アリスクワイアの亡霊

緋櫻

序章

 非神聖域・アリスクワイア。それは、「神が忘れた地」という意味の名をもつ孤島。

 世界の中心ハイアス大陸から遥か南の海に浮かぶ、不可思議な森の息吹を宿した島は、死の次に重い罰を科せられた罪人たちが送られてくる大自然の監獄でもある。

 中央の高峰から流れ落ちる大河と小河は、それぞれ南西と北に走って雨水を海へと運ぶ。山を覆う森には、柔らかに旋回しながら伸びる樹や、不思議な動植物が息づいている。海を渡る湿り気を含んだ風は山へと吹き上げ、氷のように昇華する水晶の花を空に舞わせる。常識を外れた絶景とは裏腹に、周囲の海域では、島を囲むような黒々とした不気味な大樹の群れが海から突き出し、船の行き来を阻む。それを抜ければ、どのような好天の日でも構わず容赦のない波涛はとうが襲いかかった。

 大陸の覇権を握るフリージス王国の冒険家の一団によって島が発見されて以来、大陸諸国の多くの人間がこぞって果敢にもアリスクワイアを目指した。理解の及ばぬ未知への好奇心。純粋な異世界への憧れ。富や名声のため。数知れない者たちがそれぞれの想いを胸に勢い勇んで南の海へと漕ぎ出した。五十年前、漂流ののちに奇跡的に生還を遂げた勇者は、王国中で喝采を浴びた。彼が話すには、アリスクワイア周辺で波に呑まれそうになった瞬間に青い光をまとうたくさんの亡霊を見たという。溺れていた彼は亡霊たちに首や腕を掴まれ、島へ引きずり込まれそうになったのだと。

 王国の政治の実権を実質的に握っていた教皇は話を聞いて、それは悪魔のしわざだと言い放った。神がそのような所業をするはずがない。月の満ち欠けと無関係に起こる海荒れも旅人を引きずり込む亡霊も、聖典には書かれていない。そして、彼はこう解釈した。神による救いは全世界に及んでいる。しかしそれはアリスクワイアの地を除いて、だ。神が意図せず忘れたのか、あるいは何らかの目的をもってそうしたのかは人間の知るところではない。悪魔が支配する島では、本来世にあるまじきことが起こっても不思議ではないのだ。

 教皇はアリスクワイアを流刑地と定め、法を犯した者を送るようになった。帆船に詰め込まれた罪人たちの中には海の上で死ぬ者が後を絶たず、たとえ生きて島に到着できたとしてもそこから二度と出られない。死後に救いもなく、亡霊となって気の遠くなるような時間を永遠にさまよう。死よりも恐ろしい場所だと、王国中からささやかれていた。

 これは、世界から切り離されアリスクワイアに生きる者たちの小さな物語であり、歴史の記録である。

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