3.特殊観察課 第一班。標準装備で集合
「――立て、東條。」
冷えた声が響いた。
コンクリートの床にブーツの音が重なる。
倫理庁・地下第六区。観察官候補の訓練区画。
目の前に立つ男――鷹村 隼人は、黒いスーツの上からアーマーベストを着込み、腰にはSIG P220を下げていた。
その眼差しには、軍の匂いが残っている。
獅堂は短く息を吐き、敬礼を返した。
「……東條獅堂、着任しました。」
鷹村は頷き、背後のスクリーンを点けた。
青い文字が浮かぶ。
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◆ 倫理観察官制度
「いいか。お前が今日から所属する“倫理観察官部門”は、表向きは暴走個体の監視・確保・治療が任務だ。
だが実際は、**国が隠した倫理違反を現場で止めるための“裏の火消し”**だ。」
「……裏、ですか。」
「そうだ。転生庁の実験事故、祈り人の暴走、倫理庁内部の腐敗。
全部まとめて“事故処理”として片づける。
――武装を維持するためにな。」
獅堂が眉をひそめる。
鷹村は続けた。
「俺たちは“倫理庁”の人間だが、法律上は軍でも警察でもない。
本来なら銃を持つ資格すらない立場だ。
だが、“後始末”を引き受けることで、武装の正当性を得ている。
倫理を守るためには、時に“非倫理的な力”が要る。――皮肉だろ。」
スクリーンに階級表が映る。
四等観察官(Trainee):訓練生。暴走個体の監視補助、現場記録。実戦不可。
三等観察官(Field):実戦配属。1技能の転写が許可される。
二等観察官(Senior):部隊指揮、現場任務の統制権を持つ。
一等観察官(Chief):現場兼行政官。国家倫理審査への報告権を持つ。
「お前は今日から“四等観察官”。
まだ“人間”の範囲にいる訓練生だ。
任務は観察と記録、そして――自分の異能を制御することだ。」
---
◆ 暴走個体(Runaway Subjects)
鷹村は新たなデータを投影した。
モニターに映るのは、人型を保てない黒い塊。
筋肉が破裂し、皮膚の下で異常な脈動が蠢いている。
「暴走個体――“転生の失敗作”だ。
宗教法人“祈り人”が作った複合転写体の実験体。
“チート能力”“無限覚醒”“魂の上位化”――そういった言葉で被験者を釣り、
技能データを収集する。
必要なデータが揃えば、切り捨てる。放たれた個体は暴走し、人を襲う。」
獅堂は言葉を失う。
「……それ、全部……同意の上で?」
「名目上はな。
“救済”とか“祈り”とか言葉を変えてな。
結果がこれだ。」
---
◆ 暴走段階と危険度
鷹村はホロスクリーンに三段階の警戒レベルを表示した。
> レベル1:脳機能の異常。リミッターが外れ、感情の制御が不能。
治療不可。ただし延命は可能。倫理庁の収容区で管理される。
レベル2:自我の崩壊。破壊衝動と凶暴化。
脳の一部が壊死し、運動制御が支離滅裂。会話不能。
レベル3:完全暴走体。脳が書き換えられ、肉体は異能に最適化され変異。
人間の形を失い、元データに依存した“化物”となる。
「レベル3まで行けば、もはや“人間”じゃない。
中には自分の技能に引きずられて生物学的に変形する奴もいる。」
鷹村は一枚の写真を拡大した。
焦げ跡の残る都市廃区画。
中央には、巨大な四肢を持つ異形の死骸。
「元は防衛庁直属の爆裂系技能データ実験体。
腕部の筋繊維が爆縮し、骨格が内部から破裂した。
脳の再構成で“力を出すこと”しかできなくなった結果がこれだ。」
もう一枚。
白い女の影が映る。背中には翼のような骨格の隆起。
「祈り人系統の“治癒特化体”。
他者を癒やそうとした結果、対象の神経信号を取り込み、
自己同一性を失った。
“癒すために殺す”――典型的なレベル3だ。」
獅堂は息を呑む。
「……治せないんですか。」
「“倫理的に”な。
実際には、壊すしかない。」
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◆ 観察官の装備
鷹村は壁際のロッカーを開いた。
整然と並ぶスーツと装備群。
「観察官の標準装備だ。」
彼は黒のスーツを指差す。
「装甲繊維入りの業務スーツ。耐弾防刃仕様。
携行装備はP220とスタン警棒。
お前が持つのはこれだ。あくまで“公務員”の体裁を崩すな。」
鷹村は次に、隣の武装ラックを指した。
黒鉄色のアサルトライフルが光る。
「そして、裏の顔――HOUND(ハウンド)部隊。」
金属音が重なる。
HK416のボルトが引かれる音が室内に響いた。
> メインアーム:HK416 10.4inch CQB仕様
口径:5.56×45mm NATO
サプレッサー装着/IRレーザー付属
短銃身・高信頼性・都市制圧用
サブアーム:SIG Sauer P220 .45ACP
確実停止力重視/携行弾数10発前後
補助装備:
フラッシュバン×2/スモーク×1/医療キット/短波通信器/ナイフ/ブリーチングツール
「公式には存在しない“部隊”だ。
転生庁が作った兵器を、倫理庁が闇で殺すために作られた。
その中核に、今後お前を入れる。」
獅堂は無意識に息を飲む。
銃器の金属臭が、かつての研究室とは違う“生の現場”の匂いを放っていた。
---
◆ 現時点での東條獅堂の技能
鷹村は最後に一枚の端末を差し出した。
獅堂自身の脳データ・プロファイルだ。
> 技能:特殊作戦群隊員の戦闘能力(複合転写)
近接制圧、射撃制御、危機察知反応の複合転写
反射神経・空間把握・筋出力・判断力の統合強化
「元データは旧自衛隊特殊作戦群の三原零曹長。
実戦記録五十二戦、生存率100%。
その技能データを東條博士が解析し、お前の脳に複合転写した。
――今、お前はまだその“半分”しか使えていない。」
獅堂は拳を握った。
「……使いこなせるようになれば、暴走個体にも対抗できるんですね。」
鷹村は短く笑う。
「使いこなせるようになったら――暴走するのも一瞬だ。」
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訓練区のスピーカーが鳴る。
警告灯が赤く点滅した。
> 【警告:第三区画にて暴走個体レベル2確認。制圧班を招集――】
「――国家生命倫理監理庁、特殊観察課 第一班。標準装備で集合。」
冷たい電子音が地下区画に反響した。
コンクリートの壁に、青白い光が揺れる。
ここは**特観一班(とっかんいっぱん)**の作戦準備室。
黒のスーツに軽装アーマーを着けた四人の観察官が、白線上に並ぶ。
沈黙の中で、鷹村 隼人(二等観察官)が短く息を吐いた。
「点呼を取る。Alpha1、鷹村。行動指揮。」
「Alpha2、東條 獅堂。出動準備、完了。」
「Bravo1、斎藤 瑠美。医療班、支援態勢に入ります。」
「Bravo2、宮城 拓海。通信系統、暗号化完了。」
鷹村は頷く。
「よし。今日が――お前たちの初実戦だ。」
床に並ぶケースには、標準装備が整然と詰められている。
> SIG Sauer P220(拳銃)
非致死制圧用スタン警棒
携行医療キット
拘束用結索具
暗号通信端末・骨伝導無線
金属の冷たさが指先に伝わる。
獅堂はP220のグリップを握り、微かに息を吸った。
これから撃つ弾丸が「人間」に向けられる可能性を、彼はまだ実感できていなかった。
鷹村の声が響く。
「対象は市街地北ブロック、旧宗教法人跡地。祈り人系列の複合転写体、暴走レベル2。
目撃証言あり。民間人の巻き込みは避けられない。迅速に行動する。」
宮城が端末を操作しながら言う。
「監視カメラ網は遮断済み。現地通信も20分は沈黙が保てます。」
斎藤が医療ケースを肩にかけながら応じる。
「非致死優先、ね。でも……暴走個体の“元”が人間だったと思うと、胸が痛むわ。」
鷹村は短く返す。
「情けは要らん。あれはもう人間じゃない。祈り人が作った“器の残骸”だ。
俺たちは後始末を引き受けてる。国家の倫理を守るために――汚れ仕事をする。」
獅堂は黙って頷いた。
冷えた言葉が現実の重みを帯びて、胸の奥に沈む。
鷹村は無線チャンネルを開き、静かに告げた。
「Alpha1よりHQ。特観一班、出動準備完了。」
『HQ了解。作戦コード:C-04。対象は実戦レベル。行動を許可する。』
電子音が途切れる。
鷹村が一歩前へ出た。
「行くぞ。――国家が見て見ぬふりをする“倫理”の清掃だ。」
扉が開き、乾いた風が吹き込む。
夜の街の灯りが遠く揺れ、空気の冷たさが頬を刺した。
東條 獅堂は、銃を腰に下げたまま小さく呟く。
「……これが、“俺の仕事”か。」
鷹村が振り返らずに言った。
「そうだ。お前が撃つのは罰じゃない。
――国が作った、罪だ。」
四人の影が廊下を抜け、地上へと消えていった。
国家生命倫理監理庁・特殊観察課 第一班。
彼らの任務はただ一つ――転生技術が生んだ倫理の歪みを、始末すること。
郊外の空気は、夜でも生ぬるかった。
街灯の切れた工業区を抜けると、目的地が見えた。
崩れたコンクリートの壁、祈りの碑文が風化した教会跡――
国家転生庁が“祈り人”に転用させていた宗教法人施設のひとつだ。
その中から、異常な熱源反応が検出されていた。
車が静かに止まる。
鷹村がドアを開け、夜気を吸い込んだ。
「Alpha、降りろ。Bravoは南側から封鎖だ。」
「了解、Alpha1。」
宮城と斎藤が無言でうなずき、分隊行動に移る。
獅堂は腰のSIG Sauer P220を確認し、セーフティを外した。
心拍数が上がる。
冷静なはずの頭が、何かを拒むようにざわつく。
(人を撃つわけじゃない。人だったものを……止めるだけだ。)
鷹村の声が無線から響いた。
「東條、息を整えろ。トリガーを引くのは、判断じゃなく責任だ。」
「……了解。」
足音を殺して、入口へ近づく。
鉄扉は外され、内部は暗闇。
しかし中から漂う匂い――血と腐敗、そして薬品。
鷹村が手信号を出す。
Alpha2(獅堂)がフラッシュを構え、
短い光が闇を裂いた瞬間――壁に黒いものが跳ねた。
「っ……!」
反射的に獅堂は照準を合わせる。
細い腕、異様に伸びた脊椎。
背中から露出した神経のような器官が、蛍光を帯びて蠢いていた。
眼球は白濁し、しかしどこかで“誰か”を探しているような目だった。
鷹村が低く言う。
「レベル2……まだ意識が残ってる。撃つな、捕縛優先だ。」
獅堂は息を止め、距離を詰めた。
スタン警棒を伸ばし、床を滑るように踏み込む。
――その瞬間、個体が叫んだ。
> 「……返して……“転生”を……!」
声は確かに“人間”だった。
だが次の瞬間、背中の神経束が爆ぜ、壁が砕ける。
鷹村が叫ぶ。
「Alpha2、下がれっ!」
爆風のような衝撃。
天井の梁が折れ、粉塵が舞う。
獅堂は膝をつき、反射的にP220を構えた。
> パンッ。
乾いた音が響く。
一発。
頭部ではなく、右肩――非致死ライン。
肉片が飛び散り、個体がよろめく。
しかし、崩れ落ちたその口が笑った。
歯の隙間から、低い声が漏れる。
> 「……博士の……子、か……?」
獅堂の目が見開かれた。
その言葉を理解する前に、鷹村が突き飛ばす。
「東條、離れろ!」
再び光。
音より先に、鷹村の弾丸が個体の脳幹を貫いた。
蛍光が弾け、沈黙。
粉塵の中で、時間が止まったようだった。
鷹村は煙を吐き出し、静かに言った。
「……よくやった。初弾で肩を撃てる奴は、そうはいない。」
獅堂は拳を震わせ、息を荒げながら答える。
「……あれ、今、“博士の子”って……」
鷹村は短く目を伏せた。
「聞き間違いだ。ログには残すな。」
「でも――」
「いいから忘れろ。」
鷹村の声が冷たく切り捨てる。
外で斎藤の声が上がった。
「対象沈黙確認。医療チーム搬入開始。」
夜風が流れ込み、焦げた薬品の匂いを押し流していく。
獅堂は拳を握ったまま、
さっきの個体の言葉を何度も反芻していた。
――博士の子。
それが、ただの偶然ではないと知るのは、もう少し先の話だった。
白い照明が、静かに点滅していた。
搬送室。
特観一班が運び込んだ遺体は、透明なカプセルに密封され、淡い冷気を吐き出している。
ラベルには黒い印字。
> 対象:暴走個体(祈り人系統)
区分:レベル2/観察終了
処理指定:脳データ回収後、熱分解
東條 獅堂は無言でそれを見つめていた。
人間の形をしていたものが、今はただの“検体”として分類されていく。
数時間前まで息をしていたものが、冷却槽の中で静かに曇る。
鷹村 隼人が報告書を片手に歩いてくる。
無駄のない足音、冷静な声。
「記録班、暴走個体のデータ転送を開始。
頭部の神経網は破壊率87パーセント、複合転写構造の解析は不可能だ。」
作業員が無言で頷く。
端末の光が、遺体の輪郭をぼんやりと照らす。
獅堂は口を開きかけて――やめた。
何を言えばいいか分からなかった。
鷹村が振り返り、冷ややかに言う。
「これが“実戦”だ。倫理庁にとっての、な。」
「……これが、正しいことなんですか。」
「正しいかどうかを決めるのは俺たちじゃない。
俺たちは“国家の良心”を維持する役だ。
罪の形を整える――その程度の仕事だ。」
鷹村はタブレットにサインを入れ、報告を締めた。
「報告完了。個体のデータは第七解析課へ転送、関連映像は抹消。」
端末の中で、監視映像が一つずつ黒く塗り潰されていく。
歴史から消す作業――それも彼らの任務の一部だった。
宮城が無線越しに言った。
「報道へのリーク防止、完了。ニュースでは“ガス漏れ事故”扱いに差し替え済み。」
斎藤が淡々と医療器具を片付ける。
「倫理の名を借りて隠蔽してるんだから、皮肉なもんね。」
鷹村は軽く笑った。
「“倫理”なんて、国家が都合よく使う免罪符だ。
お前らはそれを忘れなければいい。」
獅堂は、冷却槽の中の個体を見つめた。
あのとき、確かに喋った。
> 『……博士の子、か……』
あの声は幻聴だったのか。
それとも、まだ“記憶”が残っていたのか。
「鷹村さん、あの……最後の言葉、覚えてますか。」
鷹村は少し間を置いて、視線を外した。
「覚えてねぇな。
記録にも残ってねぇ。
――そういうことにしておけ。」
「でも――」
「いいか、獅堂。
“記録にないこと”は、“起きていない”んだ。
ここでは、それが真実になる。」
短い沈黙。
その言葉の温度は、どんな銃声よりも冷たかった。
鷹村は壁のロッカーから封筒を取り出し、獅堂に投げた。
中には薄いカード――倫理庁観察官証。
「これでお前は正式に特観一班所属・第三等観察官だ。
銃を持つ資格も、罪を見逃す権利も、今日から与えられる。」
獅堂はカードを手に取った。
光沢の中に、わずかに映る自分の顔。
そこに映っているのは、“人間”なのか、それとも“道具”なのか。
鷹村が背を向け、歩きながら言った。
「明日も訓練だ。
慣れろよ、東條。」
鷹村が去り、静寂が戻る。
遠くで冷却炉の唸りが響く。
機械が、人間の死を処理していく音だった。
獅堂は胸ポケットから観察官証を取り出し、見つめながら呟いた。
「父さん……
これが、あんたが作った“倫理”の形なのか……?」
蛍光灯の光が彼の顔を照らし、
白い壁の影がゆっくりと伸びていった。
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