!」


眠っていなくて疲れているせいだろうか。

なぜか雪見には、真梨枝がゲートに入る気がしてならなかった。


入ると死んでしまうといわれているそのゲートに──。


──ジャッ!……ジャッ!


「どっち? よく見えない……!」


暗がりでどうにか立て看板を見る。


(ええと、ここは……右)


迷いそうになりながらもどうにか進んでいくと、森が開ける。目的の場所に着いたようだ。



「これが……ゲート?」



雪見は初めてそれを見た。


お堂そのものを飲み込んだであろう水球。

水というには何やらブラックホールのようで、吸い込まれそうな穴にも見える。

ふよふよと揺れながら、月明かりに照らされ透明に光る。


「……」


──ザアア



風が木々を揺らし、葉が擦れる音がする。街の喧騒は遠くて、この場はとても静かだった。


雪見は何だか、世界に自分しかいないような気持ちになって両腕を抱える。



軽トラックほどはありそうな水球──ゲートはそんな雪見を誘うように、ゆらりゆらりと揺れている。



(何だか……吸い込まれそう)



思わず手を伸ばすと──


「ダメェ!!」


脇の茂みから飛び出してきた真梨枝が、その手にしがみついた。


「真梨枝!?」


「危ない! 危ないよ!!」


「え、あ、ごめん?」


これまでどこにいたのか、ボサボサになった髪と土の付いた頬。

涙目の真梨枝はそれでも雪見の記憶と変わらずそこにいた。


「真梨枝……」


見失っていた親友の姿に雪見は思わず手を伸ばしたが、真梨枝は飛び退くようにパッと雪見から離れる。


「──なんで!」


「え?」


風が二人の間を通っていく。

真梨枝は俯き、震えながらも鋭く声を上げた。


「なんで来たの!?」


真梨枝の怒るような、泣くような叫びに雪見は肩をビクリと震わせる。


「真梨枝……」


「私は……偽物なんだよ!?」


それはもはや悲鳴のようだった。


「……」


月明かりの下、ボロボロと涙を零しながら真梨枝は雪見の服をギュッと掴んだ。


「それでも……友達だよ」


そんな真梨枝を真っ直ぐ見つめて、雪見ははっきりと言葉を紡ぐ。


「私が会いたかったのは、あなただからだよ」


「っ」


真梨枝は顔を上げ、躊躇うように何度か口を開きかけたあと、ギュッと目を閉じた。


「ダメだよ。あなたは、私を許しちゃダメ」


「どうして……」


「……あなたはここが、似合うもん……」


震え声だった。困惑と恐怖と、絶望が混ざった声。


「……どういう……」


雪見の言葉を遮るように、真梨枝は声を上げる。


「──私は、あなたなんて……」


嗚咽をもらすように、途切れ途切れに真梨枝は言葉を紡いでいく。


「大嫌い……だから。もう、帰って」


「真梨枝……」


雪見には、月とゲートを背後に俯いた真梨枝の表情は見えない。

でもきっと──どうしようもないくらいに泣いている。そんな気がした。


だから大きく息を吸って、もう一度真っ直ぐに彼女を見つめる。


「ごめん、帰らないよ。あなたが例え誰であっても、私はあなたの友達だから」


「っ!」


真梨枝は大きく息を飲み、躊躇うように顔を上げる。

そしてギュッと目を閉じ、口を開く。


「私、私は……」


その時ザアッと突風が吹いた。

咄嗟に髪を抑えて目を閉じる。


「あ……」


小さな声に目を開けると、風に煽られて一歩下がった真梨枝がゲートに吸い込まれるように落ちていくところだった。


「真梨枝!!」


咄嗟に手を伸ばし合い、掴む。


──が。


「きゃあ!!」


真梨枝はグングンと吸い込まれ、雪見も縺れるように引っ張られる。


世界がバラバラと音を立てるように、景色が変化していく。


「城井さん!!」


「っ!」


邪魔しないようにどこかで隠れて待っていたのか、凌が必死に手を伸ばす。


音が止まって、目の前の風景も固まったように。


片方の手を真梨枝に。もう片方の手を凌に伸ばしたが──。


「有瀬く──」


「──」


指先が微かにかすって、お互いの視線が絡む。次の瞬間──雪見はゲートに吸い込まれた。




***




誰かは言った。


『ゲートは夢の世界の入口なんだ』


と。




意識を失った感覚はなかったが、ハッと気づくとそこは知らない場所だった。


大理石のような硬く艶やかな床に、雪見は座り込んでいた。


空気はどこか冷たく、広い空間とつきぬけた空に、呆然とする。


(お城……? いや……)


一瞬ダンスホールのような場所にいるのかと錯覚したが、見上げれば天井はなく、まるで水面とも思えるような淡い光が空に揺らめいている。


「ここは……?」


周囲は神殿のような大きな柱とアーチ型の入口。その向こうにもホールのような広い場所が見える。

あちこちの壁からは水が流れ落ちる設計になっているようで、雪見がいるホールと壁の隙間の水路のような細い溝へと流れ込んでいた。


「──真梨枝!?」


ハッとして周囲を見回しても誰もいない。

雪見の声だけがホールに反響していく。


直前まで確かに繋いでいた手をじっと見て、雪見は立ち上がろうと床に手をついた。


(……金髪だ)


床に映り込む自分の姿は、プラチナブロンドとでも言うべきか。

そこに映っていたのは、雪見とはまるで別人のような少女の姿だった。


アーモンド型の大きな目とスっと通った鼻筋。紫の目。

猫のようにややつり目なところを含めて美少女といえるだろうか。


それは夢の世界での雪見の姿──トワの姿だった。


夢の世界の姿は現実に似る傾向があるという。けれどもトワのその姿は、雪見とは似ても似つかない。


(でもなんかしっくりくる……?)


雪見は自分の姿から目を離し、立ち上がって隣りのホールへと足を進めた。




隣りのホールは建物内のようだったが、天井はとても高く、その奥には階段が続いていた。


(高いところから見れば、全貌がわかるかも)


真梨枝も探せるかもしれない。

雪見の姿が夢の世界のものである以上、おそらく真梨枝もそうだろうと思われたが、今はそもそも誰もいない。


──カツーン……カツーン……


自分の足音だけが高く響く。

階段を登った先も、先程とよく似たホールとなっていた。まるで迷路だ。


ホールから外を見ることができる縦に長い窓のようなものはあったので、階下を覗くことはできた。


「……ん?」


よく見れば、見える範囲だけで数箇所、水が流れる場所に黒い霞のようなものが蠢いている。


「真梨枝……なわけないか」


(でも、もしここが夢の世界なら──)


おかしなことが起きても、不思議はないのかもしれない。


「……」


雪見は考え直し、そこへ向かう事にした。





何もいない、誰もいない。

そんな空間ではあったが、雪見は不思議と怖いとは思わなかった。


少しくすんだ白い建物、土も見えない硬質な床。流れ落ちる水の音すら聞こえない──静かな空間。


「うーん」


恐怖はない。

嫌な気持ちもない。


ただ問題は、行きたい場所に辿り着けない。これに尽きる。


似たような場所が多いこと、上から行かなければならなかったり、上っては降りてを繰り返すなど構造が複雑すぎた。


「上からは見えるのにな……」


頭の中でマップを書いても、すぐにぐちゃぐちゃになる。予測がつかない道ばかりだ。

さっき見えたはずの通路に、どう回っても辿り着けない。


階段を登って降りて、ホールをくぐって、また戻ってを繰り返し──雪見は唸った。


「わかんない……」


疲れるという感覚はないのだが、雪見は壁際に腰を下ろした。


ここはゲートの中なのだろうか。

『ゲートに入れば生きて帰れない』──そう言われている。


(入ったら死ぬとか)


そんな噂もあったはずだ。


夢の世界への入口説が正しかったのか、たまたま生き残っただけなのか判断はつかないが、それでも今、雪見は生き残っている。


(真梨枝も……無事だよね?)


この空間に恐怖はなかったが、唯一それだけは怖いと思う。

雪見はギュッと膝を抱えた。


凌はどうしているだろうか。

最後に雪見に手を伸ばした彼の、珍しく全く余裕のない様子が目に焼き付いている。


(心配してるだろうな……)


雪見にも理由はわからなかったが、彼のことはなぜかずっと避けてきた。


一緒にいると、なぜか苦しくなったから。


聡い彼はそれに気づいている節があって、必要最低限に雪見に話しかけてくるだけだった。


(良い人なのに)


それは先程の一件で痛いほどわかる。


「今度ちゃんと謝ろ……」


ふぅ、と一息ついて、雪見は再び立ち上がった。






「え、これ……!?」


やっと、黒い影のところに辿り着いたのだが──。


影は人型の何かだった。

水から這い出るように、ぐにぐにと動いては形をなくし、再び誰かの形をとっては這い出そうとする。


(気持ち悪っ!)


一歩後退りするものの、もしこれが真梨枝だったらという考えが頭をよぎり、踏みとどまる。


「ま、まりえ……?」


恐る恐る声をかけると──。


「ぐぎゅああ」


「う、わ!?」


言葉にならない音を発して、影はいきなり倍以上の大きさに膨らんだ。

その体からはたくさんの手や頭の影がのびる。


思わず身を翻し、改めてそれを見つめる。


「キュオア」


その影は敵意を持つかのように雪見に手を伸ばす。


「……違う」


真梨枝が攻撃なんてするはずない。


(これは──真梨枝じゃない!)


咄嗟に飛び退くと、雪見がいた場所にベチョリと影の手が落ちてきていた。


「ひっ!!」


小さく悲鳴を上げ、踵を返して走り出す。


するとまるで同調するかのように、壁際の水路のような場所から黒い影がウゾウゾと湧き出し、膨らみ、雪見にのしかかってきた。


「──!!」


建物の方へ進もうとしても、そちらにも影がいる。


「……っ」


雪見は死を覚悟し、ギュッと目を閉じた。



──ヒュンッ!!



何かが風を切って雪見のそばを飛んでいく。


待っても訪れない痛みに、自分も怪物の一部になったのかもしれないと恐怖が沸き上がった。


パキパキ……


何かが弾けるような、高い音がして恐る恐る目を開ける。



「え!?」



周囲の影の怪物は凍りついていた。──その全てが、氷の結晶に閉じ込められている。


「な、なに!?」


建物の水路ごと全てが氷に包まれ、先程までとはまた違った幻想的な風景を作り出していた。


突然下がった気温にキョロキョロと周囲を見回しても、周り中の影が凍りつきピクリとも動かない。

そんな壁のひとつに、杖が深々と突き刺さっているのを見つける。


(あの杖は!)


雪見が杖に、一歩踏み出そうとした時。


「貴女は……」


掠れたような、疲れきったような声がかかる。


慌てて背後を見れば、先程でてきた建物のアーチの上に、一人の男性が立っていた。

杖を投げたらしい片手を前に出し、肩で息をしている。


その漆黒のタキシードに、そして黒いカラスの面には覚えがある。


「どうして、こんなに厄介な場所に迷い込んでしまうんでしょうね……」


息を整えながら、彼の口元は笑みの形を作る。声から察するに苦笑しているようだ。


「レイブン……」


いつかの夢の世界で雪見を助けてくれた、夢の監視員の姿がそこにはあった──。

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