第13話 終わりの始まり



「ヒーローは遅れてやってくる!ってね! 大丈夫かい? 麗奈」


「瑠花……」


まるでそこだけ時が止まったような一幕。麗奈が目を潤ませる。


瑠花はどこかカッコつけたような表情で、麗奈に手を差し伸べた。


その手をそっと掴む麗奈は──そのまま引っ張った。


「うひょわ!?」


麗奈の前に膝をつく形になった瑠花に、麗奈は般若の形相を向けた。


「るぅかぁあ?」


「──ひっ……ひゃい」


ヒーローはタジタジだ。


「何してんのよ!? どれだけ周りに迷惑かけて!? どれだけ苦労かけて!?」


麗奈は片手を腰に当て、もう片方の手で瑠花にビシッと指を突きつけた。


「どれっだけ!!」


「はいいぃ!!」


「……心配したと思ってるのよぉ」


雪見が回り込んで合流した時には、麗奈の声は泣き声に変わっていた。


「あ、泣かせた」


「ぐはっ! ボクの瀕死のメンタルに追撃を……!!」


苦しげに胸を抑えた瑠花は、チラリと麗奈を見て気まずそうに頬をかく。


その時──。


(え?)


背筋に冷たいものが落ちていく。


(なんで……?)


それは今一番見たくないもの。

思わず、呼吸を忘れて凝視した。


黒ずんで、濁って、まるで“腐った何か”のような色をした──それは本来、絶望の象徴。

ついこの間まで瑠花になかったはずのもの。


「……」


(絶望の……ツタ!!)


先程までは、吹き抜けを挟んで遠目だったから気づかなかった。


(いつから!?)


雪見は思い出そうとしたが、ここ最近瑠花に会っていない。彼女はずっと調査で不在だったのだから。


瑠花の声やだけではわからない。これは本人とは無関係に発生してしまうのだ──まるで世界が塗り変わるように。


(この事件、もしかして私が考えていたよりマズイものなんじゃ──!?)



「ご……」



瑠花が口を開こうとしたその背後に──。



「大塚さん!! 後ろ!!」


「!?」


ゆらりと起き上がった赤いシャツ。彼はそのままポケットから何かを取りだした。


「虹……石?」


そしてそのままそれをゴクリと飲み込み、その濁った赤い目で三人を見た。


ゾッとする沈黙が流れる。

得体の知れない何かが、目の前にいるような感覚。


「……な、何?」


──変化はいきなり現れた。


角が生えたとかそんなわけではないが、血走ったという以上に赤黒く濁った目。


「っ」


雪見はゾッとした。

瑠花と麗奈も、青ざめた顔で赤シャツから目を離せずにいる。


そして、赤シャツはゆらりと揺れて三人をギョロリとその目で見た。


「てめぇらぁあぁあ!! ぶっっっ殺してやるぁぁああ!!」


「!?」


それはまるで、咆哮のようだった。

鼓膜が破れそうな怒声に、三人とも耳を抑える。


「なに……なんなのよぉ……」


麗奈はボロボロ泣き出し、瑠花はそれを庇うように背中に隠して後退る。


あまりの恐怖に吐き気がこみ上げるが、震える足を抑えて雪見はその場に立ち続けた。


(何ができるのかわからないけど……)


雪見の後方には、瑠花が入ってきた非常口がある。


正直、逃げたい──でも。


少し青ざめた瑠花がチラリと雪見を見たので、こくりと頷く。


雪見が麗奈の元へ、瑠花が男に向かって走るのと、金髪赤シャツが笑いだしたのが同時だった。


「ぶひゃはははは!! ふざけやがってよぉ!! クソガキがあああ!!」


声とともに、触れてもいないのにガシャガシャと商品ワゴンが揺れる。


(ウソ!? これが──夢の世界の能力!?)


しかしそれをものともせずに──瑠花は男に突進した。


「っ」


雪見は二人から見えないように、後ろ手で異能の花を咲かせる。


まるで見えない糸に引っ張られるように、ワゴンは宙を舞い、瑠花に飛んでいく。


「っ!!」


──ガシャンガシャン!!


瑠花は左右に飛び退き、ワゴンはけたたましい音と共に壁に当たる。


「こんなっ! 馬鹿みたいなっ!!」


叫びながら避けまくる。

雪見は手を出すこともできず、瑠花の動きに目を見張る。


「死ね死ね死ねええええ!!」


「面白現象にっ!!!」


瑠花の叫びに雪見はズルっと力が抜けたが、おかげで恐怖が和らぎ花が完成する。

頭を抱えて震える麗奈の口元に持っていくと、花は光の粉になって口に吸い込まれた。


「麗奈さん、非常口! 逃げるよ!!」


即座に声をかけると、麗奈は息を飲んで顔を上げる。その目には意志の色が見えた。


「雪見ちゃ……!」


麗奈を立たせて非常口に向かわせる。


(上手くいってよかった)


異能の花は、精神強化にも使えるのだ。


「負けるかーーーー!!」


そのタイミングで瑠花が叫び、男に体当する。そして──投げ技を繰り出した。


「んおおおおお!?」


まさか投げられるとは思っていなかったらしい男は、ポーンと投げ飛ばされ吹き抜けから落下する。



──ガシャガシャガシャーーン!!



慌てて下を見れば、ワゴンにぶつかったらしい男が呻いていた。が──。


それを合図に、雪見達の頭上に上がっていたワゴンもガシャンガシャン落ちてくる。


「うおあ!?」


雪見は通路端に、麗奈は非常口側にいたのでほぼ巻き込まれなかったが、瑠花は落ちてきたワゴンの下敷きとなった。


「る、瑠花!!」


雪見と麗奈は駆け寄ってワゴンを退かす。


それなりに重量があるワゴンだ。商品のお菓子もぶちまけられている。どうにか掘り起こすと、下から打ち身と切り傷に塗れた瑠花が顔を出した。


「うえええ、いっつーーーー!!」


小学生のような小柄な彼女はボロボロだった。


「う、うぅ……」


それを見た麗奈が再び泣き出し、瑠花に抱きついた。


(あ、なくなってる……)


いつの間に消えたのか。

瑠花に絡みついたツタも、綺麗さっぱり消え去っていた。


「はあぁぁ……」


二人のそばに、雪見も安堵でへたりこむ。




ウ~ウ~

ピーポーピーポー




ようやく通報されたのか、パトカーと救急車のサイレンの音が聞こえてきた。


「……」


雪見がチラリと吹き抜けの下を見れば、赤シャツはさらに上からのワゴンに挟まれてピクリともしなかった。


雪見は天井を見上げ、深い息をついて目を閉じた──。




***




本人は大丈夫だと言い張ったが、瑠花は救急車に載せられた。


「いらんのにー、歩いて行けるのにー。……いや、救急車に乗る良い機会か?」


「何言ってんのよ……あんな目にあったんだから、ちゃんと手当て受けなさいよ。あとついでに検査してもらいなさい。頭とか」


錯乱していた麗奈から、明るい軽口が出てきたのは良いことである。


瑠花はガーンとか言っていたが、雪見と目が合うと手招きしてきた。


「?」


近寄ると、瑠花は雪見にそっと耳打ちする。


「実は途中で桜木さんと合流できたから、荷物はそっちに預けたんだ。今聞いたとこによれば、ちゃんと警察署に届いたみたい。大変だったと思うから、あとのこと頼むね」


(なるほど……)


雪見はやっと、瑠花がなぜ商会ホールに来れたのかを理解した。

真梨枝と立場を入れ替えたのだ。


梶尾先生が車を出していたこともあり、瑠花はこちらの方が大変だと考えて交代したのだろう。


本人がそのまま撹乱要員になったわけだ。


(帰ったら褒めてあげないと)


真梨枝はやる時はやる。きっと必死に頑張ったはずだと雪見は思った。



時刻は夕暮れも終わり頃──。

サイレンの音を聞きながら、長い長い一日が終わる。



こうして、夢世界同好会と警察を巻き込んだ第三の事件は幕を閉じたのだった。




──しかし。


その夜、真梨枝は帰ってこなかった。






親友を待ち続けて一睡もできないまま朝日が昇り、雪見は絶望的な気分でそれを見つめた。


「……」


どこに行くにも雪見にくっついていた子だ。甘えん坊で、一人が苦手だった。なのに。


(朝という時間がこんなに苦痛だなんて……)


あちこちに連絡したが、誰も真梨枝の行方を知らなかった。


梶尾先生も、荷物と真梨枝を警察署に届けたあと、事務手続きをしていて真梨枝の行方を知らなかった。

先生には、『変装の衣装のままだと大変だし、一度学校に戻ります』と言っていたらしい。


「真梨枝、なんで……」


学校、コンピューター室では司令部として彼方と朋華がいたはずだったが、彼女らも真梨枝を見ていない。


戻るかもしれない、と一晩中待ち続けたが家にも戻らなかった。


不安が高まる。

最後の望みをかけて、雪見は高校に登校することにした。


「雪見ちゃん……」


麗奈が声をかけてくれるが、雪見はチラリと見て視線を下げた。


「警察には言ったのか?」


翔の言葉に、雪見は力無く首を振った。

何をしていいのかわからなかったからだ。


「放課後探そう。昨日の場所も含めて。夢世界同好会の連中にも声掛けとくわ」


「そうね。警察署近辺も見た方がいいわよね」


「こういう時こそ大塚がいればなぁ……」


瑠花はあのまま、検査入院となったらしい。

雪見には詳細を聞く気力もなかったので、授業もそこそこに早退して街を歩いた。



真梨枝の待機場所、路地裏、警察署の周辺も。


人にも聞いたが誰も彼女のことを覚えていなかった。


「頭……痛い……」


眠っていないせいもあるだろうか。


(早く、探さないと...)


泣いているかもしれない。


ふらふらと歩いて、雪見は結局学校に戻ることにした。

もしかしたら顔を出しているかもしれないし、誰か何かわかる人がいるかもしれない。


晴れ渡った空の青さも、何だか霞んで見えるようだった。





高校に戻れば、すでに授業は終わっていた。正門は閉じていたので校舎裏から入る。


「みゃお」


ミケ蔵がベンチで体を舐めていた。


「ミケ蔵……真梨枝を見てない?」


そっと毛並みを撫でれば、ミケ蔵はゴロゴロと喉を鳴らして雪見の手に顔を擦り付ける。


『かわいいねぇ、雪見!』


真梨枝がキャーキャー言っていたのがつい昨日のことのようだ。


ひとしきり撫で回して視聴覚室に到着すると、授業が終わったばかりだというのに探偵クラブのメンバーは勢揃いしていた。


「雪見ちゃん! 大丈夫?」


「早退したって聞いたけど……探してたのか?」


「うん。でも見つからなかったよ……」


「……」


部屋が沈黙に包まれる。

いつもなら騒々しい視聴覚室が、今は別の部屋のように感じられた。



「ごめんな、城井……。俺がちゃんと送り届けてれば……!」


梶尾先生は顔を顰め、頭を下げた。


「……先生」


別に先生のせいではないと思う。

事件に巻き込まれたのか、何か理由があって家出したのか。そこは誰にもわからなかった。




──コンコン


「あのー」


そこに、とても気まずそうに扉をノックしながら夢世界同好会部長、四条彼方が顔を出した。


「四条先輩、何かわかったんですか!?」


翔の言葉に彼方は一瞬言葉を詰まらせ、コンピューター室から持ってきたらしいタブレットを差し出した。


雪見も、見るとはなしにそれを見る。


受け取った翔の手の中のタブレットは、ニュース一覧のページを開いていた。


「あ、昨日の件もうニュースになったのね……」


概要だけ載っている一覧のページには、昨日の商工会ホールの件が載っていた。


『違法な薬物取引か!? テロ行為か!?』


そんな見出しの下に、巻き込まれた女子高生の話や、容疑者の名前は久世八代ということが書かれていた。


(金髪赤シャツかな……)


「あ、その下です」


彼方の声は、緊張と困惑があった。


「?」


翔が画面をスライドさせる。


「見間違えとか、誤解なら良いんですけど……」


彼方は、大きな声を出すことがはばかられるような小声で不安そうに呟く。


その下のニュースは──


『二十五日未明に発見された死後数年と見られる白骨化した遺体の身元が判明』


そんな見出しがついている。


彼方に言われるまま、翔はページを開く。


そこには。


『遺体は都内に住む女子中学生の桜木真梨枝(13)さんのものと確認が取れました』


──そう書いてあった。


顔写真つきで、それは間違いなく、今探している親友の顔だった。


まるでここが、光を通さない深海のように。

息が止まって、押しつぶされそうな気がした──。

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