第10話 伝えることの葉の陰に



仄白い焔が消えて、頭痛が引き、金縛りからも解放された僕は教授の部屋を駆け出た。


広いキャンパスを全速力で走り、ターミナル駅行きの公共バスに飛び乗る。

スマホ、定期、それから残金の心許ない財布ぐらいしか持っていないけど、気にしていられない。

とにかく津田さんに追いつかなきゃ。


 津田さんは、自分のスペースに誰へ宛てるでもなく書き置きを残していた。


“神の坐す山に僕が着くまで、教授と修士2年の皆が、隠されることなく無事であることを祈る。


願わくば、僕を待たずして、皆が無事に帰還されますよう”


行き先はそこに書いてある通り。そう、特急に乗ってU県Z市。奄隠山あまばりやま。


 十三時発のバスに乗れたのに、肝心の道路が混んでいて、二十分で着くはずの駅まで五十分もかかってしまった。しかも流石はターミナル駅。出入り口から目当ての路線の改札までが遠い。駅が広いし人も多い。普段あまり使わない駅の中で迷子になりそうだ。


複雑な案内表示に惑わされ、通行人に幾度もぶつかりながら改札を目指す。


急げ、急ぐんだ、僕。あ、しまった。改札を通る前に特急券も買わなくちゃ。改札はあっちで、あれ? 券売機はどこだ?


ようやく辿り着いたZ市方面行き特急列車のホー厶で津田さんを探す。


幸い、ホームにいる利用客はそこまで多くない。あの長身と天然パーマの頭だ、居ればすぐに見つけられる。そう思ったけど駄目だ、いない。


僕を置いてゼミ室を出た津田さんが、真っ直ぐにこの駅に向かったとして。バスが渋滞に巻き込まれずに駅に着いていたら、十三時半に出た一本前の列車に乗れている計算になる。もう合流できないかもしれない。


それでも、僕は行くと決めたんだ。誰になんと言われようと。


十四時五分発、Z駅行き特急列車に乗り込む。僕は一番後ろの車両から、自由席のある前の方へと歩きながら津田さんを探した。


いない。安い自由席にいるのかな。……それともやっぱり、この列車には乗っていないのかな。


狭い通路をひたすら進みながら僕は考えた。


津田さんに会えたら、何を言おう。津田さんのこと、どうでもいい訳じゃないんだって、言わなきゃ。謝らなきゃ。カップのことも。


津田さんに会えたら、なんて言おう。どういえば、聴いてもらえるかな。


悲しみや怒りに惑わされて津田さんを見限った一瞬があったとしても、それは僕の……津田さんに対する印象が悪くなったとか、津田さんに対して関心がなくなったとか、そういう訳じゃないんだ。


貴方のことがどうでも良かったらこんな気持ちにならない。


一時の感情に呑まれたりしない。


僕は、ただ、貴方に遠ざけられたら悲しいんだ。


貴方が黙っていなくなったら寂しいんだ。


……分かったんだ、僕は。


つらつら思いを巡らせていたらとても照れ臭くなってきた。


早く津田さんに会いたいな。




自由席の車両にようやく差し掛かる。津田さんを探しながら、自分の座る席も探さなきゃ……うわ、めっちゃ混んでる。


指定席はかなり空いていたのに、こっちは親子連れや、恋人同士らしき二人組、学生のグループなどで席がほとんど埋まっている。3人がけの真ん中に割り込むのは気が引けるしなぁ。あ。あそこの二人がけの席、通路側が空いてる。急いで近寄ってみると、隣の人は大きな帽子を顔に乗せてぐっすり眠っている。よし。ここに座ろう。なるだけ静かにテーブルを開いて、スマホと朝から持っているお茶のペットボトルを載せる。


僕が目的地に着くまで、隣の人、起きないでほしいな。


とは思ったものの、駅を出てかれこれ一時間経っても、この人、ぴくりとも動かないや。ここまで動かないと、ちょっと心配だ。


腹の虫が鳴いて、僕はお昼を食べ損なったことに気がついた。お茶ももう残り僅かだ。


何か買おうかと思って、座席に置いてある車内販売の案内をぱらぱらとめくる。カツサンドもアイスクリームも美味しそうだな……僕は抹茶アイスが一番好きだ。あ、あの美味しいココア売ってる。うーん、紙コップに入ったココアが一杯でこの値段。学生の僕にはどれもが高額に思える。それに今は手持ちのお金が少ないから、やっぱり我慢だ。津田さんが買い込んだお茶のペットボトルを持ってくればよかったなぁ。


ワゴンが近づいてくる。我慢、我慢、我慢……。


「すみません、水のボトル、一つ」


いつから目が覚めていたのか、隣の人がしゃがれた声でワゴンのお姉さんを呼び止めた。辛そうに咳き込んでいる。


僕は邪魔にならないように体を避けた。目の前に人の手がにゅっと出てくるのは嫌だから、軽く前へ体を倒す。


「それから、カツサンドと抹茶アイス……あと、ココアもお願いします」


僕と食べ物の好み一緒だな。僕の後ろで、僕の好物とお金がやり取りされる。すごい、〇〇〇円ちょうどお預かりだって。……つい感心してしまった。


「避けてくれてありがとう」


喋りにくそうだけどお礼も言ってくれて、多分良い人だ。そっと横顔を窺ってみたけれど、その人はサイドシールドがついたサングラスとマスクをしている上、長めの髪が緩くうねりながら、たっぷりと頬にかかっていて、ほとんど顔が分からない。後ろ髪は項で纏めて、紫と赤の組紐で結っている。お洒落だな。


……あんまりじろじろ見ていたら失礼だよね。そっと視線を外した時、うっかり食べ物を見てしまった。あ、おいしそう……。


ぐぅぅぅ、と僕の腹が結構な音量で鳴る。恥ずかしい……。


「昼を食べていないとみえる。……食べなさい」


まだ封を切っていないサンドイッチとココアとアイスをぽんぽんと僕の目の前に置く。いや、これ、今買ったもの、ほとんど全部ですよね? 第一、知らない人に奢られるのはちょっと……。


「Z市についたら、ローカルバスで沢玉森サッタノモリ村入口まで行く。そこから件くだんの山までは、ひたすら歩くより他無い。だから今のうちに、食べておきなさい」


え?ちょっと待って。


「もしかして、津田さん……?」


「ん」とその人は肯いた。サングラスを外し、マスクを下ろしてペットボトルの蓋を開けているその顔は、本当に津田さんだ。


いざ本人を目の前にしたら、言いたかったことがうまく出てこない。


さっき一生懸命考えたのに。僕は、津田さんにどう言えば、想いを正しく伝えられる?


「何も言わなくていい。早く食べなさい」


僕の心を見透かしたように津田さんが言う。


透明なパックには分厚いカツサンドが4切れも入っている。


「あ、あの、津田さんはサンドイッチ」


「要らない」


む。言下に断られた。隣の席に座ったのが僕なのを初めから知っていて、お腹を空かせている僕に食べさせるために、このカツサンドもココアもアイスも買ってくれたのか。


「お金は、帰ったらちゃんとお返しします。……お昼、頂きます」


津田さんは何も言わず、窓の外を見ている。


普段、僕はコンビニのカップ麺や総菜パン1個で我慢しているので、今日は何とも贅沢なお昼だ。ゆっくり味わっていただこう。


そう思ったのに。あ、もう無くなってしまった。空腹な僕はカツサンドを瞬く間に平らげてしまった。


食後の抹茶アイスも融ける前に食べないともったいないよね。自分にそう言い聞かせて、さっさと食べることにした。


抹茶アイスは苦すぎず、甘すぎず、絶妙な味のバランス。滑らかに舌の上で溶けていく。そして、僕の大好きなココア。アイスの後だからか、味はいつもより薄く感じたけれど、やっぱり美味しい。紙コップでこのココアを飲むの、久しぶりだな。あのマグを貰ってから、紙コップなんて使っていなかった。


一方、津田さんは向こうをむいて、けんけんと咳を繰り返している。水をいくら飲んでも、声は治らないようだ。


「……喉、大丈夫ですか?」


返事はない。


うん。聞きたいことも言いたいこともたくさんある。でも全部こんな風に無視されるんだろうなと思う。思うけど、ちょっと言ってみよう。


お腹が満たされて機嫌のいい僕は、一度聞き流されたくらいではめげずに津田さんに話しかけてみた。


「あの、……マグカップ、割っちゃってごめんなさい。どうして僕、あんなことしちゃったんだろ」


「操られていたからだ」


あれ、思いがけず返事してくれた。


操られてやってしまったことだというなら、それなら、僕のあの言葉も。


だけど、僕より先に津田さんが言う。


「でも、あの言葉は、キミの本心」


いつの間にか津田さんはまた、指を奇妙な形に組んでいる。


「それと、金も返さなくていい。キミからは受けとらない……何も」


うわ、ひどくない?その言い方。無視したり、こんなこと言ったりして、津田さんは僕を怒らせようとしているみたいだ。……堪えなきゃ。今は僕が踏ん張る時だ。……でも


「僕と喋りたくないってことですね、わかったよ、もう。話しかけてごめんなさい!」


むくれるくらい許されるだろう。


 大きく深呼吸して、気持ちを整える。座り直し、頭をシートに預ける。車両の天井を見上げる。よし。


「……本当に、あの一瞬だけは、津田さんのことどうでもいいって思ったかもしれない。僕、腹立ってたし。あ、これ独り言なんで、全然気にしないで下さい」


僕は言った。津田さんは指を組んだまま微動だにしない。


「だって、いなくなって寂しかったし、連絡先教えてもらえないのも聞かれないのも悲しかったし。でも、それは、僕に……気持ちをもっと向けてほしくて……こっちを見てもらえないまま、津田さんを……その、大好きでいるのが辛すぎて、だからって、ひどいこと言ってごめんなさい」


もう一回、僕は深呼吸した。


「会いたかった」


僕の独白をどこまで聴いていたかは分からないけど、津田さんは、僕が語り終えるまで身みじろぎもしなかった。


というか、僕の話が終わっても、じっとしている。5分ほど経って、漸くペットボトルに手を伸ばして水を飲んで、やっぱり黙っている。


……ここまで無視を決め込まれると、腹も立たないや。


どこかの駅につく。人の乗り降りで、車内がざわつく。その中で、不意に津田さんが喋った。


「キミからは何も……受けるつもりはない。金も物も……気持ちも」


……口を開いたと思ったら、またそれか。


「僕のことなどどうでもいい、……それが一番だ」


「無理です。もう大好きです」


僕があんまりきっぱり言うので、津田さんは呆れたようにため息をついた。サングラスを外し、僕の顎に手を添えてきた。


これは所謂、顎クイというやつでは。どきどきする。でも津田さんがあまりに険しい顔をしていて、僕は思わず目を逸らした。


津田さんの右手。手甲を嵌めている。何か格好いい。


揃えた二本指を僕の額に当て、津田さんが言った。


「僕を見ろ、……うに」


僕を、呼んでくれた。そんなことが、こんなにも嬉しい。


津田さんの、蜂蜜を溶かし込んだような淡い金色の瞳が真っ直ぐに僕を見つめる。僕だけを見つめてくれている。


――コノモノワレノエンジャケイルイニアラズ、ワレ、コノモノトイッサイノシガラミモトヨリナク、マタショウズレバコトゴトクタツコトヤクスモノナリ、コノモノ、ワレノエンジャケイルイニアラズ、ワレニカカルマガモノアシキモノ、ヨレバスナワチ、ワガナニオイテスミヤカニシリゾケ、コノモノノミ、ソノカゲイッサイニフレルコトユルサジ


 長い呪文。しゃがれた声で、それでも滑らかに津田さんは3回唱えた。切々と訴えるように。




この者、我の縁者係累にあらず。


我、この者と一切のしがらみ元よりなく


また生ずれば尽く絶つこと約す者なり。


この者、我の縁者係累にあらず。


我にかかる禍もの悪しきものよれば即ち


我が名において速やかに退け、この者の身,その影一切に障ること許さじ










この呪文で何ができるのか、何が起こるのかは知らないけれど。


僕にも、言葉の意味は何となく分かる。


だからこそ津田さんは、


キミにとって僕なんてどうでもいいだろう、


キミから金も物も気持ちも、何一つ、受け取るつもりはない。


と頑なに言い続けたのか。


僕が思っていた以上に、僕が期待した以上に。


津田さんは僕を。


それがとても嬉しくて僕が笑ったら、津田さんの頬がさっと赤くなった。


きょろきょろと辺りを見回し、慌ててサングラスをして、帽子も顔に乗せて、……窓の外を向いてしまった。 


それからはZ市の駅につくまでふたりとも一切喋らなかった。




言葉は要らなかった。


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