第4章:パラドックスの肖像

527回目のループ。もはやユキは、博士を物理的に救うことを諦めていた。彼女の目的はただ一つ、このループと博士の死に隠された真相を解明すること。彼女は仮眠室に籠もり、クロノスの膨大な観測ログと、『レクイエム』の資料、そして博士が残した数百通りのダイイングメッセージを照合し続けた。


冷めきったコーヒーが何杯も空になる。窓の外の雨音だけが、彼女の思考に静かに伴走していた。そして、パズルの最後のピースがはまるように、すべてが繋がった。


犯人など、最初から存在しなかったのだ。


博士の死は、自殺だった。ただし、それは物理的な行為ではない。『量子的な自殺』。彼は、過去に『レクイエム』計画で犠牲にした被験者たちへの深い罪悪感に苛まれていた。その罪から逃れることも、許されることもないと悟った博士は、自らの存在そのものを罰するために、この巨大な装置を作り出したのだ。


旧型量子コンピュータ『クロノス』。その暴走に見せかけて、彼は半径3kmの時空を閉じ、72時間のループ世界を創造した。そして、その中で自らの存在確率を操作し、「死」という結果へと強制的に収束させていた。彼の死は、クロノスによって計算され、実行される、確定した未来だった。ユキがどんなに足掻こうとも、世界の側が、物理法則そのものが、博士を殺しに来る。構造崩壊も、システムの暴走も、全ては博士の「死にたい」という強い意志が、量子コンピュータを通じて現実を書き換えた結果だったのだ。


このタイムループは、博士が自らに課した、永遠に続く贖罪の儀式だった。そして、ユキがこのループに巻き込まれたのは偶然ではなかった。彼女が持つ、ループを認識できる特異な遺伝因子を、博士は知っていた。博士は、自分では終わらせることのできないこの永遠の地獄を、最も信頼する教え子に破壊してほしかったのだ。ダイイングメッセージは、ユキに真相を解き明かさせ、クロノスを破壊させるための、最後の講義だった。


「…そうだったんですか、先生」


ユキはコンソールを閉じ、静かに立ち上がった。目の下の隈は、もはや彼女の顔の一部になっていた。しかし、その瞳には、数百回のループを経て初めて、迷いのない、確かな光が宿っていた。


やるべきことは、一つしかない。

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