第3話 転生そして解呪
仕事帰りの人々が押し合う夕方の地下鉄のホームで、高校から帰宅途中の天城レンは目の前の線路をぼんやり眺めていた。
――明日は体育があるから体操服を忘れないようにしないとな。
そんな他愛もない日常を過ごしていたその瞬間、
「キャァーッ!!」
甲高い女子の悲鳴が聞こえた。 その方向に目をやると人ごみに押されたのか、足を滑らしたのか、女子高生が線路上に落ちていた。 さらに運の悪いことに奥から電車ライトがホームに迫っていた。
反射的に、レンは線路上に飛び出した。 女子高生をホームの真下のくぼみに突き飛ばす。
そして、世界が白に塗り潰された。
……痛みは、なかった。 けれど、息ができない。
音も、光も、全部遠ざかっていく。 悔しさよりも、妙な納得があった。誰かを守ろうとした手の感触だけが、温かく残っていた。
再び、瞼を開けたとき、そこにあったのは、見知らぬ草原だった。
遠くに見える山脈、風の匂い。空気が澄んでいる。
空を見上げると、黒い雲に覆われていた。 辺りはほのかに暗いが、どうやら夜というわけではないようだった。
自分の体を見下ろすと、学生服ではなく粗末なシャツを着ている。
「……死んだのか?」
言葉に出した自分の声が、やけに澄んでいた。 そしてすぐに気づく。体が軽い。心臓が鼓動している。呼吸が深い。
生きている。
レンは空を見上げて、しばらく動けなかった。
おそらく地下鉄で轢かれて死んだはずの自分が、ここにいる。 何かを……人生をやり直す機会が、与えられたのか――。
そんなことを考えていると、風に混じって、微かに声が聞こえた。
耳慣れない言語。けれど、不思議と意味が分かる。頭の奥に、誰かの声が響いた。
『勇者よ。世界を救うため、力を授けよう。』
突如、光の粒子が身体の周りを舞った。
レンは思わず目を閉じる。光が静まったあと、脳に多量の情報が入ってくるような感覚に襲われたが、彼の頭は妙に冴えていた。
――“転生”――。
「……なるほど。 俺は、あの時、誰かを守って……死んで……それで、今ここに転生したってわけか。」
不思議な光が俺に“この世界の知識” と“力”を与えてくれた。
この世界は前の世界とは全く違うようだ。
この世界には魔物がはびこり、冒険者などが剣や魔法で退治する、正に漫画の中の様な異世界のようだ。 そしてこの黒い雲が示すように魔王の脅威が猛威を振るっている。
「なら、今度こそやってみせる。 誰かを守って、ちゃんと生きて、今度こそ後悔しないように。」
その言葉を口にした瞬間、風が吹いた。
まるで世界が、彼を歓迎するように。レンはゆっくりと歩き出した。
それから魔王討伐までの数年は本当にいろんな事があった。
まだこの世界で右往左往していたころに出会ったのがセリアだった。
最初に訪れた辺境の村で彼女は教会のシスターをしていた。
村を襲った魔物から子供を庇い、傷を受けた俺を見て、彼女は涙を流していた。
この事件をきっかけに神のお告げと言って俺の旅に同行するようになった。
彼女の祈りはいつだって優しくて、俺の中の“人としての弱さ”を赦してくれるようだった。
次にパーティに加わったのはリィナだった。
彼女は出会った時から並外れた剣の才能があり、町の武闘祭で戦った事が出会いのきっかけだった。
彼女は騎士団の一員であり、騎士団時代に共に魔王軍と戦ったこともある。
しかし、上層部と揉めてなし崩し的に俺たちと魔王討伐の旅をすることになった。
不器用なくせに、誰よりも仲間思いで、誰かが倒れるたびに真っ先に駆け寄る姿を、俺は何度も見た。
一番最後にパーティの仲間になったのは当時宮廷魔術師候補であったノエルである。 彼女は魔術都市アルフェリア一の天才と評されており、宮廷魔術師入りも確実とされていた。
当時勇者として国王に認められていた俺に、古代魔術の研究のために旅に同行させてくれと頼みこんできた事がきっかけに一緒に行動するようになった。
最初の頃は研究の為に仕方なくといった様子でツンケンしていたものの次第に心を開き本当の意味でパーティメンバーの一員となった。
前世の価値観からすれば正にツンデレである。
そんな当時の旅を思い出しながら、レンはとある泉の前に立っていた。
“聖なる泉”――かつてセリアが旅の途中で語っていた場所。 神の祝福が残る地であり、どんな呪いも清められるという。
『いつか、もしもの時は……そこへ行ってください。“神の水”は、あなたに降りかかるあらゆる呪いを癒してくれるでしょう。』
この言葉を思い出したレンは聖なる泉を目指し、ついに発見に至っていた。
「……本当に、あった。」
既にレンが魔王を討伐し呪いを受けてから一か月が経とうとしていた。
目の前に広がるのは、鏡のような泉。 周囲の草木が柔らかく光を放ち、空気はどこまでも澄んでいた。 正に神話の中の風景そのものであった。
「王都から離れた村にはまだ俺のうわさが回っていなくて助かったな……呪いは解けてないから、対応はひどいものだったけど」
レンは靴を脱ぎ、そっと足を踏み入れる。 ひやりとした感触が肌を撫で、全身を包み込む。
その瞬間、胸の奥にあった重苦しさがすっと消えていくのを感じた。
「……え、もう? 嘘だろ。」
肩から力が抜け、思わず笑ってしまう。
泉の中心に立つと、体の奥から淡い光が溢れ出した。 それは痛みでも熱でもなく――ただ、心地よい温もり。 視界の端で、黒い靄のようなものが薄れていく。
ずっと纏っていた“反転する呪い”が、光に溶けていくのが分かった。
「……はは、マジか。 はは、なんか少しあっさりしすぎてるな」
水面に映る自分の顔は、どこか晴れやかだった。 久しく見なかった“素の笑顔”。
「これで、やっと会える……みんなに。」
呪いが解けたという確信があった。 胸の奥から湧き上がる期待と安堵。
レンはそのまま泉の水をすくい、空を仰いで飲み干した。
柔らかな風が吹く。 森の木々がざわめき、鳥たちが再び飛び立つ。
「よし、王都に戻ろう。 ちゃんと誤解を解いて……謝って、笑って、またみんなと旅しよう」
そう言ってレンは満面の笑みで立ち上がった。
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