第6話 呪文泥棒と魔女のプライド
五月十日、午前九時。
蓮がコスモス荘のエリーザの部屋を訪ねると、彼女は部屋の中で荒々しくスマートフォンを操作していた。
「エリーザさん、どうしたんですか?」
「レン! ミテ、コレ!」
エリーザは、怒りで顔を真っ赤にしながら、スマートフォンの画面を見せた。
画面には、InstagramのあるアカウントAが表示されていた。
ユーザー名:『本物の魔女・リナ』
投稿には、こう書かれていた。
『みなさん、騙されないで! 井の頭公園にいる「呪文屋エリーザ」は偽物です。私が本物の魔女です。私も太陽の魔法やバジルの呪文を使えます。しかも、もっと強力な効果があります。相談したい方は、DMください。料金は一回5000円です。#本物の魔女 #呪文屋は偽物 #魔女リナ』
投稿には、エリーザの看板とそっくりなデザインの画像が添えられていた。
蓮は、画面を見て眉をひそめた。
「これ......完全にエリーザさんの真似ですね」
「ソウ! ワタシの魔法、盗んでる! 許セナイ!」
エリーザは、怒りで震えていた。
「コイツ、『太陽の魔法』『バジルの呪文』、ワタシが教えたこと、ゼンブ、盗んでる!」
「それに、料金を取ってるんですね......」
蓮は、コメント欄を見た。
数件のコメントがついていた。
『エリーザさんと何が違うんですか?』
『本物なら証明してください』
『怪しい......』
幸い、まだ多くの人は懐疑的なようだ。
でも——
このまま放置すれば、エリーザの評判が傷つく可能性がある。
「エリーザさん、この人に会ってみましょう」
「会ウ?」
「はい。直接話して、やめてもらうように説得しましょう」
エリーザは、少し考えてから頷いた。
「......ワカッタ。会う」
その日の午後、蓮はInstagramのDM機能を使って、「魔女リナ」にメッセージを送った。
『初めまして。呪文屋エリーザのパートナーをしている佐々木と申します。お話ししたいことがあります。井の頭公園で会えませんか?』
数分後、返信が来た。
『了解です。今日の午後3時、井の頭公園の池の前で』
午後三時。
井の頭公園の池の前に、一人の若い女性が立っていた。
桜井リナ、二十歳。
大学二年生で、美容系のインフルエンサーを目指しているらしい。
身長は百六十センチほど。ピンク色の髪を肩まで伸ばし、派手なメイクをしている。白いワンピースに黒いブーツ、大きなサングラスをかけている。
その姿は、どう見ても「魔女」には見えなかった。
「あの......桜井リナさんですか?」
蓮が声をかけると、リナはサングラスを外した。
「そうです。あなたが、エリーザのパートナー?」
「はい。そして、こちらがエリーザ本人です」
エリーザが前に出た。
二人は、じっと見つめ合った。
「......アナタが、偽物の魔女」
エリーザが、低い声で言った。
リナは、少し気まずそうに視線を逸らした。
「偽物って......ひどくないですか? 私だって、魔法使えますよ」
「使エナイ。アナタ、ワタシの魔法、盗んだだけ」
「盗んだって......SNSで公開してたじゃないですか。それを参考にしただけです」
リナは、少し開き直った態度を取った。
「それに、別にあなたの専売特許じゃないでしょ? 誰だって魔法を使う権利はあります」
「ソウジャナイ!」
エリーザは、声を荒げた。
「魔法、伝統。呪文、受け継がれるモノ。勝手に盗んで、お金取る、ダメ!」
「でも......」
リナは、少し言葉に詰まった。
「私だって、生活があるんです。インフルエンサーとして稼ぎたいし......魔女って、話題性あるじゃないですか」
蓮は、リナの言葉を聞いて、少し理解した。
彼女は、悪意があるわけではない。
ただ、承認欲求と金銭欲に駆られて、安易にエリーザの真似をしただけなのだ。
「リナさん、あなたは魔法を信じていますか?」
蓮が尋ねると、リナは少し黙った。
「......正直、半信半疑です。でも、エリーザさんの投稿がバズってたから、真似すれば私も注目されると思って」
「ソレが、ダメ」
エリーザは、悲しそうに言った。
「魔法、信じないで、使う。ソレ、魔法に失礼」
「失礼って......」
リナは、困惑した顔をした。
その時、エリーザはふと思い出した。
曾祖母の言葉を。
『エリーザ、呪文は盗むものだ。でも、ただ盗むだけではいけない。盗む相手に、敬意を持たなければならない』
エリーザは、深呼吸した。
そして、リナに言った。
「リナ、アナタ、ワタシの魔法、盗んだ」
「......はい」
「ルーマニアの伝統、呪文、『盗むモノ』」
リナは、目を丸くした。
「盗む......?」
「ウン。魔女、呪文、教えナイ。次の世代、呪文、聞いて、盗む。ソレが、伝統」
エリーザは、リナの目をまっすぐ見た。
「ダカラ、盗むこと、自体、悪くナイ。デモ——」
エリーザは、厳しい表情で続けた。
「盗むなら、『敬意』、持たないと、ダメ」
「敬意......?」
「ウン。魔法、先人から受け継がれたモノ。軽く扱っちゃ、ダメ。お金儲けの道具、ダメ」
リナは、エリーザの言葉に押し黙った。
エリーザは、続けた。
「リナ、アナタ、本当に魔女になりたい?」
「......わかりません」
リナは、正直に答えた。
「でも、エリーザさんみたいに、みんなから尊敬されたいです」
「ジャ、ワタシと、勝負シヨウ」
「勝負?」
「ウン。『魔女対決』。アナタの魔法と、ワタシの魔法、ドッチが本物か、見せ合う」
エリーザは、挑戦的な笑みを浮かべた。
「ソレで、アナタが勝ったら、ワタシ、『呪文屋』、辞める」
「え......!?」
蓮も驚いた。
「エリーザさん、本気ですか?」
「ウン。本気。デモ、ワタシが勝ったら——」
エリーザは、リナを指さした。
「リナ、偽物の魔女、辞める。ソシテ、ワタシの弟子になる」
リナは、少し考えてから頷いた。
「......わかりました。受けて立ちます」
その週末、五月十五日。
井の頭公園の広場で、「魔女対決」が開かれることになった。
SNSで告知すると、予想以上に多くの人が集まった。
観客は、およそ百人。
スマートフォンを構えて、対決の様子を撮影しようとしている。
エリーザは、いつもの白いブラウスと黒いスカート、三日月のペンダントという「魔女」の格好。
対するリナは、黒いドレスに尖った帽子という、いかにも「魔女のコスプレ」という格好だった。
蓮が、司会を務めた。
「それでは、これより『魔女対決』を始めます。ルールは簡単です。お二人に課題を出すので、それぞれの魔法で解決してください」
観客がどよめいた。
「第一問——この植物を元気にしてください」
蓮が、しおれた鉢植えの花を二つ用意した。
「制限時間は十分です」
「ヨシ!」
エリーザは、自分の鉢植えの前にしゃがんだ。
そして、ポケットから「大地のハーブ」を取り出し、土に混ぜ込んだ。
さらに、古代ルーマニア語の呪文を唱えた。
「Plantă, ascultă-mă. Dă-mi putere să te vindec.」
(植物よ、私の声を聞け。あなたを癒す力を与えよ)
呪文を唱えながら、エリーザは優しく葉を撫でた。
一方、リナは——
慌てて鉢植えに水をかけ、何やらぶつぶつと呟いている。
でも、それは呪文ではなく、適当な言葉を並べているだけだった。
「えっと......花よ、元気になれ! 魔法の力で!」
観客の中から、笑い声が漏れた。
「コスプレじゃん」
「エリーザさんの方が本格的」
十分後——
エリーザの鉢植えは、葉が少し上を向き、色も鮮やかになっていた。
リナの鉢植えは、水をかけすぎて土がびしょびしょになっただけで、特に変化はなかった。
「第一問、エリーザさんの勝利です」
蓮が宣言すると、観客から拍手が起こった。
リナは、悔しそうに唇を噛んだ。
「第二問——この人の悩みを聞いて、適切な魔法を提案してください」
蓮が、観客の中から一人の男性を呼んだ。
男性は、三十代くらい。疲れた顔をしている。
「最近、仕事でストレスが溜まっていて......何か、心が軽くなる方法はありませんか?」
エリーザは、男性の話を真剣に聞いた。
「ストレス......心、重い?」
「はい」
「ワカッタ。ジャ、コレ」
エリーザは、小さな布袋を取り出した。
「コレ、『心を落ち着かせるハーブ』。ラベンダー。枕の下に置いて、寝る。ソウスレバ、良い夢、見る」
男性は、布袋を受け取って頷いた。
「ありがとうございます」
一方、リナは——
何を提案していいかわからず、困っていた。
「えっと......私も、ラベンダー......いや、違う......」
リナは、自分のバッグをごそごそと探した。
でも、何も出てこなかった。
「すみません、今日は準備不足で......」
観客から、失笑が漏れた。
「第二問も、エリーザさんの勝利です」
蓮が宣言した。
リナは、もう完全に意気消沈していた。
対決の後、リナはエリーザの前に立った。
「......負けました」
小さな声で言った。
「私、本当の魔女じゃなかった。ただの真似事でした」
エリーザは、リナの肩に手を置いた。
「リナ、謝る必要、ナイ」
「え......?」
「アナタ、魔法、興味ある。ソレ、大事」
エリーザは笑顔で言った。
「デモ、魔法、簡単じゃナイ。勉強、必要。練習、必要」
「......私、本当に魔女になれますか?」
リナは、エリーザの目を見た。
「ナレル。デモ、時間、かかる。ソレでも、イイ?」
リナは、深く頷いた。
「はい。お願いします、先生」
エリーザは、リナの手を握った。
「ヨシ! ジャ、今日から、アナタ、ワタシの弟子!」
観客から、温かい拍手が起こった。
その日の夕方、コスモス荘でエリーザ、蓮、そして新しい弟子のリナが集まった。
「じゃあ、改めて自己紹介します。桜井リナです。二十歳、大学二年生です」
リナは、緊張した顔で言った。
「私、最初は軽い気持ちで魔女の真似をしました。でも、今日の対決で、エリーザ先生の本気を見て......私も本気で魔法を学びたいと思いました」
「ヨシ! ソレ、大事!」
エリーザは満足そうに頷いた。
「ジャ、最初の課題。リナ、『呪文は盗むもの』、覚えて」
「盗む......?」
「ウン。ルーマニアの伝統。魔女、呪文、教えナイ。弟子、自分で、呪文、聞いて、覚える」
エリーザは、リナに小さなノートを渡した。
「コレ、アナタの『魔女ノート』。ワタシが呪文、唱えたら、メモする。デモ、ワタシ、二回、言わナイ。一回で、覚える」
「厳しい......」
リナは、少し不安そうだった。
蓮が、横から助け舟を出した。
「リナさん、最初は大変かもしれませんが、慣れれば大丈夫ですよ」
「蓮さん、先生の弟子じゃないんですか?」
「いえ、俺は『パートナー』です。魔法は使えませんが、記録係として手伝っています」
「なるほど......」
リナは、ノートを開いた。
「頑張ります」
その日から、リナの魔女修行が始まった。
最初の課題は、「ハーブの識別」。
エリーザが持っているハーブの種類を覚え、それぞれの効能を学ぶ。
「コレ、セージ。悪い念、祓う」
「コレ、ローズマリー。記憶、良くする」
「コレ、ラベンダー。心、落ち着かせる」
リナは、必死にメモを取った。
次に、「呪文の聞き取り」。
エリーザが、簡単なルーマニア語の呪文を一回だけ唱える。
リナは、それを聞いて、音で覚える。
「Apă curată, spală durerea.」
(清らかな水よ、痛みを洗い流せ)
「えっと......アパ......クラタ?」
「チガウ。『アパ・クラタ』。もっと、丁寧に発音」
「アパ・クラタ......」
リナは、何度も繰り返した。
その様子を見て、蓮は思った。
エリーザは、厳しいけれど、優しい先生だ。
リナを本気で育てようとしている。
一週間後、リナは少しずつ魔女らしくなってきた。
ハーブの名前を覚え、簡単な呪文を唱えられるようになった。
そして、初めての「実践」の日が来た。
「今日、リナ、初めて、依頼者、対応する」
エリーザが言った。
「え!? もう!?」
リナは驚いた。
「ウン。魔女、実践、大事。ワタシ、隣にいる。ダイジョウブ」
その日の午後、井の頭公園の「呪文屋」に、一人の若い女性が訪れた。
「あの......悩み相談、いいですか?」
「ハイ! ドウゾ!」
エリーザが答えた。
そして、リナに目配せした。
リナは、緊張しながら女性に尋ねた。
「どんな悩みですか?」
「最近、夜眠れなくて......」
「眠れない......」
リナは、エリーザから学んだことを思い出した。
「えっと......それなら、ラベンダーのハーブが効きます」
リナは、小さな布袋を取り出した。
「これを枕の下に置いて寝てください。きっと、良い夢が見られます」
女性は、布袋を受け取って微笑んだ。
「ありがとうございます」
女性が帰った後、エリーザはリナの肩を叩いた。
「ヨクデキタ!」
「本当ですか!?」
「ウン! リナ、初めての依頼、成功!」
リナは、嬉しそうに笑った。
そして、思った。
魔女って、人を助ける仕事なんだ——
その夜、リナはInstagramに投稿した。
『みなさん、ごめんなさい。以前、私は「本物の魔女」を名乗っていましたが、それは間違いでした。本物の魔女は、エリーザ先生です。今、私は先生の弟子として、魔法を一から学んでいます。いつか、本当の魔女になれるように頑張ります。#呪文屋エリーザ #魔女修行中 #弟子リナ』
投稿には、エリーザと一緒に撮った写真が添えられていた。
コメント欄には——
『素直でいいね』
『頑張って!』
『エリーザ先生、優しい』
温かいコメントが並んだ。
翌日、蓮はエリーザに尋ねた。
「エリーザさん、どうしてリナさんを弟子にしたんですか?」
エリーザは、少し考えてから答えた。
「リナ、悪い子じゃナイ。ただ、道、間違えただけ」
「でも、最初は怒ってましたよね」
「ウン。怒った。デモ、思い出した。曾祖母の言葉」
エリーザは、ペンダントを握りしめた。
「『呪文は盗むもの』。ソレ、伝統。リナ、呪文、盗んだ。ダカラ、正しい盗み方、教える」
「正しい盗み方......?」
「ウン。敬意を持って、盗む。先人に感謝して、盗む。ソレが、魔女の道」
蓮は、その言葉を噛みしめた。
エリーザは、ただの魔女ではない。
伝統を守り、次世代に伝えようとしている——
そんな「先生」なのだ。
その週末、エリーザとリナは一緒に井の頭公園を歩いていた。
「先生、質問いいですか?」
「ナニ?」
「先生は、どうやって魔女になったんですか?」
エリーザは、少し懐かしそうに笑った。
「ワタシ、小さい頃、曾祖母の家、よく行った」
「曾祖母さんも、魔女だったんですよね」
「ウン。村で、有名な魔女。みんな、困ったこと、相談しに来た」
エリーザは、空を見上げた。
「ワタシ、曾祖母、見てた。呪文、唱えるの、聞いてた。ソシテ、盗んだ」
「盗んだ......」
「ウン。曾祖母、気づいてた。デモ、何も言わなかった。ソレが、伝統」
エリーザは、リナを見た。
「リナも、ワタシの呪文、盗んで。ソシテ、いつか、次の世代に、教えて」
「......はい」
リナは、深く頷いた。
その日の夕方、エリーザは一人で部屋に戻り、曾祖母の写真を見つめた。
「曾祖母、私、弟子、できた」
小さく呟く。
「リナ、真面目な子。きっと、いい魔女になる」
写真の中の曾祖母が、優しく微笑んでいる気がした。
エリーザは、ペンダントを握りしめた。
「私、あなたの魔法、守る。ソシテ、次の世代に、伝える」
風が、優しく部屋を通り抜けた。
まるで、曾祖母が答えているかのように。
【第六話 了】
次回、第七話「言語学者の疑問」へ続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます